は空き部屋のソファーに寝かしつけられ、四木のコートが毛布がわりにかけられた。
四木がだいぶ落ち着きを取り戻すと、赤林が彼を呼びに来た。
明け方が近い時分だ、の目はあっというまに閉じてしまった。
四木はこれを確かめてから静かに部屋を出て行った。

は、目をあけた。

窓から出た。
大人では通れないようなビルとビルの隙間を通り抜け、はだしが凍るようなアスファルトを踏んだ。







この子供はこれまでに車の助手席から見た景色を正確に覚えていた。
さらには別々の行き先のなかで見た共通の景色を結びつけ、複合し、徒歩の地図を頭の中で組み上げた。

そうして行き着いたのは、サンシャイン60通りであった。
クリスマスに、幼稚園児が、ケガをして、裸足で、ひとりで、朝4時30分のサンシャイン60通りを歩いていたら、普通の大人なら驚いて声をかけるだろう。

「おまえ・・・何してんだ?」

当然声をかけられた。
声をかけたのは昨晩から飲み屋をハシゴしまくった末に露西亜寿司のモーニングに回帰した、平和島静雄であった。






***



タバコを買いに外に出たものの、12月25日の朝4時30分に、昨日の夜出会った幼児がケガをして、たった一人で歩いている姿を見たら、タバコのことなど頭からスコンと抜け落ちてしまった。
おもての入り口から入ると、他の客に誘拐犯と間違われて通報される気がしたので、露西亜寿司の裏手、従業員入り口から入れてもらった。
店主のデニスが父親の連絡先を知っているというから静雄が頼もうとすると

「だめ」
と子供が言った。
大人たちは目を丸くする。

はサイモンのダウンジャケットに包まれていた。足まですっぽり覆い隠してもまだ余り、前のジッパーを閉めていると黒ヒゲ危機一髪のような姿になっていた。
間抜けな姿だが、しかし真面目な顔で
「パパは疲れているから、だから」
だめ、と。
デニスと静雄は目で会話して、静雄がうなずいた。

「それ、誰に殴られたんだ?」
デニスの方を見ていた視線が静雄へ移動した。
静雄の中では、父親が殴ったのではという疑念が芽生えはじめていた。
虐待があるのなら安易に父親に引き渡すべきではない。

「じぶんで」
「なんで」
「電気消さなきゃって」
「なんで電気消すとケガすんだ」
「知らない人がいたから、見えなくして」

要領を得なかった。
子供の言うことだ。真実を見ていても正確に言葉にすることはできない。
それでも断片的な言葉の中で気になったところを静雄は、繰り返した。
「知らない人?」
ダウンの首の中ではうなずいた。
たどたどしく、下手くそな説明がはじまった。

家に知らない人が来たこと
知り合いのおじさまが助けてくれたこと
はしかの時のおにいさんとおねえさんのところで包帯をしてもらったこと
ずっとパパが心配だったこと、パパが苦しんではいけないこと、がパパを守らなくてはいけないこと、けれどパパは震えて・・・









気持ち悪いほど揺るがないこころの話を聞いた
どうしてそう思うのか静雄は知らなかったし、理解することもできなかった。
だから、相反する意見を言うことにした。

「それ、泣いたほうがいい」

静雄を振り仰いだの目は、朝5時だというのに爬虫類のように見開かれている。

「おまえが泣いてるの聞いたら、おまえのパパは傷つくんじゃなくて晩ごはんおいしいのつくろうって思うんだよ」



おかあさんね、

静雄くんが泣くのガマンするの悲しいよ
おもちゃ買ってって、イトーヨーカドーの床でジタバタする静雄くんの涙は、おかあさん放っておくけどね。
静雄くんが人に見られたくないって思う涙はね、知っておきたいよ。
お部屋ごしでいいからね。
そうしたらおかあさん、静雄くんが降りてきたときに、晩ごはんすごくおいしいのつくってあげられる。




たぶんだけどな、と静雄は最後を濁し、色々思い出してしまった気恥ずかしさを緩和した。

「いいえ」

だが真っ向否定された。
まばたきを忘れた爬虫類の目が静雄を凝視している。

はパパを守るために生まれてきたの」

つぐないを

「そうじゃないなら」

つぐないを






のせいでママ、死んじゃった」






愕然とみひらかれたままの目から、まばたきを忘れたままの目から、

「ごめんなさい」

涙が

「ごめんなさい」

ポタ
ポタポタ

が生まれるより、がいなくてママが生きていたほうがパパはずっと幸せだった」

つぐないを

「ごめんなさい」

パパ

「ごめんなさい」











「そういうことは中学生になってから悩みなさい!!」


ビィン、と響いたその声には聞き覚えがあったが、聞いたことがないほど大きな声だった。
さっきまでデニスがいたはずの場所に四木が立っていた。
ははっとしてダウンの首のなかへ姿を隠す。びっくりした亀のようだった。
つかつかと四木が歩み寄り、ダウンの首からやや乱暴ともいえる所作での体を引っ張りだした。

ギロと睨まれ、が怯んだ瞬間にガーゼと反対側の頬が引っぱたかれた。
引っぱたかれたことにびっくりする前に、びっくりするほど強く抱きしめられて、はびっくりの極致の両端の断崖絶壁に立たされた。

さんはそういう意味で言ったんじゃない」

抱きしめる力が強すぎて、お腹から息が絞り出されてしまった。










***



「・・・・・・・・・生まれたのウソがよかった」

抱きしめ続ける。

「ママが生きたら、しんでも嬉しい。そうしたらパパかなしくない」

頭と背中と。

「・・・私は、が生まれてきたのがウソではなくてよかった」

するとの手がシャツの背をぐぐっと引っ張った。
それから、火がついたようにというにはあまりに弱弱しい泣き声が聞こえはじめた。

、いい子ですね。大好きですよ。パパのことを考えてくれていたんですね。いい子、いい子」

もういいんだと、口をついて出そうになったがそう言うのは残酷な気がした。
それはきっと、自分にさんのことをもう思いやるなと言うのと同じことなのだ。
なんと言ったら、すべて、この子の心にかかる子供らしからぬ子供らしいもやもやを取り払えるだろうか。
いい子だと
いい子だと
それ以外に表現できる言葉が見つからない。
けれど合っている。
このこは、いいこだ。



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