終話し、岸辺露伴は腹立たしげにケータイをリビングのソファに振り落した。

こっちはスピードワゴン財団の上層部に心優しくも内々に、あのひな人形のことを伝えてやろうと空条承太郎の連絡先を聞いただけだというのに、高校生たちはいまから自分たちが露伴の家に行くといってきかなかった。
岸辺露伴は来客を好まない。
リビングとキッチンを仕切るバーカウンターに乗ったダンボールをひと睨みする。
「ほら、エサだぞ」
ミネラルウォーター六本詰のダンボール箱のなかに新聞紙を敷き詰め、底にフルーツカゴを置いた場所が、簡易的に作ったひな人形のゲージだ。
昨日はきゅうりを与えてみたが食べなかった。それどころかしきりにこのゲージから逃げようと試行錯誤していたのを今朝ヘブンズ・ドアーで読んで知っている。
夕飯にはまだ早いが、干からびたきゅうりをひっこめ、酒のつまみに買っておいた木の実を醤油皿に入れて差し入れた。
ひな人形はカゴのなか、長い袂で顔を隠して横たわり、上から覗きこむ露伴に無視を決め込んでいる。
「せっかく食い物を出してやっているんだ、ありがたく食べろよ」
動かない。
よほど昨夜の露伴が怖かったか、脱走失敗が続いて疲れたのかわからない。

コレはわからないもので満たされている。

この人形女にはルーツを辿れるまともな記憶がなかった。
ページは「今は昔、竹取の翁といふ者有りけり」で始まり、「その煙、いまだ雲の中へ立ち昇るとぞ言ひ伝へたる」で結ばれる、かの有名な竹取物語が古語のままつづられているだけだった。
行間に、暑さと混乱で地面にたおれたこと、そのあとキリでつついてくる怖い男に襲われたこと。いま何もわからず怖くてたまらないといったことが綴ってあったが矢で貫かれたという記述はなく、スタンドを使った使われたという記述もない。
とはいえジャンケン小僧やあの建築士の例もあるから、ページに書いていないからと言ってスタンドと無関係と断じるのは時期尚早だ。

爪の先でつん、つんと着物をつついてみる。

「…」

無視
無反応

「やせ我慢をするなよ。上も、ついでに言えば下もな」

排泄物のあとがない。

「…」

「見知らぬ男の前でクソを垂れて恥をかこうが、どうせ一週間もすればお別れだ。君をスピードワゴン財団の連中が迎えにくるんだよ。奴らは奇妙なモノが大好物だからな、君みたいな変な生き物も手厚く歓迎してくれるに違いないぞ。よかったな」

「…」

「君、なあ」

「…」

「返事しろったら」

「…」

「まさか、弱って死んでっ」

袂をくいと引き上げると、気の抜けた寝顔が見えた。
人騒がせな奴だ。
ぺいっと小さな袂を弾き落とす。

頬杖して観察を続ける。
重厚な着物の奥で、胸がゆっくりと上下している。
確かに生きているのだ。
「この大きさでどうやって生きているんだか。スクリーントーン用のカッターで解剖しちまうぞ」
寝返りを打った。
あきれて息をついたとき玄関のチャイムが連打された。






「うわ」
「ほんとだ」
「すげえ」
「人形じゃないの?」
「息してる」
「着物だ」
「例のプリントのおばけかな!?」
「まさか」
「ちっさ!」
「バカ億泰声でけえよ」
「いやでもよお、一体なんだこりゃあ」
「康一くん、わたしお茶をいれてくるわ」
「ありがと由花子さん」
「おい、なに人の家でくつろごうとしてるんだ。ぼくの親友の康一くん以外帰れよ」

