●北風と電柱のかげ

今日最初の取立て先は池袋西口側の埼京線沿いにある。歩いて15分だ。
移動中、ベラベラしゃべる俺をトムさんは文句も言わず「うんうん」と聞いてくれた。

「そんで、なんかその幼馴染の男に負けてばっかりだっつって、さいごに、あ、さいごってのは何の最後かは聞かないでほしいんすけど」
「おう」
「俺しか協力できないんで、まあ、俺もなんとか勝たせてやりたいつーか、さんも妥協はしないぽくて頑張ってるし。・・・俺、一生懸命なやつ嫌いじゃないスから」

俺の服脱がすのに一生懸命で俺のことは眼中にないくせえけど。
トムさんはどこかうれしそうに「そかそか」と笑った。

「今どうしてんだ?」
「今は俺んちで、安静にしてるように言って」
「具合悪いのかあ」
「あんまよくないみたいすけど、朝飯に肉くわしたから大丈夫だと思います」」
「はやく元気になるといいな」
「そすね。元気になったらちゃんと時間かけてその・・・色々、ちょっとずつすすめていけると思うんで・・・ほんと、そすね」

トムさんは「そかそか」とまたうれしそうだ。

「んじゃ、今日の帰り精のつくモン買ってくべ。トムさんからのお見舞いだ」

うお、ナイスアイディアすぎる。
さすがトムさん!

「オー栄養満点オサガシネ?お寿司イイヨー」

「よっ、サイモン」

トムさんが軽く手をあげた。
サイモンは手に寿司桶を持って、出前の途中なのだろう。

「お魚栄養マウンテン、海の幸なのに山モリヨー。女の子美肌効果アルヨ。日本の古いコトワーザ。頭テカテカさえてピカピカそれがどうしたボクサイモン」
「サイモン、それことわざじゃないぞ」

遠ざかるサイモンの背にトムさんが声をかけたが聞いてんのかはわからない。
でも寿司か
寿司

さん、寿司好きかな・・・」
「きっと好きだよ」
「すね」

なんだかこそばゆかった。



***



田中トムは上機嫌におしゃべりする後輩を見て
(今日はヤリスギもなく仕事こなせそうだな)
とほのぼの思っていた。

さっきから頬っぺたあけーぞ静雄。

そんな調子でぽっくらぽっくら歩いていく平和島静雄であるから、まさか後ろの電柱のかげにが潜んでいるとは気づかなかった。
はじっとかげに身を潜め、背後から接近するシミュレーションを繰り返していた。



うしろからこっそり近づく
  ↓
最接近する手前で勢いをつけ
  ↓
ホップ
  ↓
ステップ
  ↓
ズボン
  ↓
スポーン



「ホップ、ステップ、ズボン、スポン。ホップ、ステップ、ズボン、スポン・・・」

「紀田くん、さっきからあのピンクのフリースの女の人が無表情で呪文唱えてるんだけど」
「シ、見ちゃいけませんっ。でもキレイなオネータマだなぁ〜デヘ、前言撤回!ナンパしようぜ帝人っ!」
「シ、行っちゃいけません」
「えー、いいじゃん行こうぜ行こうぜ行こうぜぇ」
「だってほら見て。この通りの先で静雄さんがチンピラに絡まれてる」
「うん逃げよう」






●北風とパンチ

「どぅおりゃぁああああああ!」

中空を高速回転している間に服が脱げていき、向かいのビルに激突したときにはチンピラはパンツ一丁になっていた。
哀れなチンピラの襟首を掴み上げ、なおも静雄はこぶしを

「おーい静雄、そろそろ行くべー」
「・・・うィす」

殴ろうとした手をピタリ止め、猫背気味に田中トムのあとについていく。
電柱にかげからこっそりと池袋の日常風景を見ていたは、いたく感銘をうけた。
作戦変更だ。

「静雄さんっ」

電柱のかげから飛び出した。
わき目も振らず静雄に駆け寄っていく。



「ん?・・・ぁ、さん家で休んでなきゃダメだって言っ」

「どおりやあ〜」



気の抜けた呪文を唱えながらの右グーパンチが静雄の腹筋へ叩き込まれた。

ポキン

かわいい音がした。
静雄は自分の腹を見た。
よくない方向にほそい右手首が曲がっているのを見た。
表情にとぼしいはずのの目がじわっとうるんだのを見て、静雄は声にもできず絶叫した。



