「どーぞ。汚いトコっすけど」

仗助はやや固い動作で我が家のドアを開いた。
鍵をしっかりかけてから底の広い紙袋を覗き込む。

「お世話になります」

紙袋の底、フルーツカゴの中央には赤いドレスの女の子が座っている。裾が大きく広がって真上から見ると牡丹の花みたいだ。袋の中にはお泊り用にほかの服も入っている。
露伴が東京の編集部へ行って家を空ける間のことについて、露伴は「うちに転がしておけばいいだろう」と冷たく言ったが、高校生は一致団結して猛反対した。
の人格を留守番させるのに足りない子供だと思ったわけではないが、この小ささ、現代のモノゴトを知らない性質、赤ちゃんに初めて世界を教えるみたいな遊びについさっきまで興じていた彼らだから、見過ごすわけにはいかなかった。
同性である由花子の家に置くべきという意見が当然出て、仗助も最初はそれが一番いいと思ったけれど山岸由花子の家は母親が専業主婦だ。明日由花子が学校に行っている間に見つかってしまう危険性があるし、かといって学校へ連れて行くわけにもいかない。学校こそ親に見つかるよりもよほど大騒ぎになりかねない。ならば日中家に人がいない家がいい、ということで仗助の家が選ばれた。

「おい仗助。別にこのチビに愛着があるわけじゃあないが、貴様がヘンなことをしないように戒めを書いておいてやる」
「こんなに小っちゃいのにヘンなことなんてするわけないっスよ。露伴センセじゃあるまいし」

で取っ組み合いになり、康一のエコーズが両者を押さえつけ、結局戒めは書かれることなく仗助は家までたどり着いた。
袋からカゴを取り出して目の高さまで持ってきたところで、とりあえずニコっと笑ってやるとは緊張していた頬をすこし緩ませて、微笑み返した。
ダイニングテーブルに置く。
「自分の家だと思ってリラックスしてもらっていーんで、親居ませんし」
「…」
じっと見つめられている。小さいけれど、大きなおめめだ。
たまに犬とか猫とかもよく、こう、じっと見るときあるよなあ。
ああいうとき、動物たちは何を考えているのだろうか。
「どうかしました?」
「仗助様は、おひとりでお住まいなのですか」
「や、お袋いますよ。じいちゃんもいたんスけど、去年死んじゃって。お袋は仕事なんで試験前だから夜の結構遅くに、だいたい夜の九時くらいになったら帰ってくるんですよ。ガッコのセンセなんで」
「そう、なのですか」
またこの目だ。
悪巧みしてたり、蔑んだり、そういうふうにはとても見えないけれど、仗助にはやっぱりまだわからない。「仗助様」と控えめに声がかかって弾かれた。

「仗助様のご祖父様に、ふた晩お屋敷に置いていただく挨拶と御礼を申し上げたいのですが、かないましょうか」

「へ?」






チーン、とおれがかわりに鳴らしてさんはフルーツカゴのなかで正座し、仏壇の奥のほうを見上げて手を合わせた。
まなざしを見ればわかる
きっと心の中で何かを伝えている。
しばらくすると厳粛に目をつむった。
黙とうが仗助の体感で一分を超えたところで、仗助はどうしていいかわからず声をかけようとしたが直前での目が開いた。
最後にもう一度仏壇の奥のほうへ言葉をおくる瞳をしてから
「ありがとうございました」
とようやく声が聞けてほっとした。
「精悍な面立ちを仗助様はどことなく受け継いでおいでです」
「え、ええ?」
そんなこと言われたのは生まれて初めてだ。しかも大真面目に。
仗助は目を床へやり、頭をかいた。
「い、いや、あのじじいったらそんなカッコイイじじいじゃなかったスよ、若作りでいっつも、おれよりガキみたいで」
しどろもどろになる仗助に、はフルーツカゴの中からただ優しく微笑むだけだった。