露伴の険しい表情をちらりともかえりみず、山岸由花子はキッチンをいじりだす。
仗助、億泰、康一はダンボールの中を覗き込んで驚きの声を、内緒話の音量であげている。
「露伴先生、これ本当に人形じゃあないんですか。動かないですし」
「生きてるよ。いま寝てるんだ」
康一につられて露伴まで内緒話のトーンである。
「へー」
仗助はわかっているのかいないのか、何の気なしにひな人形をむんずとつかみ上げると、息するようにひっくり返して人形の股を覗いた。男のサガというやつだ。
億泰も覗き込もうとした瞬間だった。

「いやっ」

「うわあ!」

小さな悲鳴があがって、人形が手の中でぐにゃりと動くや、仗助はいろいろに驚き思わず手放した。フローリングに叩きつけられる寸でのところで、露伴が人形の体をキャッチする。
「この…クソッタレ仗助!面倒を増やしにきたならさっさと帰れよ」
「あ、悪ィ。すんません、で、でもよお、動いて、つか、あれ、な、中がその、えと、えと」
珍しく仗助は平気をとりつくろうこともできずにしどろもどろになった。みるみる顔を赤くして、言葉をいっそう詰まらせる。
「え?なになに?なんだよ?おれにも教えろよォ」
「べ、別に。なんでもねえよ」
と口ごもり目をそらした仗助の鼻から血が垂れたので、仗助の襟首をつかんで教えろ教えろと激しく揺らした。康一は由花子の手前押し黙り、チラチラとひな人形を見るにとどめた。

その目が点になる。

仗助を威嚇する露伴のその手の中で小さな小さな女の子が露伴の親指にすがって顔を伏せ、打ち震えているではないか。
「わ、わわ…本当に、動いてる。仗助くんも億泰くんも、見て!」
「だから言っているだろ。生きてるんだって。ほら、君も顔を見せてやれよ」
手を揺らすと顔を上げるどころかさらに強く露伴の親指にしがみついた。
両手で作った器のうえ、自分の左手の親指にすがる姿を見下ろしていたら興がのり、そうっと右手を切り離してより居場所を狭く不安定にしてやった。
いっそう怖がって露伴の親指に身を寄せる姿は、見ていて気分がいい。ぜひ描きとめたい。
「ちょ、かわいそうじゃないっスか」
仗助が人形を奪いとる。
露伴よりも大きく分厚い手のひらに包まれて、小さな顔があがった。
「ハン、紐なしバンジーさせたうえ鼻にティッシュつめたエロガキがよく言う。返せよ」
「ダメっす」
奪い返そうとしたのをさっと避けられる。
「この人ちゃんと生きてるってわかったんで、イジメてニヤニヤしているような人には渡せないッス」
「人を悪趣味な人間のように言うなよ。ぼくは純粋にああいう怯えた人間の態度や表情が漫画のいい資料になると思って喜んだだけだ」
「純粋に人をビビらせて喜んでるからダメだっつってんスよ」
「ダメだと?ウソつきでイカサマばかりするクソッタレがどの口で。あー、あの火事は大変だったなあ?修理も高くついたなあ!?」
「またその話…、あれは別に」
「なんだと?そのくだらねえ頭整えている間に君がそこのテラスでどういうイカサマをしたか忘れたってのか?」

「…あ゛ぁ?テメ、いま…なんつった?」

「まあまあ、ちょっと二人とも抑えて」
「うるせえ康一!」「黙っていてくれ康一くん!」
「康一くんの言うとおりだわ」

「ぐえ」「ぐえ」

露伴と仗助の首に黒髪が絡みつき、きゅううと宙ぶらりに締め上げた。
もがき苦しむ隙に由花子は人形を仗助の手からサッと取り上げる。
「女同士なら安心でしょう?」
ひな人形は、そう声をかけた由花子に少しほっとした様子の反面、そのぎゅわっと伸びた髪に戦慄し額に汗している。
由花子はダンボール箱の中からフルーツカゴだけを取り出し、その上に人形を乗せた。ちょこんとカゴにおさまる姿は、リカちゃん、ジェニーちゃん、バービー…、自分もよく遊んだ懐かしい人形のことを思い出す。あれはまだ家にあるだろうか。
「なあ由花子、おれも触ってい?」
「あんたはダメよ。そのかわりこれ、テーブルに持って行ってちょうだい」



