6月26日 月曜日



貴重な休日
たっぷりの睡眠
愛しいまどろみの朝
連打されるインターホン
モニタに映し出された邪悪

「シロさんいるんでしょ、わかってんだから」

モニタをONにしてはいるが一切しゃべらないでいた。
朝が俺のキャプテンシーを損なわせる。
しかし情け容赦なくインターホンは連打され続けた。

「・・・借金取りみたいなことをいうな、持田」
「ほらいるじゃん」

黒いパーカーのフードをかぶった持田は、モニタの魚眼レンズに向かって目を近づける。
迫力のある大きな目がいっそう凄みを増した。

「・・・」

否定的な言葉をグっと飲みこむ。
相談事があるならば追い返してはならない。それになによりエントランスでああも騒がれては近所迷惑だ。しかたなく自動ドアの開錠ボタンを押した。
持田があがってくるまでに歯ブラシを口につっこみ、一度ケータイを見たが特に連絡は来ていない。
真実、突然来たのだ。
嫌な予感がした。
そもそも悩み事を人に相談するような奴ではない。エントランスを開けてしまったのは間違いだったのではなかろうか。
持田の餌食となるようなものは出ていないだろうか。部屋を見渡してみる。キッチンは昨日と一昨日の洗い物が積まれているが幸いリビングは人を招けないほどではない。服はTシャツとジャージ。着替える時間はないだろう。洗面台の鏡に向き合うと頭の上で寝グセがはねていた。
急いで口をすすいぎ、ヒゲをあたったところで

ピンポーンピピピピピピピピンポーン

襲来が告げられた。
ニベアフォーメンを両頬にバシっと叩きこんで覚悟を決める。
開けた扉の向こう、持田はこちらを見下すように

「レアチーズケーキください」

と言った。
こちらのほうが身長が高いのにどうしたらこんなに人を見下す表情ができるのだろうか。

「おまえなあ・・・」
「やっぱり約束してない」
「したって」
「だってシロさんそんなふうには」
「したよね?約束。二人でうち来いって」

バタン
閉めた。

「ぶはっ!ちょ、なに閉めてんの。ウケるー。開けてよ、開けてってば」

ドアを背にして俄然バタつきはじめた心を必死に整える、整わない!!

さんまで連れてきているとはまったくの予想外だった。
女性を招く準備なんてしていない。まず服がまずい、汗臭くはないだろうか、ねぼけた顔がまずい、髪がまずい、部屋は未コロコロ未ファブリーズだ。本当にチームの誰か、いい加減あいつに道徳と礼節の指導をと思いかけてその役目は自分だったと思い出し、いっそう頭を抱える。

・・・とはいえ、

さんがくっついてきているのでは門前払いするわけにもいかない。
30秒かけて観念し、ドアを開けた。



「めちゃくちゃにしてやりまーす」

お邪魔しますのかわりにそう言ってまず持田が入ってきた。
同じ顔がその後ろから「お邪魔します」といたく申し訳なさそうに肩を小さくして入ってきた。自分の脱いだ靴と持田が放った靴を息をするように自然に揃えると、さんはリビングの入り口に立ったままそれ以上は入らずに、もの珍しそうに部屋を見回していた。その姿に男の部屋に不慣れな感を見い出し、思わず心の中でガッツポーズをしてしまった。
一方、同じ顔をした男のほうはなんのためらいもなく城西宅の冷蔵庫を開け、「ビールしかない!」と爆笑していた。
さんは持田をたしなめたが持田は聞かない。さんの苦労を思いやりシンパシーを禁じえなかった。
持田は閉まっているドアというドア、引き出しという引き出しを開けに開けた。開けて中を見「つまんね!」「つまんね」「つまんねえ・・・」とだんだんテンションを下げていく。それはそれでなぜかくやしい。

「どうすんのシロさん。これじゃレアチーズケーキ作れないよ」
「そんな急に言われてもあるわけないだろう。まだ朝食だって・・・そういえば二人は食べたのか」
「まだ」
「わたし買ってきます」
「え、待っ、さんっ!?」

若草色のワンピースがひるがえって玄関へ向かった。
(あ、今日スカートなのか)と気をとられて思わず思考が止まった瞬間、持田が開けてはいけない引き出しを開けたのを目の端にみとめ後ろから羽交い絞めにして阻止した。うしろで玄関が開く音と閉まる音が聞こえた。