***



【  静雄の彼女、湿布だけで済んでよかったな  】

「そうだねセルティ」

微笑み返して新羅はコーヒーに口をつける。
カップのふちからちらりとドアを見やった。
手首がぽきんとなったのを目の当たりにした静雄はをおんぶして新羅の部屋に突進してきて、そのカタチのままにドアには穴が空いている。
静雄の彼女の中身はおばけと言って正しい構造をしていたけど建前で湿布だけ貼っておいた、とは口が裂けても言えない。
セルティがおばけを怖がるからね。







●北風とペンまわし

「トムさん、人に好きになってもらうにはどうすればいいのでしょうか」
「んん?」

公園のベンチでとトムは並んで座っていた。
はポキンのあとしこたま静雄にお説教をくらったらしく、今は肩をおとしている。
さしずめ「だから俺は好きな人の前じゃなきゃ脱がないって言ってるでしょう!」とでも言われたのだろう。

「静雄さんは人に好きになってもらう方法をご存じないと」
「そっか」

トムはベンチの背もたれに腕をかけて背骨をそらせる。平和に取り立てられる日なんてのは夢まぼろしなんだろうか、そんなことを考えながら。
静雄は公園のおもてにある自販機まで飲み物を買いに行っているので、今は二人だけだ。
面倒だと思いつつも、そんなにしゅんとされると放っておけない。
トムは自分の拾いぐせも仕事がスムーズにいかない原因のひとつなのだろうと苦笑した。

「うーん、そうだなあ。シラフで言うのはちょっと恥ずかしいけど」



***



缶を三つ抱えて戻ると、ベンチでトムさんとさんが仲良さげにおしゃべりをしていた。
耳打ちなんかして、秘密の会話だ。
近寄りがたい。
俺は少し離れたところで立ち止まっていた。
そんな俺にトムさんは目ざとく気づいてしまう。

「おー、あったか〜い来た」

俺は平静を装って接近を再開した。

「トムさんボスの微糖でよかったすよね。・・・内緒話すか」
「ん?ああ、うん、別に大したことじゃねえよ」

トムさんは「大丈夫大丈夫」と言った。
大丈夫って、別に俺、全然大丈夫すけど、全然。

「・・・さんおしるこどうぞ」

「それならきっと私にもできます」

差し出したおしるこは受け取らず、さんの声はトムさんに向いていた。内緒話の続きだろう。
トムさんは穏やかに笑う。

「そう」
「そうです。もうできていると思うもの」
「そっか」

俺だけ何の話をしているかわからない。
気になるから教えてと二人に言いたいのに、感傷的でかたくなで透明な何かが邪魔をする。
手にはさんのためのおしること俺のための牛乳オ・レ。
缶がみしと小さく鳴った。

「心配すんな静雄。ペンまわしの極意教えてたんだよ」
「え?ペンまわし?」
「そう。そうしたらもうできてるってさ。師匠ぶったのにおせっかいしたわ」
「なんだ!そうだったんすか。あ、さんおしるこ!熱いんで気をつけて。冷たいのって言われましたけどさん体弱いんスからこんな寒い日に冷たいのは絶対だめすよ」
「熱いのは苦手です」
「ああ、猫舌」
「いいえ、とけて消えてしまうから」
「溶岩飲めって言ってるわけじゃないんスから。それともおしるこ嫌だからそんなん言ってるとか?牛乳オ・レのほうがよければコレ」
「おしるこで大丈夫です。平和島さんからのプレゼントですから」
「え、あ、いや・・・120円ぽっちなんで・・・全然」