リビングのテーブルを囲んですわり、テーブルの上には2人分の紅茶と水3つとフルーツカゴが置かれた。カゴの中央では珊瑚色の煌びやかな着物をまとった小さな娘が鎮座している。
「で、改めて聞きますけど、これはどちら様っスか」
「さあな。ぼくは昨日国道で拾っただけだ。こいつ自身もどこから来たのかはわかっていない。そういえば君、名前あるのか?」

「…わたくしは」

はじめてまともに声を聴いた。
巨人たちに見つめられ心細い様子で、うつむく。
「名を、存じませぬ」
「へえ!ここはどこ、私はだれーってアレか、記憶喪失。じゃーかぐやちゃんって呼ぼうゼ、なあ仗助」
「そりゃあまずいだろ」
「なんでだよ」
「露伴センセは知らないんでしょうけど、うちの学校いま“かぐや姫の怨霊”の話でめちゃくちゃ盛り上がってんスよ。こんな時にかぐやなんて名前つけて外で話したの聞かれでもしたら余計騒ぎになる」
「…竹取物語でも勉強してるのか?」
「それが実は、ぼくらも今日聞いた単なるウワサなんですけど…」
康一は古文の教師の突然死と、かぐや姫の怨霊の噂を露伴に話して聞かせた。
露伴は腕組み足組みでソファにふんぞり返ったまま無言をとおす。
興味深い。
心の中でひとり、ほくそ笑んだ。

「いいだろう」

ふんぞり返っていた体を、カゴへずいと近づける。
「君の名前を考えてやる。ぼくの漫画のキャラクターの名前を考えるみたいにね。そうだな、顔を見せるんだ」
おそるおそる露伴を見上げた娘の小さな顎を人差し指の先でくいと上向け、無遠慮にまじまじ見る。
「君の名前は」
硬直している。

だ」

…」

「この岸辺露伴に名付けられたんだ、ありがたく思えよ。それから誇りに思え。いい名前なんだから」
あの岸辺露伴のことだ、必ずや「ゲロシャブ」とかドぎついのを出してくるだろうと予想していた康一たちはスコンと拍子抜けした。
「…
露伴を見上げたままはもう一度自分の名前をつぶやいた。笑ったわけではないが、はじめて負ではない表情を、仗助は垣間見た気がした。
は袖を膝の前についと揃えると、額を深く伏せた。

「良き名をお与えくださり、有り難う存じます」

露伴は「うむ」と満足げにうなずき、「さて」と切り出す。
「改めて聞くが、。君はこいつらの隣の学校の古文の教師とやらを知っているのか」
「…カッコウ、ですか」
「カッコウじゃない。学校だ。うん?まさか、君“学校”を知らないんじゃああるまいね」
「ダハッ!いやいや露伴せんせー、さすがにそれは」
「あいにく、存じ上げませぬ」
「どえ!?」
“学校”も“古文”も“教師”も意味がわからないという。仗助たちもぽかんとしている。
「もしかして、本当に昔の人ってこと?タイムスリップしちゃったってことですか!映画みたいに」
「康一くんの言うことだ、賛同したいが、残念ながらこいつがタイムスリップしてきたとはぼくは思っていない。これに書かれている記憶はごく浅いんだ。今まで生きていたとはとても思えないほどにね」
露伴の爪がの引きずる着物を縫いとめる。はその指と露伴の顔とを交互に見たが、逃げる様子はない。
「昔の人間だとして、こんなに小さいのも変だ。オイ、変なんだぞ君は。ほれ、ほれ」
裾では怖がらないから、爪を移動させの肩のあたりを突っついてみる。その露伴の爪を仗助の手が遮断した。
一瞬火花が走るが、珍しくケンカには至らなかった。