「・・・あーあ、あいつに行かせないでよ」

羽交い絞めをいいことに持田は全体重をこちらへまかせてきた。
見せられない引き出しから離すためアスリート一人分の身体を引き摺り、ソファーに振り落とす。

「まったく、急にさんまで連れて来て。どうしたんだ」
「べっつにぃー」
「来いとは言ったがな、もてなそうにもこれじゃあ用意ができないだろう」
「うん」
「うんって」
元気ないから連れてきた」

ソファーにだらしなくそして我が物顔で座る持田は、眠たげにそう言った。さっきまでのテンションは演技で、いまはじめて真実を言ったのだとわかる。胸のうちの苛立ちがたちまちに霧散した。

「・・・なにかあったのか」
「疲れてんの」
「じゃあなおさらおまえたちの家のほうが」
「あそこにいると俺の世話しちゃうじゃん」
「気の毒だ・・・」
「ハッ、シロさんぶれい。だからさあ、シロさんにご飯作ってもらってゆっくりさせようと思ったのに買い物行っちゃったら休めないじゃん。あいつ夜勤あけなんだから」



***



シロさんほんと空気読めないよねえと顔を向けた先、外に強く弾かれた扉がゆっくりと閉じていくところだった。

「・・・寝グセくらい直しなよ、城西キャプテン」

持田はソファーの背もたれに首を預け、目を閉じた。

、きこえますか
いまシロさんがそっちへいきました
おれは大学芋が食べたいです
あと、一緒に眠ろう


***


マンション前の通りの角でケータイの地図を見ながらきょろきょろしていたさんを見つけた。
春よりずいぶん痩せたような気がする。遠めに見ると華奢な体つきがいっそうよくわかった。ノースリーブにさらされた白い肩が夏の日差しにじりじり焼かれている。
走って追いつき、自分が行くから部屋に戻るように伝えた。

「でも」
「でもじゃない」
「・・・」

気圧され、さんはこくりと頷いた。
怒られ萎縮した様子で、たたんで持っていたエコバッグをこちらへ差し出した。
怒ったわけではなく、走ってきた勢いで言葉を出す勢いを間違えただけだった俺はこちらこそ申し訳なくなって、努めて言葉を丁寧に戻す。

「これをかざすと下のドアが開きますので。部屋番号覚えていますか」

エコバッグと交換に非接触式のキーを渡す。

「はい、覚えてます。ぁ、シロさん」

指先にちょいちょいと呼ばれた。
わからないが呼ばれたまま頭を寄せると頭上ではねる寝グセにさんの手がかぶさった。髪の流れにそうように撫でつけて、手が放れるとまたハネた。

ポン。ナデり
ポン。ナデり

情けなさとも恥ずかしさとも嬉しさとも言えない感情が爆発的に芽生えた。
震えだした手でポンナデりを制し、「アチラヘ」とロボットのベルボーイのように進行方向を手のひらで指し示した。






ねえあれ日本代表のひとじゃない?サッカーの
わ ほんとだ 見たことある すごっ
日本代表って普通にコンビニとかくるんだ
めっちゃ背ぇたかい めっちゃかっこいい めっちゃジャージ
朝食がコンビニとか切ない 案外私生活地味なんだねえ
でもさっきからずっと電球のトコ見てるけど
電球を吟味してるんじゃん?
超謎






コンビニで心を整えてから部屋に戻ると「あさごはん」のにおいがした。
のぞいたキッチンにさんの後ろ姿があり

「おかえりなさい、シロさん」

と振り返った。

「勝手にすみません、蓮がお腹すいたってうるさくて。あとでちゃんと食材は」

遮って電子レンジが何かを温め終わった音をあげた。
いつぞやタッパに小分けしておいたご飯をさんの手が取り出してアツッと

「あ、俺が」
「ありがとうございます。お味噌汁もう少しでできますから」
「・・・」

ぐっときた。
なんだこれは
こ、これではまるで

「ふ〜ふみた〜い」

耳元で悪魔が囁いてギャハハ!と笑い転げた。






***



正月以来の味噌汁の味が独り身の体にしみわたる。
この時間スーパーはまだ開いていないから、俺がコンビニで買ったのはどれも酒のつまみのようなおかずばかりだった。味噌汁様の前に申し訳なく差し出すと「すぐに食べられますね」とさんが笑った。俺が二日間ためてしまった食器はすべてきれいに洗ってあった。正直お嫁さんにしたかった。
まともなものを揃えられなかったお詫びに買ってきたコンビニデザートのスイートポテトを取り出してみせたら、「なんでシロさんに通じちゃったかな」と持田が不満そうにつぶやき、俺の首をかしげさせた。



