杜王町で仗助がオカシクなりはじめた頃、
東京では岸辺露伴が書店大賞の準備会議に威風堂々と遅刻していた。

昨日飲みすぎたためであるが、書店大賞の担当者は、そのちっとも悪びれない大遅刻っぷりが岸辺露伴の大物っぽさのあらわれであると妙なとらえ方をしたらしい。イメージの斜め上を行く露伴にむしろ歓喜していた。
会議が始まっても露伴は伏し目がちに書類をみるだけで、返事も「ああ」とか「そう」とかひんやり冷たい。この態度も担当者のツボに染み渡った。身震いして今にもむせび泣かんとする前兆がある。
露伴は二日酔いで頭が痛く、しゃべるのが億劫なだけだった。露伴の担当編集だけが、横でずっと苦笑いを張り付けている。
しまいにはサインと握手を求められ、酒のせいでずいぶんな態度をとっていたから二日酔いも覚めてきた最後くらいちゃんとしてやろうと、ぎゅっと力を込めて握手してやったら、担当者はぶわっと噴き出すように泣いた。なんかコワイ。

ようやくエンジンがかかってきた昼過ぎ、東京で予定していたすべての打ち合わせが終わった。

「それでは先生、お気をつけてぇ。また詳細はメールで連絡しますので」
「ああ。それじゃあ」
スーツケースを転がし、肩にはいつものスケッチブックバッグを提げて露伴は帰宅の途についた。水道橋駅から東京駅まで戻ればS市までは新幹線でたった1時間30分だ。しかしその足は不意に立ち止まり、それた。
駅前に新装オープンした家電量販店に。






これはただの餞別である。

新幹線のなか、そのあとのS駅から自宅へ向かうタクシーのなかでも露伴は繰り返した。
そう、これは餞別なのだ。
きれいにプレゼントラッピングされた大きな箱はジルバニアファミリー「あかりの灯る大きなお家」であるが、別にこれに住まわせようとか、そういうことではない。
メールを見る限り自分より先に仗助になついたようなのでこれでポイントアップを図ろうとかそんなことでも決っしてなく、まあ仗助よりこっちになつかせて仗助が悔しがるならそれはそれで物で釣ってやろうという動機にもなりうるが、とはいえこれは、短い付き合いではあったが絵のモデルをしてもらったこともあるわけだし、かと言ってあれに金なんか渡してもじーと見つめて「これはなんですか」とか言い出すに決まっている。だからこれは金銭に代わる報酬というわけであってうんたらかんたら。
タクシーのなかで悶々と考えていたが、ハッと顔を上げた。

そうかわかったぞ、まだぼくは酔っぱらっているということにすれば

言い訳がましいことをナイスアイディアのように思い付いてしまった自分を岸辺露伴はぶん殴りたい。

「いやーこんなにスイスイいけるのももう今週までですねえ」
「え?ああ、そうですか」
「お客さんこっちの人です?ここはさあ、七月一日が海開き川開きって毎回決まってるんですよ、今年は一日が月曜日だから気持ちアレですけどもねえ」
「はあ」
「観光客がわんさか来ましてね、みんなヘーキな顔でタクシー使うんですわ。うちもかきいれどきですけどもねえ、道が混んで混んでねえ」
「はあ」
「お客さん恋人はいらっしゃるんで?ウヒ、まあいてもいなくてもお客さんイケメンだから、夏になったらイロイロ大変でしょう?いやあ、お若いってなぁーうらやましいですよ。そういやさっきもね、ずいぶんこう、男っぷりのいいタッパのあるお客さん乗せましてね。ああ、でも気を付けてくださいよ、イロイロ集まって来るとヘンなのも来ちゃうことがケッコーあるんですよ」
「はあ」
「いやあね、ここだけの話、この杜王町にはいろいろとまことしやかな噂があるんですよ。ずーっと捕まっていない殺人鬼がいるとか、幽霊が出る小道とか、そういう古い怪談がありましてね。新しいとこだと、ちょうど海沿いのホテルのあたりで、白い巨人が夜な夜なヒトデを拾って歩いてて、それが実は人間の手と間違っているだけで、きれいな女とばったり会ったらその手を持って行っちまう、とかね」
「はあ」
「タクシー仲間の間じゃあ、赤ん坊の声で泣く老人の話なんてのも」
「とめてください、ここなんで。領収書ください」

家の少し手前だったが、おしゃべりがいい加減耳障りだったので露伴はタクシーを降りた。
夜色に落ち着き始めた閑静な住宅街のなかに、岸辺露伴邸はひときわ大きい。先日焼けた箇所の修復も終わってすっかりきれいなものである。
「…うん?」
明かりがついている。
「またあいつらだな。直せるからって平気で人の家を壊しやがって」

