は布の間から目であたりを観察し、だれも近くにいないことを確かめてジャージの隙間から頭だけ出した。
後ろには花壇と巨大な建物がそびえている。この建物がさっきまで自分と仗助がいた場所だとはには縮尺が違いすぎてわからなかった。
正面のひろい土の上では新しい”着物”に着替えた仗助が、同じ格好をした若者と一緒に“よく走る蹴鞠”をしている。
時折仗助がこちらを見ている気がしたが、距離があるので向こうからこちらの姿は見えていないだろう。

はジャージから全身這い出して朝礼台の支柱の影に立った。”緑色の着物”こと長袖ジャージを引きずりいつでも隠れられるように肩からかけておく。

途方にくれる光景だった。

自分の知らない世界で大勢の人々がたしかに日常を生きている。
は“自分の知る世界”も覚えがないというのに。
冷たい巨大な鉄柱にこつんと額を預ける。
轟音をあげて突如世界が激震した。
柱にぶつかって仗助のジャージの上にはじきとばされる。
次の瞬間ザザっと砂煙をまいて人間の足が迫り、朝礼台の前でピタリと止まった。隠れなければと思ったが、打ちつけられた体はいうことをきかない。
「ギャハハ仗助速ェー!」
「マイボ!マイボー!」
「ちげえよC組のじゃねえよ」
「仗助ェ!いーからスローインやっちまえ!」
「いくぜー」
仗助の声が一番近くで聞こえ、空に、が鞠だと思ったサッカーボールが弧を描いた。
ほかの男子がみんなボールを追いかけて行ったのに、一番近くの足だけはその場を去らず、屈んで、仗助のきれいな色の瞳と目があった。
さん、大丈夫ですかっ」
「…仗助さま」
「わ、おデコ、血」
仗助が朝礼台のなかへ手を伸ばし、の顔にピタリと指先を添えた。たちまちに全身から痛みがひき、頭がはっきりしてきて体も動くようになる。
「もう痛くないですか?」
ひどく心配そうに尋ねる仗助にはわけもわからず、こくりとうなずいた。
「よかった。このあとは朝礼台にボールあたんないようになるべく近くにいるッスから。守ります。…だからそんな顔しないでください」
の体から痛みを遠ざけた親指がの目の下をやさしくさすった。
「…」
気づかないうちに涙でも流していたろうか。
には”自分自身”すら未だにわからないが、この優しい少年にいま何を言うべきかを知っていた。
親指を両腕で抱きしめて目を閉じ、額を寄せる。
「ありがとうございます」
「仗助ェ!サイドバックがさぼんなしっ!」

五時間目終了のチャイムが鳴った。

それは同時にC組対D組のサッカー前半が終了したことを意味する。
「サイドバックがさぼんなしっ!」とクラスメイトが叫んだ直後に朝礼台から飛びのき、ボールに突進した仗助が決めた(というかボールごとゴールの飛び込んだ)1点を守りきり、C組優勢のまま試合を折り返した。
クラスメイトは語る。あのときの仗助は顔を真っ赤にしてまるで赤鬼の迫力だったと。






チャイムと同時に朝礼台に走った仗助はしかし、女子によって行く手を阻まれた。
「仗助くん!おつかれさまー!」
「ゴール見てたわよ、カッコよかった!」
「はい、これタオル」
なんで授業が終わった直後にこんなに女子が校庭にいるのかはわからなかったが、ともかく仗助は「ちょっと急いでっから」と素っ気なく振り切って、振り切れずまたもや取り囲まれる。彼女らが土で汚れた前掛けエプロンをつけているところから見て、億泰と同じクラスの女子なのだろう。焼くのが終わったら暇だとか抜かしていたあれである。
「あ、仗助くんジャージを取りに行くのね、待って、取ってきてあげる」
「え、あ!いいって!」
取り巻きの何人かが輪を抜け出して朝礼台の下に置いてあったジャージを我先にと引っ張り出した。
ヤバイと思った時には、ころん、と女子生徒の足元にが転がっていた。
取り巻きと、仗助まで言葉を失う。
みんながを見ている。

スタンド使いではない人にもは見えている。

「…なに、これ。リカちゃん人形?」
「なんで仗助君のジャージから」
とりあえずこの場はごまかさなくてはならない。が動いたりしたら、混乱は必至だ。
しかし17歳男子高校生のジャージからリカちゃん人形もどきが転がりでてきたときの言い訳なんて
「もしかして、仗助くんてこういう…」
「え、嘘」
仕方ない、ここは腹を決めてそういうことに

「あたしの人形よ」

「え」
「あたしが家庭科部で作ったの、その人形の洋服。この辺で人形ごとなくしたんだけど、見つかってよかったわ」
振り返ると、髪を一本に縛った体育着姿の由花子が立っていた。
「返してもらえるかしら」
持ち前のスタイルの良さ、決して愛想笑いをしない性格によってにじみ出る迫力がほかの女子を圧倒し、モーゼの十戒のごとく朝礼台までの道が開かれる。
「や、山岸さん、そうだったの」
由花子がランウェイを行きを拾い上げると、眉ひとつ動かさず女子の体育が行われている体育館の方向へと戻って行った。
女子の視線が由花子に向かっている間に、仗助は胸をなでおろした。由花子のあの有無をいわせない感じを怖いとは思っていたがこれほど頼もしいと思ったことはない。あとでジュースおごろ。

