6月26日夜7時30分

仗助はぼーとテレビを見ながらチャーハンを口にはこぶ。
テレビには大して面白くないバラエティ番組が映っている。

ダイニングテーブルの上にちら、と視線をやるとカゴの中からは真剣にテレビを見つめていた。遠慮でも我慢でもなく、本当に食事は要らないようだ。
と同じくテーブルに置いていたケータイが短く二度鳴動し、がビクっと大きく肩を震わせた。メールだ。
手を伸ばして視線に気づく。にとっては薄べったい黒い箱がひとりでに動いたように感じられたのだろう。警戒して肩が持ち上がっている。しかし、仗助がチャーハンをもぐもぐしながらちっとも驚いていないのを確かめると、少し落ち着きを取り戻し仗助の動きを目で追った。
「…お袋あと二時間くらいかかるって。もしばらくゆっくりできるッスね」
「…」
ケータイをじっと見ている。
さん、これはケータイつって、遠くにいる人としゃべったり、手紙したりできる機械なんすよ。ネットも見れるし」
「遠くの人と」
は瞳を輝かせて“ケータイ様”を見つめなおした。
「…」
見るだけだ。
仗助は箸を口にくわえ、ケータイの画面にべったりついていた指紋をテーブル拭きできれいにふき取るとのそばに置いた。

「ほい、イジってていいっすよ」

瞳がいっそう輝きをまし、仗助をおがんだ。
「光栄なことです」
「ヘヘ」

いそいそとカゴから出てきた。まずは仗助がやっていたのをまねて、おそるおそる液晶に指先で触った。
反応がない。
小さな手をパーにしてペタ、ペタと触ってみるが、やはり反応がない。
ヒントに、仗助がホームボタンを押して見せる。
光った。
すぐ消えた。
なるほどと心得て、はホームボタンをえいやと押し込んだ。
画面がパッと明るくなると、つきました!とばかり大層うれしそうに仗助を見上げた。
どうぞ続けて、と仗助は眉で合図する。
はその後、ついたり消えたりついたり消えたりをしばらく楽しんだが、それ以上の操作はわからない様子だ。ロック解除、の画面表示を見つけてほしいと見守っていた仗助だが、ふと、「ロック」が読めないのではと思い当たった。
「ここを、こうずらす」
画面に表示されるアイコンが一気に増えて、は「増えました!」とばかり、またうれしそうに仗助を見上げた。
の目が液晶に戻った次の瞬間、仗助は時間差で細かな針に貫かれていた。
はーかわいい、はーかわいい。
なんで全部無言で表現するんだよー
なんだこれ
はー
心の中で身悶える。






自分の分の洗い物と、二人分の洗濯物を畳みおわり仗助が部屋に引っ込んだ頃、入れ替わりで母・朋子が帰宅した。
「はー、つっかれたー!お、洗い物はやったわね、よーし。仗助、じょーすけー、家庭科の先生からお菓子もらったから明日持ってっていいわよ、ここ置いとくからね!」
廊下をバタバタ早足に歩く音、ガサガサ、ドサ!いろいろな音と声に仗助はドア越しに「おー」と返事する。
「あの声がお袋ッス。疲れたとか言ってんのにうっさいババアでしょ」
今もバタバタと廊下を早足している朋子について、に雑に説明した。
本当は、こんな時間まで大変だなと思っている。だってこれから明日の分の仗助の朝食と夕食を作って、明日の朝は仗助よりも早起きをして二人分の弁当を作ると仗助は知っている。
年頃のテレと、よそ向きの見栄によって口から出る言葉は百八十度ねじまがった。
対するは落ち着きはらった微笑みだ。
「明るいお母様でいらっしゃる」
「えー?明るすぎてさー」
「きっとよいお母様だと存じております」
「そんなことないっすよ。前なんて俺の貯金を」

「いいえ」

か弱い姿が確かに言う。

「仗助様を見ればわたくしにもそれくらいはわかります。お母君の教育のたまものです」

そう言い切ったの顔を見たらぎくりとして、仗助はあいまいに返事して数Ⅱの例題に向き直る。塾の勧誘ならともかく、真面目に面と向かって言われるとどうしていいかわからない。






