「自白剤だとっ」
珍しく声を荒げた承太郎のこめかみには、はっきりと血管がうかびあがっている。

ブリーフィングルームで机越しに襟首をつかまれた研究チームのリーダーはあまりの力にガチガチと歯を鳴らす。調査四日目の夜のことだった。
「あの娘がこちらの尋問に黙秘するような真似をしたというのか」
「い、いえ、それはその」
SPW財団がわけあってドイツ軍と親交が深いことは知っている。第二次大戦中に使われ、以後も秘密裏に開発が進められてきた薬物がたくさんあることも承太郎は知っている。
しかし時間をかけさえすれば、拷問や薬物なしでも自白させる方法はいくらでもあるのだ。殊、この土地においていえば自白など岸辺露伴のスタンドを使えば一発だ。
それを、今のところただのひとつも悪事を働いてはいないうえ、質問にも素直に応じている少女に対して問答無用で使うなど、財団側の手違いで誤った指示が来たとしか思えない。
「お、音石明と同じ方法で対処するようにと、本部から」
「…本部にはおれから連絡する。いいか、それまで一切の調査を中止しろ、もう生態を調べるための材料は得られただろう」
「はっ、ハイィ!」
承太郎は締め上げていた衿を解放した。
「これまでの調査項目のリストと、今後予定していた項目のリストを」
「はい、た、たた、ただいまっ」
同じくブリーフィングルームにいた東南アジア系の若い研究員は、逃げるように出て行った研究チームのリーダーの背をしばらくぽかんと口を開けて見送った。
置いてきぼりにされた。
残された若い研究員は、承太郎が椅子に掛ける動作にさえ、「ヒッ」と悲鳴をあげた。

ここに来る前に承太郎は、スタンドの力が作用している可能性も考慮し傾くまいとことさらに意識してきたものの、こうも肩入れせざるを得ない状況になっては心がけを捨てるほかない。
「それで、いまあの娘はどうしている」
「へ!?あ、はあ、それが…薬物がまったく効いてない様子で、いまは部屋へ戻して休ませています」
「そうか」
人の尊厳を奪う薬物が効かなかったというなら、せめて最悪は免れたと思うべきか。
「強制的にスタンドの兆候を発現させるために昨日外部刺激のテストをしましたので、疲れがあるんでしょう」
「なに?」
「ミスター空条、お、おまたせしました、こちらは検査項目の」
外部刺激のテストとやらが、音石明のときと同じく人間をギリギリ殺さないレベルの“刺激”を用いて行われたという事実が承太郎に伝わった。さらにリーダーが持ってきた<予定>検査項目のなかに“解剖”の二文字を見つけた瞬間、空母の甲板と同じ素材で作られたブリーフィングルームの壁が一辺吹っ飛んだ






今日は何回か針を刺されたが痛みはごくわずかな一瞬で、耐えることができた。
ベッドに横になって漫画を開き、読めない文字を想像して読み進めるひそやかな遊びに、救われる心地がした。この一番登場する少年の目は露伴に似ていると気づいたこともまた、を緊張からわずか解放した。
心が緩んだ途端、眠たくなる。
眠りたくない。
眠ったらまた明日が来てしまう。
夏のはずなのにひどく寒くて、は備え付けの布団を頭までかぶった。“しもんずのべっど”とは大違いの寝心地なのに、目の前が暗くなったら重く瞼がおちるのに抗えなかった。
本を傍らにそれから何時間眠ったかわからない。
半分起きて半分眠ったままの頭の中に、しもんずのべっどで眠っていたら眉間を指でつつかれた幸せな記憶が再生されていた。
おはようございますと言ったら、露伴様はひどく不服なご様子で
きっとわたくしをおどろかせて高笑いをなさろうとしていたのでしょうから、わたくしはわざとはぐらかしたのです
できるだけ細かく記憶をなぞる。
まぶしい光に眉をしかめる。
かわいた音がする、くりかえし。
顔に手が触れた。
べったり、と
「しっ、っ静かにしろ」
見開いた目の前に黒縁メガネの日本人が真っ赤な顔をして迫っていた。
飛び起きて壁までさがり、布団をかき抱く。もう明日か?いや、なにか様子がおかしい。
いつもは複数人で来るはずが一人しかいない。
扉は閉じられている。
ベッドの直前で膝をついている男の息は荒く、下のほうで右手をせわしなく動かしている。
男が下半身を露出させているのに気付いた瞬間、は凍りついたように動けなくなった。
「こっ、こっちへ、来いったらぁあっ」
男の腕がぬうっと伸びた。
とっさにその腕を打ち払ったが、強張った手ではあまりに弱い。逆に手首をとらえられ寝台に叩きつけられた。
「うっ」
暴れるを押さえつけ、男は寝台にのりあがってくる。
背に張り付かれ後ろから羽交い絞めにされると総毛だった。
「…っ!」
力の限り喉をしぼり身をよじるが、男はのうなじではあはあと臭い息をして大量の汗をかき、薄ら笑いを浮かべている。
「いいぞ、叫べよっ、もっと嫌がれよ?なあ?なあ?せっかく音声もセンサーも切ってきたんだ、でもカメラが見てる、ヤバイ!誰が今晩監視ルームにいると思うよ?誰だと思う?なあ?誰?」
上ずった声がたたみかける。
「ぅあっ」
服の上から乳房を鷲掴みにされ、痛みにうずくまったの体に更にべったりくっついて体をおりまげ、「おれだよォ?」と耳元で嗤った。
「おのれ…っ、無礼者!」
「ッヒヒ、ぶれいものー」
「っ…わたくしに、触るな、さがれ、下郎め」
「ワタクチに触るな、はァー、ハァアア、ヒフ。ああ…やわらかい」
言葉はもはや通じない。
うつ伏せに押しつぶされながら、服の隙間から胸にじかに触ろうとする汚らわしい手をは両手で阻止した。しかし重さで抜け出すことはできない。
男の手を阻むの手はぶるぶると震えた。
恐れにではない。
怒りに、己の情けなさに。
が抗えば抗うほどこれを制してよろこびわめく。
男は盛んに腰を動かしての太ももに体の一部をこすり付けていた。
「あ゛あ、あ゛あ」とせっぱつまった醜い声が耳に障る。