さん、すみませんけどチコっとそこで待っててください」
そう言い置いて仗助は自分の部屋のドアを最小限にあけてスルンと中に入り込み「ハハ、すぐッスから」と隙間から乾いた笑いとちょいと汗をかいた顔を覗かせ、閉めた。
中からドッシンバッタンという音を聞き、振動を感じ、は心配に思ったが言われたとおりじっとカゴの中で待った。
置かれた廊下の先に時計が見える。
しかしには時計がわからない。
廊下の逆の側を見ると壁に二つ穴の電源が見える。これは露伴の屋敷にもあったと思い当たったが、には電源も電気もわからない。仏壇にあった仗助の祖父の写真に至っては、非常に精密に書かれた絵なのだと思い違いをしたままだ。その前に露伴の絵を見ていたから、いま自分がいるこの世界の人はみなとても絵がうまいのだと畏敬の念すら抱いていた。
見る物すべてが天の奇跡のよう。
興味はある
とても。
けれど知らないものをいちいち「あれはなに」「これはなに」と出会ってまもない人々に問い詰めていたのなら、やがて礼を失するだろう。
それゆえ、は大きな目玉をめいっぱいひらいて興味のあるものを見つめるばかりになっていた。

ふと、自分の手のひらを見る。

これは手のひら
人間が人間であると知っている。
夏は暑い
冬は寒い
挨拶も人の礼と無礼もおおむね知るこの身は、しかしこれまで生きてきた覚えがない。

「お待たせしましたー!」

仗助が明るい声で部屋から顔を出した。
普通の人間の高さで言ったものだからが見当たらなかったようで、足元に向けて声まで小さくして言い直した。

「お待たせしましたッス」
「…」

この少年は親切だとそれだけははっきりとわかる。
覚えがないなら今これより覚えおけ。来た道も行く道も見つからない不気味なこの身に仮の棲家と、名前と、服を与えてくれた人々がいることを。
いまはただ感謝しよう。
籠の中、膝の前に指をつき深く、おもてをふせた。












大急ぎで掃除した部屋にを招き入れる。
掃除というか、床と机とベッドに散らばっていたものを全部クロゼットに放り込んだだけだ。
エロ本とAVは行儀よくベッドの下に隠していたわけだが、が床に座った時にはちょうど視線の高さになってしまうので、絶対にでは届かないクロゼットの上のほうに押し込んだ。
「こちらが仗助様のお部屋なのですか」
「なのです」
「…いい香り。香を焚き染めて?」
さっき急いでシュッシュしたファブリーズだ。
「お香にはちょっとこだわってるんスよ」
素直に感心しておしゃれだと褒めてくれたに、細い罪悪感が胸を突く。
学習にはほとんど使わない学習机にのカゴを置き、仗助はゴミ箱をはさんで机の隣にあるベッドに腰掛け、ようとして椅子に座ろう、そうしようと思い直した。
落ち着かない仗助にはつ、と指をついた。
「手土産ひとつなく、お返しできるものもなく身の縮む思いで御座います。ふた晩のお世話になりまする」
「それ以上縮んだら見えなくなっちゃうから気にしないでください。さっきも言いましたけどホントじぶんちだと思って。部屋だってここじゃなくてじいちゃんのだった部屋も空いてるんで、お袋がいない昼間のうちならそっちでも大丈夫っすよ。どこがいいとかありますか?」
「いずかたでもありがたいことでございます」
美しく微笑む姿にまだ他人行儀な色が見える。その色がふと薄れ、考え込むような視線が床の一点を凝視した。心なしか顔色が悪くなる。
「ん?」と屈んで首をかしげて見せるとは青白く、整ったおもてをあげた。
「叶うなら、冷蔵庫以外に置いていただけると助かります」
「冷蔵庫?」

岸辺露伴邸で冷蔵庫に閉じ込められたという話を聞いて、仗助は(あのヘンタイ野郎ぉ~~!)とこぶしを握りしめる。同時に、に対する同情がぐわわっと体の芯から湧き上がった。
最初に出会った人間がこともあろうにあの岸辺露伴で、しかもはこんなに珍しい生き物なのだ。リアリティがどうとかまたわけのわからんことをのたまって、ほかにもひどい仕打ちをうけたに違いない。口数少なく礼儀正しくおとなしいのも、ここは露伴のような人間ばかりなのだと思って怯えきっているんじゃあないだろうか。

「…さん」

感極まって、仗助は思わずの小さな手をとった。本当にちっちゃい。
「いろいろキツいことあったと思うんスけど、こっからはこの東方仗助が守りますから心配しないで大丈夫ッスからねっ」
「心強いことです。ありがとう存じます、仗助様」
「まかしてくださいよ」
ドンと胸をうった。

