時刻は、クリスマスイブまでさかのぼる。



「あ゛ー・・・」
ズズズッと赤林は鼻水をすすった。
「いい映画だった」

池袋、サンシャイン60通りはクリスマスムード一色である。
その一角、シネマサンシャインの出口で赤林は感慨深く呟いた。息は白くけぶる。
レイトショーが終わりカップルが続々出てくるなかに混じって、赤林はひとり、ポケットに手をつっこんで「いやー、ほんとよかった」と呟きながら猫背気味に歩き出した。
(泣けた。とりあえずツイッターでツイっとこう)
そう思って律儀に電源を切っていたケータイを取り出し、POWERボタンを長押しすると
「・・・おやおや?」

【 不在着信24件 】

しばらくディスプレイと無言で見つめあい、ため息ひとつついてから発信ボタンをプッシュした。この瞬間、赤林の休日は終わりを告げたのである。
まずは耳からちょっと離した位置にケータイを構える。

通話になった瞬間、音割れするほどの大声がケータイから発せられた。
「いやあ、青崎さん申し訳ない。ちょいとのっぴきならない用事があったもんで。なにかあったんですかい」
その数秒後赤林は、犯行予告と告発文のこと、そして四木を乗せた車が襲撃されたと聞かされた。
現在、行方不明。






***



赤林から備え付けの電話機に着信があって、もうすぐこちらに迎えをやると言われた。
それまでは家の扉、窓、カーテンを全てしめて、明かりを全部つけているように言われたので、はそれに従った。
そうする理由は「着いてから話すよ」と言っていた。

パジャマを着込んだは、リビングでカーテンをひいた窓のそばに座っていた。
家の中は静かだ。
いまは23時。
普段ならばとっくに寝ている。けれど今日はちっとも眠れそうにない。
テレビをつけたところで大人向けの番組ばかり、が見て楽しめる内容ではなかったのでもう消してしまった。
隣の家の音がまったく聞こえない“特殊な壁”で作られた四木邸であるから、室内から音をなくすと静けさはひと際だ。
頼みのつな、お掃除ロボットのルンバは生憎と充電中。
落書き帳とクレヨンは床に、が飽きた瞬間と同じ形で転がっている。

先週の金曜日は楽しかった、とは思い出した。
先週の金曜日は金曜ロードショーがとなりのトトロだった。
その日は四木の帰りがはやく、新聞を読む四木の正面の椅子に座って、はトトロを見た。楽しかった。時折、チラと四木をうかがって、四木もトトロを見ていた瞬間は一番嬉しかった。けれどは途中のCMで眠くなって、いつのまにか寝てしまった。
起きたのは土曜日の朝、ベッドの上だった。けれど、四木はが寝たあたりからトトロを録画してくれていた。
うれしかった。

なのに今日はとてもくるしい。
守れなかった。
悲しませた。
今日のできごとが頭のなかをぐるぐる回って、それがの目をこんな時間までさえさせていた。
目を閉じ体育座りの膝に顔を寄せると、今日見た書斎の闇が頭をよぎった。

コンコン

ノックの音がした。
赤林である。
はよぎった闇から逃げるようにパッと立ち上がり、鍵を開けて赤林を迎え入れた。


ぬうっと手が伸びる。


は咄嗟に身をひいた。
(ちがう)
ただそれだけを理解した。
惰性でドアがゆっくり開いていくと玄関の明かりの下に、見知らぬ男が立っている。
巨躯の影に一瞬サイモンを思い浮かべたがそれも違った。

「ヒヒッ」

図体のわりに変に高い声でを嘲笑した。
「お父さんでちゅよ、ヒヒッ」
は容赦なくドアを蹴り戻し、手を挟まれたうめき声は意にも介さずダイニングに駆け込んだ。
玄関からひとり、ふたりと廊下に上がる音を聞く。
走ったに対して彼らは急ぐことをしない。
勝利を確信しているからだ。
は走る勢いのまま、キッチンで踏み切った。
椅子に右足で飛び乗り、
二歩目でテーブルに飛び乗り、
三歩目でキッチンシンクに飛び移った。
ダイニングに侵入した男を視界のはしにいれた。
シンクの上をすばやく走る。
食器洗い機を踏み台に、斜め向こうの冷蔵庫に向けて跳んだ。







