●北風と臨也

「シズちゃんが身ごもったって聞いて来てみれば、なにこれ修羅場?」

折原臨也は眼前の風景を笑う。
上半身裸でベルトをはずしかけた男がアパートのドア口に、廊下に立たせた女を泣かせている。

「脱ぐとか脱がないとか隣近所まで丸聞こえだしさ」
「この・・・どこからわいて出やがった!」

ファーの襟首を掴むべく突き出したこぶしはひらりとよけられ、臨也はの後ろにぴたりと張り付く。
の首の横から前に腕をとおし、にやにやして見せた。

「てんめえ・・・っ!」
「だめだよシズちゃん、恋人の前で暴力は」
「恋人じゃねえ。つかあと三つ数えるうちにその人から離れねえとドタマ両側から殴り潰すぞっ」
「さんにーいちゼロー!三つかぞえたよ?」

ケラケラわらう臨也に鉄拳を振り下ろすにはとの距離が近すぎる。
静雄のこぶしはわなわなと震えるばかりだ。
臨也に羽交い絞めにされたは静雄に手を伸ばした。
助けを求めているのだ。
咄嗟に静雄がその手を取ろうとする。と、細い手は通り過ぎ、静雄のベルトを掴んで下へ引っ張った。

「待っ、諦めてなかっ・・・!さん、タンマ・・・ウェイト!トランクスも一緒に掴んでるからっ」

下へ引っ張る力と引っ張らせまいとする力がせめぎ合う。

「脱いでください」
「無理ですって」
「脱いでください」
「無理っ!」
「恋人になるのに見てはいけないのですか」
「や、恋人ってのはもっとよくお互いを知ってから」
「私には時間がないのです」
「そりゃ知ってますけどっ」

珍しや。
天敵が目の前にいるというのに、平和島静雄はズボンを死守することに専念し、臨也が視界のはしにも入っていない。
折原臨也は細い眉を歪ませて苛立ち半分、当惑半分。

「なにこれ・・・。彼女ビッチなひと?」
「ビッチとか本人のまえで本当のこと言うんじゃねえ!失礼だろうが」
「じゃあもしかしてこのまま俺がおっぱい揉んじゃっても喜ばれちゃったりするわけ?」

言ってるそばから右手をささやかな胸の輪郭にそわせた。
さらには臨也の左手は、静雄へ伸びる指先をつかまえもてあそぶ。
怒髪天をつく静雄を見、臨也は勝ち誇ってにやりした。

「邪魔です」

ドッ
という音がして臨也が消えた。
人を吹っ飛ばすほどの突風になびいていたの長い髪が、いまゆっくりと彼女の背にもどってきた。
静雄は、一階にも地面にも臨也の姿を見つけられず、暗い空を見上げた。
夜空は雲がものすごい速さで流れて行くばかりだった。






●北風と貞節

どどう、と風がアパートの壁に激突する。
アパート全体が揺れ、天井から何かの破片が落ちる音がした。

「どぞ、ホットミルクです」
「ありがとうございます」
「そういえば名前いってなかったスね。平和島静雄です」
「平和島静雄さん」
「静雄でいっすよ」

平和島静雄はすこぶる機嫌がいい。
「邪魔です」とが言った瞬間に風が吹いたのは偶然だけど、それでも不思議な力を信じたくなるような胸にぐっとくる光景だった。
小さな子供が留守番している家にウルトラマンが訪ねてきたら超ウェルカム状態になってしまうがごとく、を厚遇した。

「あ、俺手洗ってねえ。さんはゆっくりしていてください」

そう言い置いてユニットバス兼洗面所で手洗いとうがいをした。喉をガラガラしながら(あのヒョロヒョロ野郎、風に吹っ飛ぶくらいのやせっぽちがあだになったな!)とまだうれしさの余韻が続いている。洗面所を出るとまん前にが立っていて、静雄にこう尋ねた。

「お借りしてもいいでしょうか」
「どぞ」

てっきり「洗面所を借りていいか」と聞かれたのだと思った。しかし、数秒後静雄が聞いたのはシャワーの音だった。
度肝を抜かれた。
心拍数が上昇した。
血行が良くなって鼻水がたれたのでシャツで拭ったら鼻血であった。



(ど)

右の鼻の穴にティッシュをつめた静雄の脳はフル回転する。

(どどどどうすりゃいいんだ。いま脱衣所に入っていって「なにしてんですか出てください」って言っても今更だし、つうか脱衣所にはさんの脱いだパ、パン、ツとかが置いてあるわけで入るのはさすがにのび太さんのエッチ、だよな・・・。あ、脱衣所のドア越しに声かければいいのか。いやいや、別にシャワー使うのは構わないけど使った後いったいどうする気なのかが問題なんだ。まさか泊まる気じゃないよな。寝てるすきに俺の服を脱がそうと画策してるとか・・・)