試験勉強に集中しようとすればするほど、机の端で仗助の教科書をじっと見ているが気になった。
「…興味津々?」
「書き物をなさっているところを邪魔してしまい申し訳ありません」
「イイっすよー。どーせ試験二日前くらいになんないとマジメに勉強やらないんで」
「勉強を」
それはいけないとは仗助の視界にはいらない場所へ自分を移してほしいと頼んだ。
この部屋の外には朋子が帰っているので出せない。仗助はベッドのかげにフルーツカゴをおろしてみた。さらにはお互いの気配を紛らわすために音楽などかけてみたりもした。
大好きなプリンスの音楽だ。
気に入ってもらえるといいと思ったがは謎の機械から音が鳴りはじめたことに驚いてそれどころではない。テレビを見せたとき中に人はいないと説明したけれど、仗助はテレビで映像が映る仕組みや音楽プレーヤーから音が鳴る仕組みを知らず説明できなかったので、にとってはいまだ摩訶不思議なモノなのだろう。
微笑ましい。
仗助は数Ⅱの例題を再開した。
例題を理解し、練習問題を(1)から(3)まで取組む。最後に待ち構えるのは応用問題だ。…わからなかったので、次のページの例題へ移った。練習問題(1)から(5)まで解いたあたりで、仗助の手はノートに陰毛を描きはじめた。文字ならざる文字を書いていた手から、ついにシャーペンがこぼれた。






「んあ…」

23時、いつのまにかうたた寝していた。どうしてゲームをしているときは大丈夫なのに、勉強をはじめて机に向かうと耐えがたい強烈な眠気が襲ってくるんだろうか。目をこすり
「…!」
の存在を思い出して慌ててベッドと壁の隙間を覗き込む。
ほっとした。
赤いドレスのお姫様はフルーツカゴにしきつめたタオルのうえですやすやと眠っている。
仗助はプリンスのアルバムがエンドレスで流れていたプレーヤのボリュームをゆっくりとしぼり、オフにする。
夜らしさが戻ってきた。
外から虫の声がする。
仗助は歯を磨くついでに、東方家で持っている中で一番肌触りのいい、かつ一番かわいいハンカチをとってきた。洗面所から部屋にたどりつくまでに通らなくてはらないリビングで
「おやすみー」
とテレビを見ていた朋子に声をかける。
朋子はテレビに顔を向けたまま手をあげて
「あい、おやすみ」
と返した。
大丈夫だ、まだ気付かれていない。

「待ちな」

汗が出た。

「仗助」
「なに」
「あんた」

ごくん

「部屋にさあ」
「!!」

まさかうたた寝している間に

「夜中まで音楽かけてんじゃないよ。ご近所迷惑だからヘッドホンしな」

「……ハイ」
心臓をバクバク言わせながら部屋に戻ってドアを背に息をついた。
仗助の心音など知らずは眠り続けている。
祖父は、かつて仗助がこの家に招き入れた災厄に巻き込まれ、命を落とした。
母・朋子だけは奇妙なモノゴトに関わらせない。
万が一関わってしまったとしても、絶対に守る。
命の限り揺るがない。
「…」
まだ、本当はそういうモノゴトだと思っていてごめんね
言わずに一番きれいなハンカチをかけた。







ベッドにもぐりこみ、着信していた億泰、康一からのメールを開く。
いずれもこのお姫様のことで、康一は、家族に見つかっていないか、実は能力を隠しているスタンド使いかもしれないから一応気を付けて、と心配する内容だった。一方の億泰は、仗助が彼女にいやらしいことをしていないか疑う内容だった。
「おまえといっしょにすんな、と」
着信ランプがぴかとまだ光っている。