遅めの朝食を終えようやくまともな私服に着替えてリビングに戻ると、テレビには昨日録画したドイツ・ブンデスリーガの試合が映っていた。
テレビの手前、ソファーのうえから双子の頭のてっぺんだけ並んで見えた。
すぐ後ろにソファーがあるのに座りもせず、もたれもせず、体育座り。
同じ格好、同じ顔で、同じ目を皿のようにして一言もしゃべらない。
奇妙なはずの景色になぜだか心が和んだ。

「俺はちょっと調べものがあるから、ゆっくりしていていい」

二人にブルーレイレコーダのリモコンを渡して寝室へ引っ込んだ。
パソコンの前に腰掛け、起動する。
さっき一瞬、ふたりが子供のように見えた。
ああやってずっと寄り添ってきたのだろうか。
元気ないから連れてきた”
いいとこあるじゃないか。
































「持田、スーパー行ってくるか、ら・・・」

持田はテレビから目をはなさずこくりと頷いた。
いつのまにか並んでいたはずのシルエットからひとり減っている。
近づくと持田の太ももをまくらにして、片割れがうずくまるように眠ってしまっているのが見えた。
その体には持田の着ていた黒いパーカーがかかっている。パーカーが落ちないよう、うずくまるわき腹あたりに持田の手があてられていた。

帰ってきたのは昼過ぎになった。
ソファーの上に見えていたはずの頭は残りの一人分もなくなっていた。テレビは俺がここを出たときとは別の試合を映している。
音をたてないようにソファーとテーブルの間の空間を覗き込む。
眠る同じ顔
ピッチのうえで見る獣の迫力、王の威圧感はどこにもない。
クロゼットの奥から前に若手に押し付けられたゲームセンターの景品のひざ掛けブランケットを取り出し、開封して双子にかぶせ、キッチンに・・・デジカメで撮影してからキッチンに立った。

「・・・よし。やるか」

シャツの袖を折りあげる。






***



「シロさん・・・すごいです」
「お口にあうといいんですが」
「とか言って偶然を装ってるけどの好物シロさんに教えたの俺だから」
「持田、ちょっと静かにしよう」

夕方に目を覚ました二人の目の前に、冷たく仕上がったレアチーズケーキを披露した。

「いただいていいですか」
「ええ、召し上がれ」

さんの好物というのは本当だったようで、一口食べると頬ばったまま「ん〜」と幸せそうに天へ身震いした。作ってよかった。

「あまずっぱい」
「ちょうだい」
「ハハ、持田。おまえの分だってちゃんとこっちに用意して」

息をするようにあーん、ぱくんが目の前で執り行われ、愕然とした。

「ん〜!あまずっぴゃい★」

悪魔はわざとらしく上目遣いで目をパチパチやってきた。
完全におちょくっているのに同じ顔だから微妙にかわいいのがさらに憤る。
持田は追い出すように、さんには余ったケーキをすべてお土産に持たせて帰らせた。
お邪魔しましたも言わずエレベータへ向かった持田のうしろを早足に追いかけ、さんは一度丁寧にお辞儀した後バイバイの手を振った。
バイバイの手を小さく返す。

嵐は去った。

部屋の中はさっきまでが嘘のように静かになった。
急に、いましがた持田の見ていないところで交わしたバイバイが密事だったように思えてきてしまい、ガシガシ頭をかいて雑念をふりはらう。胸に手をあて深くゆっくり息をして冷静を取り戻した、のも束の間。ソファーにきれいに折り畳まれたブランケットを見つけ、逡巡した。



抱きしめて深呼吸した。

(恋か・・・)

と、ポケットのなかでケータイが震えてビクっと背が跳ねた。
知らないアドレスだ。



タイトル:ごちそうさまでした
本文:です。蓮からアドレスを教えてもらいました。ケーキとてもおいしかったです。今度三人でジブリ美術館行きましょう。お弁当作っていきます。 持田



ド・カン!



返信できないまま爆発していると、もう一度ケータイが震えた。
今度のメールの差出人は持田だった。先輩にお礼を言うくらいの常識はあったらしい。(さんに言われただけかもしれない)



タイトル:ごちそうさまでした
本文:が使ったブランケット抱きしめてにおいかいだりしないでね。撮った写真でオナるのも禁止

悪魔



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