***数年前***
そつろん、というのを紅葉は早々に仕上げたらしい。
もう講義に出なくていいのに大学へ行こうとする。
俺は眠たかったし寒かったし練習には参加できない。
眠かった。寒かった。暇だった。イヤだった。
朝、行くな行くなと紅葉のコートの裾を掴んでいたら、気づくと階段教室だった。
おじいちゃん先生がむにゃむにゃよぼよぼとなにか説明している。
大きな教室にはその先生がひとりと、最前列中央にガリ勉FWが一人、中盤はがら空きで俺と紅葉は右サイドバック、左サイドバックには爆睡くん、センターバックは最終ラインに二人、ずっと互いの体を触りあっている。
俺はフードをかぶった頭を紅葉の肩に預け、紅葉のノートを見つめた。
紅葉の手はよく動き、ノートを英語じゃない外国語が埋めていく。
俺は紅葉に借りた学生を装うためのダミーノートにシャーペンでワッシを書いた。シャーペンを持つのが久しぶりでほんのすこし楽しかった。
すぐ飽きて、
ついた頬杖はだらしなくくずれ、
机にべったり頬を置きながら講義の終わりを待った。
高校の頃を思い出す。
国内ならまだしも海外遠征も多くて授業は出席できない日が増えていった。
授業に出られたとしても疲れとわからないのとで授業中寝ていると、地学の先生は困った顔で「持田はサッカーが100点だからなあ」と、H2という野球マンガと同じことを言って起こさないでいてくれたらしい。クラスの奴から聞いたはなしだ。
そんな調子だったからテストの点もひどかった。
期末テストが戻ってきた日に家でじいちゃんの前に正座させられた。
俺へ差し向けられる怒りを二分の一にすべく、紅葉まで俺の隣で正座していた。
「紅葉数学何点?」
「100点」
「ブハッ!俺10点。やっぱ似てるな俺ら」
直後にじいちゃんの雷が落ちた。
楽しかった。たくさんサッカーした。たくさん勝って、三年間で部活が休みの日は3日しかなかったから家ではいつもくたくたで、でも家も楽しくて、足はいつだって思いどおりに
「・・・」
ふと、俺のノートのワッシの頭上にチューリップが書き込まれた。
肩にもたれかかりなおして、目を細めた。
紅葉は何も聞かないでいてくれる。
フードの頭を摺り寄せた。
***数年前***
「これ、あげる」
「なにこれ」
集合時間厳守とシロさんから言われていた。
今からまさにマンションの部屋を出ようという俺に紅葉は紐を差し出した。
手のひらに落とされたそれは緑と白の糸で組まれた細いミサンガだった。
じっと見る。
「・・・チームカラー?」
芝生のような緑と白は東京ヴィクトリーのチームカラーだ。
これから着る青いユニフォームよりは体に浸透している色である。
「うん」
「作ったの?」
「うん」
「紅葉ってさ、けっこう器用な」
「ううん」
「願いごとは」
「勝利」
「いいね」
気に入った。
ミサンガは右足首に結んだ。
天然芝に試合用のシューズのつま先を叩く
うえを眺めてみた
満員の夜にはためく青いビッグフラッグ
歓声が聞こえるのに心音がきこえた
円陣が結ばれゆく
下を向く
(円陣のなかで俺の右足こそ最強)
緑にたたきつけた 声 の振動は足の裏から頭蓋を突き抜け顔を上げる
前を向く
もう前しか見ない
王様は汗だくで駆けて蹴ってぶつかって転ばない、蹴って先へ。
吹っ飛ばされて追いついて、騙して奪って膝の裏を蹴られて奪い返され「笛吹けよクソ審判!」「持田っ、審判リスペクト」「わかってるっ」ボールを追いかけた。
コーナーから描かれた白くやわらかな曲線は相手ディフェンダーに弾かれて美しかった軌道をはずれた。
こぼれた先、ノーバウンドのボールに頭から突っ込んだ。
突進の勢いで地面に蛙のようにつぶれた王様はゴールネットがか弱い音をあげたのを聞いた気がした。
長い沈黙
空耳か
つぶれてなお王様は前を見ていた。
1点
脊髄反射で跳ね起きた。
トップスピードで駆けて本能で絶叫した。
突き上げた両の拳でサポーターの声が国立競技場の空へ打ちあがる。
全方位からチームメイトの突進をうけ王様はまた蛙みたいにつぶれた。
たった1点
逆転だった。
明日からはホテルで缶詰にされて連日取材が続くというから、ケータイの充電器を取りにいくと嘘をついて明け方近くにマンションに戻った。
電気がつけっぱなしのリビングに日本代表の10番があおむけで倒れていた。
だってほら、確かに日本代表の10番の青いユニフォームだし俺の顔をしてる。
テーブルのうえにはじいちゃんとばあちゃんの写真が、色の帯があるだけの試験放送を映すテレビの方を向いていた。
「勝ったよ」
まずはじいちゃんとばあちゃんに小さい声で報告した。
それから紅葉の顔の横に座って、真上から声を落とす。
「ただいま」
脊髄反射で目がひらき俺の首に跳びついた。
「おかえり」
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