「・・・あちち」
「トムさんも猫舌でしたっけ?」

トムさんはコーヒーにもう一度口をつけ、肩をすくめただけだった。



***



耳打ちした、シラフだとちょっとはずかしい、ペンまわしの極意はこうだ

「誰かに好きになってもらいたいなら、まずはその人を好きになることだ」






●北風と春一番

「お、静雄、ちゃん。なんかイベントやってんぜ」

次の取立て先へ移動中、トムさんがおもむろに背伸びした。
横断歩道の向こうに人だかりができている。
幽だったりするんだろうかと思って俺もそっちを見た。

『今日のイベントのスペシャルゲストはアントニオ猪木さんのモノマネでおなじみ、春一番さんでーす』
『元気デスカー!』

このアナウンスを聞いたさんは突然顔をあげて、俺の袖を引いた。

「あの男が私をおびやかしているのです」
「まじすか。殴ってきましょうか」
「やめとけ静雄」






●北風と春

道を挟んで向かいにマンション、トムさんの姿はその四階のドアの前だ。
さんを連れていては仕事にならないので、取立て先にはまずはトムさんだけで行き、俺はトムさんが見える場所でさんと一緒に待機していることになった。
家に閉じ込めても鍵は内側から開けられる。縛ったり閉じ込めたりするのは、違うと思うし。
「おとなしくしててください」と俺がちょっと怒って言って以来、さんは大人しい。
つーか具合が悪そうだ。
さっきから夜の電車でつり革持ったまま寝る人みたいな動きをしている。
冷たい風に吹きさらされていることも体によくないに違いない。

「寒いですか」

さんは首を横に振った。
振った勢いであっちへふらふら、こっちへふらふら。

「・・・さん、こっち立って」

言ってもふらふらしているばかりなので手首を引っ張って俺の風下に置いた。

「手ェめちゃ冷たい」

握った手首の温度にびびった。
手のひらを持ってみたらそっちも冷たくて、けれど指はすり抜けていった。

「もとからです」
「体温低いひとだ。弟がそうなんすよ。水銀の体温計だといっつも下のほうで」
「人はみな、私のことを冷たいといいます」
「そんなヘコむことないって。手が冷たい奴は心があったかいって有名じゃないすか。だから元気出してください」
「こころが?」
「心が」
「・・・」

さんはずいぶん間をあけてから、コクンとうなずいた。
前方を見つめたさんを上から見下ろす。さんの口元が、ほんの少し笑ったように見えた。

「元気でました」

おお
なんか
うれしい

誇らしく胸をはる。
こっそり見ているのも悪い気がして俺は真上を見た。
道に沿う街路樹はすべて桜だった。
まだつぼみだけれど、つぼみはどれもこぼれそうなくらいふくらんでいて、あちこちにピンク色が見えた。
咲いたらこの道すごそう。

「はやく春になるといいッスね」
「・・・静雄さんは、春が好きですか」
「好きすね。桜かっこいいと思うんで。あったかいし」
「そう」
「花粉症の人だって花粉さえなかったらきっと春好きですよ、みんな」
「みんな」

ぽつり呟いたさんの声はどこか消沈したような響きがあった。

さんは春嫌いなんですか・・・あ」

春までもたないって、そうだった。
俺のバカヤロウ!

「ぃや、大丈夫、さんは春もその先もずっと元気ですよ!絶対!」

慌てて元気づけるとさんはやさしい顔をした。
俺はほっと・・・しない。なんでだろう。
桜のつぼみを見上げさんは俺と同じ言葉を、ちがった調子で言った。

「・・・はやく春になるといいですね」



びゅおうと強く吹いた風は、どこか生ぬるかった。






●北風と遠景

「あのぉ、取立て屋さん。もう払ったので帰っていただきたいんですが・・・」
「まあそう言いなさんなって。二人寄り添って桜のつぼみなんかうっとり見つめちゃってる中にどうやって帰れってんだよ」
「はあ・・・」

田中トムはそれから実に30分もの間、取立て先の玄関から出てこなかったという。






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