「……や…ぁん」

「な…」

男の動きがピタリと止まる。
「なに感じてきてやがんだ、このアマがァ!」
興奮した男の手がずるりとの胸元に滑り込み、柔らかな乳房を直接もみしだく。
は目をぎゅっとつむり、はっと熱い吐息をこぼしては身悶える。
「乱暴になさらないで」
はうつ伏せから横顔をのぞかせ、涙を浮かべて懇願した。
「こ、この!これが気持ちいのか?ん?ん?」
はじらい目をそらし、こくんと小さくうなずかれたらもう止まらない。
男は自分が着ていたシャツをボタンも取らずにたくしあげ、メガネに引っかかったところで、はち切れんばかりだった急所に強烈な膝蹴りをくらった。
もんどりうって倒れた隙には男の下を抜け出す。
本を拾う。
「ぎィ貴様ァ!」
股間を押さえ、子羊のように震える男を、扉の手前で立ち止まって見下ろした。
「ぞ、外に出ても無駄だぞっ、その首がァ!」
襟をただし胸を張る。
「そなたに犯されるくらいならば首輪殿と添い遂げよう」
人間とはわからぬうめき声を後ろに、は重い扉を開け外に出た。






警報は牢を出た瞬間から鳴りだした。
待機区画と研究区画をさえぎる自動扉はの力では開かなかったが、駆けつけた数名の保安クルーによって開かれた。保安クルーはに銃を差し向け、横にいたもう一人がその銃を下ろさせた。

言いあう声はにはわからない。
すり抜け走った。

研究区画の白い廊下では、に気付いた研究員たちが慌てて立ちふさがる。しかしそのうち一人が前に出て「This way」と一方向を指さした。しかも、追いかけようとするほかの男たちを、両手両足を広げて阻んでいるではないか。
はその方向のドアへ走った。
追いすがる男を、また別の男が制した。

「This way !」

きっと「なにをやっているんだ!」と指さす男らを問いただしている声がする。阻む男たちの声は「This way」と「Go」と「Run」しか言わない。
もまたわけのわからないまま言われる方向へ走った。
長い髪を振り乱し、息を切らし、汗を散らし、「This way !」の意味も従う理由も見つからないまま、首輪の恐怖を振り切るように無心に駆けた。
やがて、くろがねの通路にたどり着いた。

立ち止まる。

首に汗が伝う。来た道だ。

止まった足が、おぼつかない一歩をもう一度踏み出した。
冷たい鉄板の上を行くとすぐに、暗く広い空間に出た。
非常灯の明かりだけが赤く灯っている。
車両搬入用の出入口に間違いない。
しかし出口がない。
出口だった場所にぴたりと手をあてる。
あまりに巨大な鋼鉄の扉は、ひとすじの陽光も月光も許さないほどぴたりとその口を閉じていた。
開かない、
そうわかる。
力なく、冷たい鋼鉄に額をあてると、ごうん、と低く高く反響した。
反響が無に消え入るまでは鋼鉄に額を預けて目を閉じていた。息をする声に、情けない音が混じるのを、歯を噛んで必死に耐えた。
ふと手を見るとあれだけ走っても落とさず、表紙の引き攣れた小さな本を握っていた。その瞬間こらえていた熱い息がどうやってもとめることができずにこぼれ、けたたましい警報音が鳴り響いた。赤い明かりがぐるぐるとまわりだし、はうずくまって耳をふさいだ。
ゴウン、ゴウンと耳慣れない重低音が警報に重なりだす。
足元が小刻みに揺れる。
風が頬に触れた。
顔をあげ、

細弓のごとき月がある

一歩、さがった。
その足元から、巨大な鋼鉄の扉が跳ね橋を下ろすように外に向かってひどくゆっくりと倒れてゆく。
天上に夜の領域が広がる
磯の匂いが入り込む
みるみる風が増しての髪を無尽にゆらした。



月明かりさす地上に、岸辺露伴が現れた。



<<  >>