ドアをあければ案の定、リビングのほうからぎゃあと高校生立ちの声がした。
見慣れないスーツケースも置いてある。
「おいクソッタレ仗助、器物破損に不法侵入したうえに客まで上げたな!」
玄関から廊下に向かってどなると、康一がリビングから顔を出した。
「やあ康一くん、君は親友だからかまわないよ。ん?どうしたんだい。目を白黒させて。あ!さては億泰あたりがうちの家具を削り取りやがったのかい?」
億泰のスタンド、ザ・ハンドで削り取ったものは仗助のスタンドでも元に戻せない。
抱えていた荷物を玄関に置き、わざと足音を立ててリビングに入った。
「君らな、ひとんチをオーソンの前のたまり場だと思うなよっ」
リビングには康一がいる。
当然のようにその傍らには山岸由花子がいて、億泰、仗助のアホクソコンビはなぜか口をポカンとあけて突っ立っている。ソファには白い大きな背中もある。一年ぶりに見た、空条承太郎だ。
そして承太郎含め全員の視線の先、この世のものとは思われないほど美しい姫君が佇んでいた。

人間のサイズをしただった。

露伴の口がポカンとあく。

「ろ、露伴様…」

袂で隠したむこうから震える声を聞いた。
白い顔からいっそう血の気がひいている。
形の良い眉をハの字に寄せて、小さかったころよりもよほど儚く震えていた。
「これは、これはいったいどうしたことだよ。きみ、本当にか…?」
「は、い」
か弱い声でうなずき、露伴は夢遊病患者のように近づいて、その作りをまじまじ見た。
絵に描いたから細部まで覚えている。これはまさしく
「今さっき、き、急に大きくなったんです。ドラえもんのビッグライトをあてたみたいに、あの、着物ごと」
康一は大汗をかき、驚きを隠しきれない。
「きれいだー…」
億泰が魂を抜かれたような顔でつぶやく。
さん、えと、その、ど、どっか痛かったりしないスか。その、成長痛?みたいな…?」
力なく首を横に振った。
本当に、思いもよらない突然の出来事だったのだろう。自身も露伴に脅かされたときのように震えて怖がっている。
、大丈夫よ。あなた、普通のサイズになっただけよ」
混乱する男たちをのけて、由花子は静かにの手をとりそう言った。するとはついに堪えきれず由花子の胸にひしと抱きついた。
シャリーン
場違いな音に振り返ると、億泰がケータイのカメラでその光景を撮ったところだった。
「あ、悪ィ。なんかソレ、いいなーってグエ!」
由花子の黒髪が億泰を締め上げた。






露伴が家に戻ったのとほぼ同時にこうなったというは、しばらくは由花子の胸を頼ってとぎれとぎれに言葉を話せていたが、ずるずる床にへたり込んだかと思うと意識を失った。
、どうしたの、しっかりして。仗助っ」
「おう」
仗助と億泰が駆け寄り、露伴も覗き込む。康一だけは承太郎に引き止められ、状況の説明を求められている。
「ダメだ。怪我をしているわけじゃないから、おれのスタンドじゃあ治せない」
「え、どうすんだよ」
「顔が真っ青だわ」
「どけよ。息はしているんだ。しばらく寝かせておけばいい」
さすがにもうフルーツカゴを寝床に使わせるわけにもいかない。
とすればやはりベッドに運ぶべきだろう。
気を失った美女を、
ベッドに。
東方仗助、虹村億泰、岸辺露伴の三人に妙な緊張感が生まれた。
「…」
「…」
「…」
「やれやれだぜ」
承太郎が割り入った
「先生、縛るモンはあるか」
「「「え」」」と3つの声が重なる。
露伴は何に使うのかという意味で、
仗助はなにも縛ることなんてないと思って、
億泰はエロいことを想像して。












高校生全員からの反対を意にも介さず、空条承太郎はイヤホンコードでの手足を縛り、露伴の寝室へ放り込んだ。
岸辺露伴は寝室に置くことを許すと言っただけで、ほかには口をださなかった。

仗助たち、そして岸辺露伴から経緯をわかるだけ聞いた。

人間の成長を操るスタンド使いには会ったことがある。体長を変化させるスタンド使いも財団のイタリア支部からの報告で読んだことがある。
大きさ、岸辺露伴が読んだ”過去のない人生”、食事と排泄、体長の変化。
複数のスタンド使いに襲われでもしない限り、とても普通の人間ではありえない性質ばかりだが、承太郎が二階の寝室へ持って行ったとき腕に伝わってきたのは確かに人間らしい熱だった。
いずれにせよ、あの娘が何らかのスタンドに影響されているならば、赤血球中のタンパク質に特殊な波状パターンが現れるほかいくつかの特徴が出てくる。海洋学者である承太郎にその判定ができるわけではないが、まもなく来航するスピードワゴン財団超常現象研究部門の研究船であれば、正確に判定可能だ。
結論はSPW財団の調査結果が出るまで保留し、憶測を避けるべきである。
そういう意味合いの言葉をごく端的に口にした。