バン、という音とともに家中のあかりが一斉に消えた。
次いで派手な音がした。



冷蔵庫の頭より上の高さにある配電盤まで跳んで、見事ブレーカーを叩き落としたのである。
しかし届いたのは手だけで体は冷蔵庫に激突して落下した。
床にぶつかると鋭い痛みと鈍い衝撃が同時に襲ってきたが、真っ暗闇は痛みの強弱すらあいまいにさせた。

「あのガキか」
「おい、誰か明かりつけろ、イテッ!」

侵入者が椅子や柱にぶつかる音がした。
にとっては明かりなどなくても勝手知ったる我が家である。
音をたてずに彼らの横を通り過ぎ、リビングのほうから廊下へ出た。

廊下の先、
ドアは開いたままになっていた。
外の街頭のせいで廊下の向こうだけは青白く明るい。
暗がりから出ることを躊躇わせた。
リビングとダイニングは隣り合っている。
ここにいてはやがて見つかる。
背後には四木の書斎へ続く扉がある。
目の前には廊下、
ふと気づいた。

ルンバがいる。

あかりがついていないから気づかなかったが、充電中だったルンバは息を潜めて廊下のすみにいる。
足が一歩廊下のほうへ進み出たとき、の側頭部に光りがあたった。

「ここにいたァ」

語尾はわらう。
リビングの側からを見つけたサーチライトは、侵入者の携帯電話から発せられたLED光であった。
下からのあかりが、男の顔に恐怖映画のような陰影をやきつけていた。
の表情が凍りつく。

「暴れんじゃねえぞ。ったく、親子そろって手間のかかる、ヒヒッ」

それを聴いた瞬間、表情を凍らせたままは目を剥いた。
凝視といっていい。



「・・・パパになにかしたの?」



は静かに尋ねた。
表情はなく、唇をほとんど動かさないしゃべり方だったから、まあるく開いた眼の中心に小さな水晶が揺らがず止まっている様子ばかり、男は目を引かれた。
細い首がコキン、と操り人形のように曲がった。



「なにかしたのね」



「あぁ?なんだ、その目は。糞ガキが」

の顔めがけて伸ばされた手は

「およしよ」

廊下の床板に押し付けられた。
ライトがついたままの携帯電話が廊下に転がる。

「ココんちのパパ、あんたらが思うよりすんごく怖い御仁なんだから」

グローブのような手を廊下に縫いとめたのは一本の杖であった。継続するLED光が杖の持ち主を闇に浮かび上がらせる。
これまでにやけていた男の顔が一瞬にして引きつった。
「あ、あかばっ!がっ!」
男の世界は足元をすくわれひっくり返り、名前を叫ぼうとした口には杖が押し込まれていた。
「おいちゃんなんてさ、この前ちょーっとここの家の電話いじくっただけでマグロ漁船のせられちゃいそうになっちゃってさぁあ」
赤林は飄々と続ける。
「船酔いとか結構あるんで無理だよって埠頭で駄々こねたら、あの人ったら大丈夫ですよって言うわけ。どうしてって聞いてみたら“エサの方ですから”って俺のことをなんかもんのすっごい勢いで回転してるギザギザローラーに押し付けようとしてさ、ほんと爆笑で・・・ってちょいおたく聞いてる?」
男はあっという間にひっくり返された混乱と、喉に杖を押し込まれる恐怖とで目をあっちこっちにやって味方を探した。
が、視界には天井と、場違いな笑顔の赤林があるばかり。
「お仲間は向こうでポコーンて殴っちゃったよ」
軽やかな表現でにこやかに赤林が言う。口腔内で杖の深度が深くなる。
「ん゛ん゛!!んがっ、っっ」
「しー」と赤林は唇の前で人差し指をたてた。
「いや、ほら人ん家だからさ」
同時に杖が沈降する。

「ご近所さんのこと考えて静かにヤらな・・・ん?」



倒れた男の頭のすぐ横にが立っていることに気づいた。
赤林が視線を上げたのと入れ違いで、は電源プラグの金属部分を男の眼球めがけて振り下ろした。



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