クリスマスイブ、
東京都内に点在する粟楠会事務所のひとつに、催涙弾とともに文書が投げ込まれた。

襲撃予告であった。
告発文でもあった。

粟楠会の内部に、組織の力を使って私腹を肥やしている人物がいる。金は我々から不当に奪われたものであり、その人物は罰を受けて然るべきである。我々は断罪する。

そういった内容であった。
差出人や、“人物“が誰なのかは示されていなかったが、金額は5億4000万と明記してあった。

都内某所、
粟楠会本部の会議室ではいかにも悪そうないかつい男だちが、しかめっ面を貼り付けていた。
誰一人、最近の収支のなかで5億4000万円という数字に覚えがなかった。催涙弾を投げ込んだ組織もはっきりとせず、どこかの組織の一部の人間達だけによる犯行とみられた。
しかめっつらの中に、空席が2つある。

「四木と赤林はまだなのか」

青崎が不機嫌そうに部下にたずねた。
「四木の兄貴はご自宅からこちらに移動中と連絡が。ですが赤林さんはまだ、携帯がつながっていなくて」
「まだだと?もう一時間もじゃねえか。赤林の野郎、拉致られてんじゃねえだろうな」
「じゃあ犯人はゴジラとかですかね」
吉本がケラっと笑った。
が、次の瞬間には会議室に冷たい空気が流れたので吉本はお口にチャックをした。

「まあ赤林さんが拉致られたってんなら、これ寄越したのはあの人の古巣ですか」
仕切りなおしとばかり、風本が切り出した。追従する者はなかった。推測の域を出ないからだ。

青崎は腕組みをして考える。
クリスマスで浮かれた愉快犯の犯行の可能性はどうか。うかれただけで粟楠会に催涙弾とはずいぶんと勇敢だが。
告発文は粟楠会内部で不和を引き起こすための偽モノという可能性も考えられる。粟楠会が内から崩れて得をする組織をあげれば枚挙に暇がない。じゃああっちの可能性は、こっちの可能性は、可能性、可能性、可能性・・・
情報がないままじゃあなんにも思いつきやしねえ!
赤林のアホはいようがいまいが拉致られてようがどうでもいいが、なんでこんなときに限って一番頭つか・・・

「ん?」

急にひっかかった。
青崎は入り口近くに立っている部下を振り返って疑問を口にした。

「四木から連絡あったのっていつだ」
「一時間ほど前です」

「やられた!」

青崎が机をぶっ叩いて立ち上がった。
四木の自宅は粟楠会本部から、車で30分ほどの距離にある。
























***



「今日はどういった御用向きですか」
「・・・しらばっくれるのはよしてくれよ、四木さん」

よくもこれまで平気な顔でうちと取引なんぞやってこれたな、ポーカーフェイスには恐れ入る。
だがありゃ、うちのになるはずっただったモンだ。契約があったんだよ。
そろそろ返してくれてもいいじゃねえか?
そのほうがあんたの身のためでもある。
お仲間にはクリスマスカードであんたの裏切りを教えてあげたのさ。誰かが助けに来てくれたところで待っているのは・・・まあ、このへんは俺よりあんたのほうが詳しいか。
ともかく、そういうことだ。
わかるだろう?
素直に吐いたほうが痛くないって。

車中、古典的な文句を並べてまくし立てる男に、四木は眉一つ動かさない。
四木を拉致した男たちは威圧感のある風体であったが、四木にしてみれば見慣れた同業者の姿だ。威圧されることはなかった。
後部座席の中央に四木を置き、その左右と、運転席にもう一人。
四木の左に座る男は四木のこめかみに銃を押しあてている。
右側では四木の携帯電話がへし折られた。

左の男の話は長かった。



彼によれば、最近、田舎のとある洋館の取り壊しが決まった。
このとき出てきた契約書から、洋館の古美術品の大半が30年以上も前に、”ある組織”から洋館の主である老人に貸与されたものであることがわかった。
その額じつに5億4000万。
”ある組織”の表向きの団体へ、一般の建築業者経由でその書類が送られてきた。
今でこそ粟楠会にお株を奪われたものの、確かに彼らはかつて売り物にしてはいけない古美術品の転売分野に大きな影響力をもっていた。事実確認のため現地へ行ってみると、すでに洋館は取り壊されたあとだった。
いったい美術品は、金は、契約者はどこへ行ったのか。元使用人たちを脅して聞いてまわったところ、粟楠会の名が出てきた。因縁浅からぬ組織である。
5億4000万分の古美術品は老人に飼われていた娼婦の私財ということにして、四木は組織の権威を利用して秘密裏にこれを売却し、利益を懐に隠した



「粟楠の連中はうまく煙に巻いたみたいだが、まさか別の組に勘付かれるなんて思っても見なかったろう?」

無言、無表情の態度がしばらく続くと、男は四木の襟首をつかみシートに叩きつけた。
背を打ち、ズル、と座る角度が深くなった。シートベルトで固定されていなければ、四木は座席の足元に転がり落ちていたかもしれない衝撃であった。
運転手の視線はルームミラーとフロントガラスを行ったり来たりしてにやついている。
車はだんだんと人気のない道へ入り込んでいく。

「5億4000万なんていったいどこに隠していやがった。スイス銀行ってやつかい?それともナマで女の墓にでも埋めたのかあ?」

屋敷の連中に聞いても誰も知らねえなんてオカシイと思ったんだよ。
いま考えりゃそちらさんが圧力かけてたというわけだ。
・・・まだ、だんまりかい?
交渉ごとはあんたのお得意だろうに。