「オーイ仗助ェー!おまえ昼休みどォーこ行ってたんだよ」

入れ替わりで汚れた前掛けを付けた億泰が駆け寄ってきた。由花子に凍らされた空気が溶け、空気のよめない億泰までやってきたので、女子の取り巻きが徐々に散ってゆく。
「悪ィ億泰」
「で、どこ?」
「いまさっき由花子が預かってくれた」
「えーマジでか。おれポッケに入れるの楽しみにしてたのにィ、ナンチテ」
こんなスケベ顔した億泰のポケットにが入ることがなくてむしろよかったと仗助は強く思った。
親指を抱きしめられてヘンにドキドキしてしまった自分も人のことを言えないけれど。






もやもやした気持ちをブッ飛ばすべく大暴れした仗助が、六時間目のサッカー後半でハットトリックを決めたころ、岸辺露伴は東京、水道橋駅から徒歩2分の大きなオフィスビルのなかにいた。
かの有名な少年ジャンプ編集部の会議室で、机に並べられた増版用コミックの新しい帯デザインについて意見を求められるも、頬付ついてやる気が見られない。

朝、編集部のオフィスにはいった瞬間に、編集長からアルバイトまで総立ちで拍手を送られた。ありがとうございます、とは応じたがこう一斉に称賛を浴びると斜に構えたくなるのが岸辺露伴だ。ついでに「君なら受賞できるとデビュー当時から思っていた」などと肩をたたかれた日には腹が立ってしかたがなかった。おまえは巨乳の女キャラを出したほうがいいとか適当なアドバイスをしてきたヤローのくせに。
露伴が不機嫌になってきたのに気付いた担当編集が急いで露伴を会議室へ促し、今後のマーケティングプラン、グッズ展開、イベントごとについて説明した。
露伴は漫画を描き、読んでもらうことには大変な興味を示すが、どう売るかについては口数が少なくなる。出版社のほうでがんばって考えてたくさん読んでもらえるように売ってくださいよ、のほか言いたいことはない。
作者だけやる気のないマーケティング会議もなんとか進み、ぶどうヶ丘高校に下校のチャイムが鳴り響いた頃、岸辺露伴は会議室から解放された。

「先生、露伴先生。よかったらこのあと飲みに行きませんか、前祝いに」
顔見知りの中堅編集者だが、正直、メンドクサイ。
「おいしいワインの店があるんですよう!さ、行きましょう。受賞のおかけで予算もたっぷりありますし!」
人付き合いは面倒だが、ワインは嫌いではないし、まだ16時30分だ。
早く終わらせればそれほどストレスでもないだろう。
露伴は気まぐれに付き合ってやることにした。






「あのっ、クソ編集!」

23時45分、ベッドに飛び込み露伴は絶叫した。
東京駅駅舎と一体型のホテルが今夜の彼の宿泊先である。
「なにがワインのおいしい店だ、ワインバーじゃなくてあれはキャバクラだろうがっ!」
キャバクラだった。
「そのうえ、あの女!」
ふつふつと怒りがよみがえる。
「誰が童貞だ!クソッタレ仗助と一緒にするなっ!」

えーやだァーあなた漫画家の先生なのー、やーん若いのにー?お肌ツルツルじゃない。でもさあ、漫画家先生ってもしかして漫画とかアニメにしか興味ないからこういうところで女の子と遊ぶの慣れていないんじゃない?あー、ごめんね、怒らせるつもりじゃなかったのよ。でも、もしソッチに慣れてないなら、(うち、アフターのサービスもやってるんだけど)

と最後のほうだけ露伴の耳にしか聞こえないようにささやいた。露伴の太ももを撫でながら。
「ぼくはなア!おまえらなんかよりよっぽど美人な女にやたら出会うんだっ」
事実、岸辺露伴は旅先で美女づく体質がある。
全員とやりまくっているような暇人ではないが、なかには一夜を共にした人だっている。割り切った、大人の関係というやつだ。…三回、だけだが。しかも全員年上で、露伴より優位に立って事をすすめられてしまったが。
「け、けどなあ!今だってうちにはとんでもない美人がいるんだ!お姫様みたいなスんゲーのが!」
ベッドのスプリングに向かってずいぶん大きな声の自問自答である。苛立ちのあまりワインを浴びるように飲んだので、岸辺露伴はしたたかに酔ってもいた。
「証拠?証拠だとっ?!」
誰も尋ねていない。
「いいだろう、証拠をみせてやる」
部屋にひとりだ。
ポケットからケータイを取り出し、を預けている仗助のところへ電話をかけようとして、ベッドにうつ伏せになったままその液晶をじっと見た。