三通目の未読メールは知らないアドレスからだった。

同じ学年で名前だけは知っている女子からで、中身はラブレターだ。どこで自分のアドレスを仕入れたのか心当たりはないが、東方仗助にはわりとある出来事だ。
メールで断るのは面と向かって告白されて断るのよりも苦手だ。
何度か文字を入れては、消し、書き直し、できる限り相手を傷つけない、かつ短めの文章を悩み選び、いっせーのーせ!で送信ボタンを押す。
「うう」
返信よ、なんと言っていいかわからないから来ないでくれと枕に顔を押し付けて祈る。
これまですべての告白を断ってきている仗助だが、もちろん女の子と付き合いたいという気持ちはある。億泰にはああいったが性欲だってある、すごく。
しかし、東方仗助は待っていた。
白馬の王子に夢見る乙女のごとく、この世でたったひとり、抗うすべのない恋の奔流に自分をまきこんでくれる人が現れるのを待っていた。それ以外のひとに手を出すのは、自分と相手と相手のご両親にとって不誠実な行いだ。そういうふうに、仗助は考えてしまう。
うつぶせの恰好で少し首を延ばすと、ベッドの下ではが昏々と眠り続けている。
かわいい。
うずくまって眠るその大きさを指で測ってみる。
「ちっさ…」
またがっくりと枕に顔をうずめる。

ドアが開いた。

「仗助、そういやあんた明日体育じゃん。そろそろプールじゃないの?去年ゴーグルなくしてたでしょ」
「あしたはまだサッカー。てかノックもなしに勝手に息子の部屋はいんなよー」
「ハン、色気づいちゃってまー。ゴーグル買うとき言いなねお金出すから、別のモン買うんじゃないよ」
「わーってます」
「んじゃ、オヤスミー」

ドアが閉じた。

フルーツカゴはもぬけのカラである。
「……っぶねえー!バレるかと思った」
心臓がすさまじい音で打っている
仗助のおさまっている毛布のふちがもぞもぞと動いたかと思うと、中から真っ赤なドレスのお姫様が顔をだした。半分寝ぼけたような目で、あたりをぼんやり見回している。
「ビックリさせてスミマセン。急にお袋が来たんで間に合わないと思ってスタンド使っちまって」
スタンドは、スタンドとスタンド使いにしか見えない。
「どこもケガないですか」
「…はい」
「よかった」
仗助の背後からクレイジー・ダイヤモンドが表情もなくを見ている。このスタンドのメインの能力は「なおすこと」だが、動作速度に関しても空条承太郎をして“スタープラチナと同等”と言わしめたほどなのだ。
はじっとスタンドと見つめ合い、居住まいを正して指をついた。
「仗助様のご先祖様、こんばんは」
自分でもどういう原理でこれが出るようになったのか説明できないのだが、ご先祖様という誤解はどうやったらとけるだろう。
「うーん、やっぱり見えるんスね」
「普通は見えないのですか」
仗助はうんうんとうなずく。
「…なぜ、見えているのでしょう」
「…」

岸辺露伴はこの人はスタンド使いではないと言う。あるいは、スタンドが単体で行動する例もあるから自身がスタンドという可能性もある。この点はの姿がほかのひとに見えるかどうか試せば一発でわかるが、その「試し」はこの町の人を騒動に巻き込むことだとわかっているから、仗助はそれをしない。
明後日には承太郎が来日し、スピードワゴン財団の専門家を連れてきてくれるのだから、プロに任せたほうがいいんだろう。
質問をなげかけたきり仗助が黙って考え事をはじめてしまったので、は不安げである。
気づいて猫の毛をなでるように髪を撫でで不安よやわらげとなだめてみると、は少し恥ずかしそうに笑った。
毛並みがいい
気持ちいい
ねむたい
「仗助様、今日はなにからなにまで面倒を見てくださり、ありがとうございました。あさってに露伴様がお戻りになるまで、いましばらくよろしくお頼み申します」
「ん、まかしてくださいよー」
「…もうひとつお願いが」
「ん?」
「編みカゴへ下りたく。なにも起こりえないとはいえ、殿方との同衾はいささか緊張しますれば」
「…へ。あ、そ、そ、そスよね。すみませ、気づかなくて」

純愛派東方仗助は震えはじめた手でをカゴへ戻した。
は礼を述べ、いつのまにか自分の寝床にかかっていた手巾をとりあげ、きれいな柄をうっとりと見つめていたが、赤面を見られたくなかった仗助によってパチンと明かりが消された。
「おやすみなさい!」
おやすみーと、リビングのほうから朋子の声がした。
がやさしく笑う声を聞き、仗助は布団をかぶる。
「おやすみなさいませ、仗助様」
おちついた綺麗な声に、絶対絶対絶対に朝、粗相するなよとムスコに言い聞かせた。



<<  >>