「あんたが言わねえってんなら、娘のほうに聞くか。それとも、変態ジジイに飼われてた売女の娘らしく、そういう動画でも撮ってやったほうがいいか?五億とはいかねえがそこそこ金にな」
四木の革靴がサイドブレーキを上げた。






無人の道路で、
後輪のロックされた車は甲高い音を立てて、スピンした。
間髪いれずに、布団たたきで布団をたたくような音が三度続いた。
車内は同じ数だけ光った。






道路に黒い軌跡を焼き付けた車のドアが開き、出てきたのは四木ひとりであった。

「シートベルト締めねえから落とすんだ」

四木は折れた携帯電話を拾い上げ、拳銃はズボンのベルトに押し込んだ。
拳銃はつい15秒ほど前まで四木に突きつけられていたものである。
後部座席のドアを閉めかけて「5億4000万か」と呟く。

「俺の女を安く見積もるなよ。829億だ」

バン、と閉められたドアの中では後部座席の二人がシートベルトで縛り上げられ、その足元スレスレに穿たれた威嚇の穴が三つ落ちていた。
後部座席で沸き起こった暴力は一瞬で仕舞った。
にもかかわらず、運転席の男はそれからしばらく、真っ青になって歯をガチガチ鳴らすことしかできなかった。






















***



不思議な事に、四木を拉致した三名はその後四木に追いついてくることはなかった。
四木を探してキョロキョロしながら運転していると、池袋付近で、三軒目の飲み屋に移動中の平和島静雄に衝突してしまい、車内の弾痕など気にならない程度に車をボコボコにされてしまったからかもしれない。



粟楠会本部の電話番号は正確に記憶していなかったが、幸いにも名刺に書いてあった。
公衆電話から四木が把握した限りを報告すると同時に、自宅へ人をまわすよう頼んだ。
四木から金の保管場所を引き出すために、「身内」という常套手段が使われる可能性はきわめて高いと判断してのことだった。少なくとも実行犯は、ガセネタを掴まされて簡単にのせられるような連中なのだから。
自宅の電話番号は記憶にも組の側の記録にもなかった。四木家の電話を通じてと秘密裏に交信している赤林は、こんなときに限って連絡がつかないという。
本部の車を待つよりもタクシーが早かった。






***



家は真っ暗だった。
静けさに、四木は奇妙な緊張感を覚えた。
夜間は常灯しているはずの玄関の外の明かりまでも消えていることに気づいた。
ノブに手をかける
へんにゆっくり引いた。



ドアは

ひらいてしまった。



家の中に駆け込む

階段の上に声をかける。
しんと。
もう寝ているのだ。
寝て、
明かりのスイッチを叩いた。何度も。
明かりはつかない。
靴のままで階段を駆け上がり、感覚だけで子供部屋を開けた。

返事はない。
ベッドから毛布を引っぺがした。
いない。
シーツは冷たい。
何かにぶつかりながら、雨戸をひらいて外の明かりを入れ、そこでようやく子供部屋にの姿がないと理解させられた。
置き時計はクリスマスイブが終わった時刻を示している。
四木は一階に降り、リビングの電気スイッチも無反応であることを知ると、キッチンにあるブレーカーを押し上げた。
一斉に点灯した室内を見渡し、その視線が自分の足元まで来たとき、




息をのむ



一歩下がった。



心拍があがる。
手足が冷たい。
喉がかわく。
血管が千切れ



「四木さん」



はっとして振り返った。
いない。
吐き気を覚えた。
我知らず口に手をあて、加減を忘れた爪がこけた頬に食い込んだ。

「四木さん、いってらっしゃい」

記憶がやまない。

   「なにかあれば携帯に連絡してください」
「昨日も一昨日もその前も聞きました。大丈夫、まだ予定日まで2週間もあるんですから」
         「・・・そうですね。では、行きます」
    「いってらっしゃい」
         「守ってあげてね」
      もやすな やめろ
いっしょにもやして


俺があのとき、行かなければ
そばにいれば
あのときに
あの一瞬の判断を間違わなければ
まちがったから
行かなければ
間違った
そばに
ちがう
今は
ちがう
あのとき
ちがう
俺が
俺さえ
あのときに
おれがっ・・・

糸が切れた。
床に膝をつき、痙攣する手で床の血に触る。
ガリと音がした。
凝固した血の破片が爪の中にうずまる。






“四木は理性のみで生きている”
そう認識されているこの男は周囲の期待通り、不遜にも、感情的に神に祈ったことがなかった。
けれどこの時ばかりは必死にすがって祈って繰り返した。
ぶるぶる震え、
凍えた人間の息をして、
声にならない声で呼んだのは神仏の名ではなく

さんどうかあの子を守ってさんどうか

誰かがこの惨めな姿を見て笑った瞬間、笑った人間が神様にぶん殴られるような姿であった。





























規則的な音がした。
感覚が鈍っている今の四木は、それが何の音だか認識するまでに時間がかかった。
備え付けの電話機からである。
その着信音さえ忘れかけていた。
しかし体はキッチンの床に貼り付いて動かなかった。
『ただいま、電話に出ることができません。ピーっと鳴りましたら』
静か過ぎる室内で、自動応答メッセージはかろうじて四木の耳に届いた。
『あー、っと、四木の旦那、いますかね。ケータイつながらなかったもんでこっちに一応』



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