Eメール着信 1件

17:45 送信元:クソッタレ仗助

メッセージは一行「一生帰ってこなくてもいいぜー」

電気の消えた、しかし外のあかるい教室に見覚えのある高校生たちが集まってピースサインを作っている写真が添付されていた。仗助、億泰(目をつむっている)、康一、由花子に支倉未起隆とかいう彼らの友達。仗助の両手のひらの上にはワンピースを着たが下手くそなピースをしてぎこちない笑顔を浮かべている。
落ちないように、仗助の親指にしっかりとつかまって。
露伴のケータイが、不穏な音を立てて割れた。












「洋服もいいっスけど、やっぱりこう、着物だとピッタリ決まりますね」
校庭に転がり砂埃まみれになったは帰宅するなり東方邸で風呂桶を借りてお風呂に入った。もちろん、一人でだ。湯上りに身にまとったのは初めて会った時に着ていた着物である。
着物は、岸辺露伴の家のタオルかけに由花子が干しておいたもので、今日取りに行ったらすっかり乾いていた。東京出張中だから露伴はいなかったし鍵はかかっていたが、クレイジー・ダイヤモンドで壁を壊して用事を済ませてから直せばどうということはない。
仗助に褒められてははにかんだ。
「熱かったら言ってくださいねー」
を洗濯機の上に座らせて、しっとり濡れた長い髪を手に取る。ドライヤーをオンにするとその音と風にはびくっと体を震わせて振り返った。
「風が出る機械スよ」
ゴウゴウと音をあげて迫る機械に、はぎゅっと目をつむり肩をすくめて風を受けた。
「あは」と仗助は笑う。
なんとなく露伴がをいじめていた気持ちがわかってしまった。いや、自分はああはなるまいと、咳払いして丁寧に髪を乾かしていく。自分の家の石鹸なのに格別にいい匂いがする気がした。

仗助は室内着に着替え、食事を済ませたところで朋子が帰るまでまだしばらく時間がある。ゲームでも見せて遊ばせてあげよう、マリオカートがいい、そう思って誘ったがは静かに首を横に振った。
「仗助様は“てすと”のために勉強をなさるはずです」
ぎょっとする仗助についと三つ指ついた。
「この身はどうぞ、仗助様の勉学のさわりにならない場所へお移しくださりませ」
「うっ…もうこっちの仕組みを理解したんスか」
「アカテンという結果になれば、夏の休みが減るとご学友が話されているの声を聞き及びましてございます」
「うう…」
子猫のように思っていた女の子に諭されるとは、まさか展開に仗助は頭を抱える。
そんな仗助を見て、はうつくしく微笑んだ。
「がんばってくださいませ。“てすとまであと三日。ほしゅーだけはまじかんべん”です」






をおいたフルーツカゴは祖父の部屋だった場所へ移した。
勉強は思いのほかはかどらず、億泰からばかりメールが来る。
ケータイを見たり、ドアを細く開けて先の部屋に変わりがないか確かめてみたり落ち着かない。日本史のノートに緑ペンでマーカーするだけして、赤シートでの暗記チェックは結局しなかった。
露伴には夕方、嫌がらせついでにメールをしておいたが返信は来ない。
のことが心配ではないのだろうか。
椅子の背もたれに体重をかけると、ギシと軋む。
「スタンド使いじゃなければスタンドそのものかと思ったけど、違ったな」
昼間の光景を思い出しぽつりとつぶやく。

スピードワゴン財団が来て連れて行かれたら、なにをされるのだろうか。素っ裸にされて、ニヤニヤしたおっさんたちに手術台のうえに押さえつけられて、いやがる体にエッチなことを
「い、いやいやいや、んなわけねえ承太郎さんが一緒に来んだし」
ガガガガガ!とケータイが震え、不埒な妄想を誰かに見つかったかのように椅子から転がり落ちた。
メールは母・朋子だ。あと十五分で帰ってくるらしい。
仗助は軽くため息をついた。
普通の女の子のサイズだったならまだしも、あんな小さいひと相手にドキドキしたり、エロいことを想像したり

「アホらし。あれは子猫だ、子猫。子猫」

目を閉じ、三回唱えて最後にバシっと頬を叩きこんで立ち上がる。
「オーイちゃん、お袋帰ってくるからこっちに」
わざと幼く呼んで煩悩レベルをさげた甲斐もなく、祖父の部屋の入り口近くに置いたフルーツカゴのなかで、はぐっすり眠っていた。
「よく寝るなあ、ホントのあかんぼみたいだ」
つんつんとほっぺたをつつくと、むずがってハンカチの毛布に顔をうずめる。
仗助はほのかに癒された。だがこれも明日の夕方でしまいだ。
明日になれば露伴が帰ってくるし、承太郎も来日する。
むかし、雨のなか拾ってきた子犬を思い出す。いますぐ戻して来いと叱られた。

情を感じたらいけない、自分ひとりでこの命をどうにかできるものではないのだから。
もう
すぐに
二度と会わない他人になるのだから



「で、なんで今日もガッコ連れてきちゃったんだよ仗助」
「…心配で」



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