「それじゃお袋帰ってくる前にオレ風呂入ってきますね。じゃなくて、さん先はいりますか?」
「先ほど由花子様に湯あみをさせていただいたところですので、どうぞお気遣いなく」
「じゃもしお腹がすいてたら冷蔵庫にチャーハンがあるんスけど」
「不思議とおなかがすかないのです」
は苦笑をうかべてうすい腹をなぜた。






熱いシャワーがリーゼントを緩ませてゆく。
水の中で、はあと息を吐いた。
食事も排泄もしない、と露伴が言っていたことを仗助は思い出した。
奇妙だけれど、気味が悪いとは思わない。
同じ学年の2-Gに支倉未起隆というのがいて、そいつは自分を宇宙人だと言い張っているスタンド使いだ。未起隆も食事をしているところをほとんど見たことがない。唯一見た食事は仗助があげたポケットティッシュを飲みこんだときだけだ。
億泰は、「早弁してんだよ」と決めつけているが、仗助は実はまだ本当の正体がわかりかねている。でも仲のいい友達であることに変わりはない。そういうわけだから、気味が悪いとは思わない。
目下、仗助に重たいため息をさせるのは、あんなに小さいとはいえ綺麗な女の子と二人きりの部屋でこれから一夜どころか二夜を過ごすということについてだ。
風呂の壁にほどけた頭をゴチと預ける。
露伴にああはいったが、話してみると普通に大人っぽい言動で困った。
あたる水しぶきが首をつたい肩へ背へ腰へ流れてゆく。

「…」

一回ヌいておいたほうがいいだろうか。
己の一物に相談をもちかける。

「…一応」

朝に男の子の生理現象が起こったらいけないから。






これだけガス抜きしておけば間違いは起こらないだろう、なあおれよ。と窓を大きく開けて喚起し、気をとりなおし颯爽と部屋へ戻った。
部屋に入った瞬間、学習机の上のはカゴのなかでビクっと震えたきり動かなくなった。
こっちを見ない。
まばたき一つしない。
これじゃあまるで本物の人形だ。
「どしたんですか?」
動かない。
かがんで覗き込んでみる。それでもやはりピクリとも動かない。
「おーい、もしもし」
当たり障りないよう、赤いドレスのすそを指先でツンツンとやってみる。
動かない。
ほっぺたを人差し指でプニっとつぶしたところで、

「…じょうすけさまですか?」
とものすごく小さな声で、そう聞こえた。

「よかったー。急に動かなくなるからビックリしたッスよ。どうかしました?」
「その…おぐしが違ったものですから知らない殿方かと。失礼を」
おぐしの意味は知らなかったが、なんとなく髪のことをさしているんだろうと察しがついた。たしかに、リーゼントがゆるんでしまえば前髪も後ろも長いので、プールに入った後なんて男からはおまえ誰だと言われるし、女子からはなぜかやたらと喜ばれる。髪型による見た目の変化は人よりあるのかもしれない。
すっぴんを見られた女子のような心境で、ごまかすように前髪をかきあげた。
「あ。じゃあ、さんもしかして今、人形のふりしてたんスか」
「仗助様のご家族まで驚かせてはいけないと思いまして、露伴様がはじめに人形みたいだと仰せでしたので」
「ブフッ」
本人は大真面目な顔なので悪いとは思ったが、の大真面目が逆におもしろカワイくてツボに入ってしまった。仗助がベッドに倒れこんで笑うとはカァっと顔を赤くした。

「練習を、してまいりますれば…」

ドレスのすそをぎゅうっと握って、大真面目に恥じている。普通は「笑うな!」と怒るだろうに、予想外の反応に仗助はいまになって動揺した。
「あ、いや、すみません笑ったりして。おれは知ってるからアレですけど、知らない人が見たら完璧なお人形さんでしたよ」
「そ、そうでしょうか」とがはにかんだ。
かわゆい。
ベッドから頬杖ついて机の上のを見て改めてそう思った。
このかわいらしさはちょっと普通サイズの人間じゃあ考えられないかもしれない。女子が小さいもの全部カーワーイーイーって言う感覚が少し理解できた。小さいってすごい。
おもむろに人差し指をに近づけてみる。
は何を求められているかわからない様子で、おそるおそる仗助の指先に小さい両手をチョコンとのせ、これであっていますかとばかり小首をかしげた。
か、かわゆい…



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