脱衣所の扉の前でノックの形にこぶしを握ったまま、いつまでもノックできない。

(寝てるすきにって、すげーあり得る。でもそれって、それって・・・いわゆる夜這い)

想像して、ぷうっと顔が赤く染まる。

(ア・ホ・か!女子か俺はっ。・・・っても、あの顔にそんなんされたら、おれ、色々無理・・・)

静雄は扉の前に崩れ落ちた。

(状況が幸福MAXすぎて怖い)

両手両膝をついてうなだれる。
けれどはっと気づく。

「なんで泊まらせることにしてんだ俺」

部屋の主は自分である。
風呂から出てきたら帰ってもらえばいいだけのこと。
滑稽なほど簡単に答えはでた。

「静雄さん」
「あ、はい」

シャワーの音に混じって扉の向こうから声がした。

「あの・・・」
「もしかしてシャワーのお湯出ないですか?一回止めてからまたひねると出ると思うんで」
「シャワーは大丈夫です」

の言葉は淡々と続く。

「静雄さんの服をお借りできないでしょうか」






















幸  M A X !






●北風と一夜

そしていま、
さんは俺のTシャツをワンピースとして纏い、その上からパステルピンクのフリースを着ている。
俺はスウェットの上下というおやすみスタイルだ。だのに目と脳がまったくおやすみしそうにない。
俺は部屋の隅に体育座りしてお経と聖書の言葉を唱え続けた。
帰ってと切り出せなかった懺悔だ。今夜マチガイが起こりませんようにという祈りでもあった。
たまに泊まりに来る幽用に布団は二組あるため、同衾はしなくて済むことは幸か不幸か。



成り行きに逆らえず、布団の間に30センチの隙間を開けて左右の寝床に別れ、電気を消した。
ケータイだけが二つの布団の間で充電中を示す青色LEDを(ポ)と光らせている。



俺が目をギンギンにして天井を見つめていると、さんの声がした。

「静雄さん、起きていますか」

「へい」

返事さえ噛む始末。

「くだらない競いごとに巻き込んでしまってごめんなさい」

静かな声だった。
ちょっと落ち着く。

「競いごと?そいや、最初も勝負とかなんとか言って」

枕の上で頭の向きを変えるとさんがこちらを見てるのがわかった。
黒目に青い光が映りこんでいる。
ケータイのあかりのせいだった。
なんか、修学旅行みてェ・・・・・・・・・じゃ、ねえ!
びっくりして俺は天井に顔を戻した。
全然修学旅行じゃねえ
性別が修学旅行じゃねえ!



「私と太陽はこれまでに何度も勝負をしているのです」

タイヨウ?
さんはまったりと話を続ける。
目があったのに寝たふりするわけにもいかない。

「勝負ってどんな」
「色々です。本当にたくさんありすぎて」
「いつから」
「もうずっとむかしから」
「幼馴染」
「そのようなものです。そしてどうしても勝てないのです」
「一度も?」
「一度も。思い返せば私がどうあがいても勝てないような勝負ばかりをしてきたように感じます。それでも負けっぱなしはつらいのです」
「・・・タイヨウさんって、男すか」
「・・・」

返事が返らなかったのが不思議でチラとさんのほうを見てみた。
さんはきょとんとしていた。
俺は変な事を言ったろうか。

「や、別に深い意味はなくて!男だからどうってことは、ないんすけどっ」

さんの男関係が気になってとかじゃなくてっ、ほんと、ちがくて

「太陽を知らない方に会ったのははじめてです」

ふうん、有名人なんだ

「見る人によっては女の人にも見えますが、私には男性に見えます」

中性的なひとなのか。

「どういう人ですか」
「キアヌ・リーブスに似ています」
「マジすか!?」

そんなんぜってえ俺には勝ち目が
・・・ん?
んん?!

急に心臓がボカスカ跳ねた。
布団を頭までかぶる。
勝ち目ってなんだアホかアホだ俺は!

「・・・静雄さん?」
「おやすみなさい!ね、寝込みは絶対襲ったりしないでください。俺、あの、寝ぼけると、その・・・プ!プロレス技!そう、プロレス技かけるって巷で評判、なんで」
「はい」

素直な返事に心臓がまた跳ねた。

「あしたになったらまた方法を考えようと思います。おやすみなさい静雄さん」

寝返りをうつ音が最後だった。





たぶんそのタイヨウという男はさんのことがすきなのだ。
さんがフワフワしてるのをいいことに、勝てる勝負ばかり挑んで、負かして、ニヤニヤしているんだろう。
好きな子をいじめている小学生のような男なんだ。ノミ蟲に似てる気がする。
がぜんさんを勝たせてあげたくなってきた。
でもさんを勝たせるってことは俺がさんに脱がされるってことでそれってつまりあれがこうでこれがああああああああ・・・興奮してわけわかんねえ。もうやだ。俺もあした考えよう。

地震のように部屋を揺らしていた風はいつのまにか静かになっていた。






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