「調査団はいつ来るんです?」
「連中は必要な機材と一緒に船でくる。明日正午には杜王港に着くはずだ。それまではあまりあの女に近づかないほうがいい。先生、念のためあんたも今日はホテルにでも泊まったほうが安全だ」
バカを言え、ここはぼくのうちだぞ、
そう反論しようとした露伴だったが、

「承太郎さん。あの人は別に危険な奴じゃあないですよ」

仗助が先に、自分が感じたものの正しさを信じた。
「承太郎さんも見たでしょう。あんな、自分の姿見てもびっくりしちまうような人なんです」
「…」
「テレビとかケータイとか、音楽にだってびっくりして、でも一度だっておれたちに悪さするようなことはなかった」
「じゃあ、あれは普通の人間か?」
「そ、それは…」
「でもスタンド使いじゃあないし、スタンドそのものでもないわ。ヘブンズ・ドアーで見たって矢で射られた記憶なんてなかったって言っていたもの。それにあの子は普通の人にも見えているのよ」
由花子が加勢する。
これに勇気づけられたように億泰もしゃしゃり出た。
「そうだぜ承太郎さん!確かに人間じゃないっぽいとこあるけど、でも人間っぽくなくたって、ちゃんといいやつはいるし!鈴美さんに、未起隆に!それからその、う、うちのおやじとか、その…えっと」
「ぼくもみんなの言うとおりだと思います」
しばらく考え込んでいた様子だった康一が口を開いた。
「承太郎さんはぼくらよりずっと、絶対、いろんな危険な相手に立ち向かった経験があるから、万が一なにか起こって取り返しのつかないことになったらって。そういうふうに思えないぼくたちのために言ってくれていると、思うんですけど…」
顔を上げる。
「でもさんは心があるから、悪いものだって決めつけてあの人を傷つけてしまったら、それこそ、これからもっと仲よくなれそうな”友だち”としてぼくには取り返しがつかないことのような気がするんです」
相手を威圧しようとガンを飛ばすわけでもなく、しかし怖じもせず、康一は承太郎と視線を交えた。
やがて帽子のつばをさげて視線を切ったのは承太郎のほうだった。
ため息に、やれやれだぜ、という音を聞く。
「…なにも正体不明で危ないから殺せと言ったわけじゃあない。正体がわかるまでへんに肩入れをするなと言っている。おまえたちはすでに肩入れしちまっているようだから、一旦距離をおくんだ。本人だってわからないうちにおれたちを攻撃するかもしれないのだから」
「で、あれをうちに置いておけ、と?」
「気を失った女を運び込める場所はほかにないだろう」

「あ、あ、あが」

仗助が突然壊れたみたいな声を上げはじめた。
愕然とした様子でよろよろ寄ってきて承太郎の襟に取りすがる。
「承太郎さん、承太郎さん、場所だけは別のトコにしましょう。だってさんもうあんな、女の人みたいなんだから、独身変態ヤローの家にふたりきりとか、絶対絶対だめっすよっ」
「だれが襲うか、あんな得体のしれないもの。むしろぼくが襲われるほうを心配しろよ」
「するもんかよ!さんはすげえ恥ずかしがり屋なんだから」
「そういう意味じゃない、ぼくはわけのわからないスタンドで寝首をかかれるという意味で言ったんだ。ったく普段からそーいうことしか考えてない奴とは人間の話が通じないようだな。このバカエロ頭!」
「…おい。テメぇ…いまおれの髪型のこと何っ」
「エコーズ 3 フリーズ!」
ビタン







康一に説得されると、露伴のほうもしぶしぶを家に置くことに納得した。
岸辺露伴を攻撃できない
岸辺露伴の精神を操ることができない。
露伴のベッドで眠っている間に書き、コードはほどいた。
のページには相変わらず竹取物語の原文がびっしりと書かれている。
時折、仗助、億泰、康一、由花子たちと過ごした楽しい思い出もあった。
じっと見る癖の理由もわかった。
「仗助様は優しい」ともある。
こればかりは消してやろうと手を伸ばし、しかし止まった。
小さな文字で綴られた楽しい思い出のそのすぐ横に、はるかに大きく、水をこぼしたように震えた文字で
「心細い」
とあった。



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