「まあ、本人がせっかく目の前にいるんだ。“読めない”君らには、本人に聞けばわかりやすいだろう。、君は、君がどうやってこの世界に来たか、だれが連れてきたのか知っているか」
は花がしぼむようにまた心細げになった。
しずかにうなだれた首を横に振る。
「気づくとねずみ色の土の上に倒れておりました。それより前の景色は眠りから覚めた夢のように掻き消えて、よく覚えておりませぬ」
「ねずみ色の土、って?アスファルトの地面のことかな」
康一が言うと露伴はそうだろうとうなずいた。を拾ったのは海沿いの国道だ。
「大きな池も見えましたが、ほかに人の影はなく、心が乱れ、暑さもあいまって土にふしまろび、気がとおのいて…それから初めてお目にかかったのは…”露伴”様、です」
「本当のようだな」
信じやすい露伴に一同驚いて振り返る。
「昨日、ぼくに嘘を言えないように書いておいた」
露伴は肩をすくめ、仗助は少しむっとする。
「あとで消しておいてあげて下さいよ?」
「やだね」
「ドラ」
なんとも迫力のないドラァ!の掛け声で仗助の人差し指がのほっぺたにぴとっと触れた。クレイジー・ダイヤモンドも指先でちょいとつついただけである。
「露伴が書いた字をもとに戻す。これでよし」
「あ、クソッタレ、なんで消すんだ」
「女の人には秘密があるもんで男はそれを知っちゃあいけないからッス」
「アラ、仗助のくせにいいこと言うじゃない」
「まあ、ね」
東方朋子の教えである。

「お、鬼…!」

が声をあげた。うんうんそうだろうあの露伴という男は鬼のような奴なんだと誰しもうなずいたが、その声は仗助に向けられていた。仗助の、背後に。
「もしかして…えと、“”さん、スタンド見えるんスか?」
「すた、んど…?」
「あ、っと、すみませんびっくりさせちゃって。これはおれの守護霊みたいな奴で、クレイジー・ダイヤモンドっていいます。噛みついたりしないんで心配しないで」
「守護霊…、そうとは知らず、無礼な物言いをしました。お許しください」
はスタンドに向かってこうべを伏せた。“守護霊”は通じるらしい。
「スタンドが見えるってことは、さんもやっぱりぼくたちと同じ…」

スタンド使い

注がれた視線にはたじろぎ、自分の肩の後ろをそろりと確かめた。
「わたくしには守護霊はないかと…」
申し訳なさそうに、また顔を伏せた。






電話で承太郎に状況を伝え、ごく短い会話の中でいくらか決まった。
三日後、6月28日に承太郎が来日すること
それまでは岸辺露伴邸で監視下に置き、ほかの人間の目に触れさせないこと
二つ目については、スタンドと無関係な家族がいる連中はともかく、うちだっていいんじゃないかと億泰が挙手し、異議を唱えたが、
「「億泰は女の子に興味がありすぎるからダメ」」
と珍しく仗助と露伴が声を揃えて一蹴した。



ああ、うるさかった。
露伴は客が帰ったリビングで伸びをした。
テーブルに置かれたカゴでは、がすこやかな寝息をたてている。
「よく寝るなあ」
誰がやったのか、カゴの底にはいつのまにかタオルがしきつめられていた。
それにしても億泰が「かぐや姫と呼ぼう」と言い出した時には、興奮を隠すのに必死だった。
これに竹取物語が綴られていることを知るのは、いま世界で岸辺露伴ただひとり。
さらに古文の教師の奇妙な死と殺人犯“かぐや姫”の噂。
ひな人形というよりかぐや姫と形容したほうが確かにしっくりくる娘は、水一滴すら飲まないで一日経過してもけろっとしている。

ネタとして全身がくまなくしびれるほど魅力的である。

「舐めて味を確かめてやろうか」

すやすや、すやり。

「…のんきに寝やがって」

その晩、露伴は舐めず、スケッチブックの6ページ分にその寝姿をおさめただけだった。






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