オーライ、オーライと運航クルーが赤色誘導灯を片手に、扉の開放を手助けしてくれている。
親切なのは当然だ。「岸辺露伴に親切にする」と書いたから。
大股に足を開き、腕を組み、かっこよく待ち構える。
風を巻いてだんだんと下がってきた巨大な鉄板が完全に陸とつながる前に、の姿が見えた。

よし

いかにも泣きそうで、いい塩梅だ。
この扉が下り切ったら、こう、坂になっている鉄板に足をかけ、に向けて、うん、なにを言っても絵になるな!
さてなんて言おうか。一番あれが恩を感じるのはどういう言葉だ。二度とこの岸辺露伴に頭があがらないくらいのがい「がっ!!!」

まだ鉄板の端が降り切っていないのに、素足で走って海を跳んだが襲いかかってきた。
偉そうにふんぞりかえる気はあっても抱きとめる用意などなかった露伴は、とっさに飛び込んできたの胴体をつかんだが突っ込まれた勢いで自らも後ろへぶっ倒れた。
「ぐぼ!」
とアスファルトにスライディングしてかわいそうな声を上げたのは「岸辺露伴に親切にする」「に親切にする」と書かれた哀れな運航クルーの若者だ。と露伴の下敷きになって、ピクピクしている。
「あ、すまん」
おかげさまで衝撃がやわらいだ露伴は、さすがにかわいそうだったのでごと彼の上からどいてやった。
「顔面スライディングとは献身的ですばらしい。あとでクソッタレ仗助に直させるからそれまで死ぬなよ、君」

クルーの勇士をたたえていた露伴の腰に細い腕が組みついた。

面食らって真下を見れば、少し乱れた真ん中わけの線がある。
顔は見えない。露伴の服にぴったりとくっついているから。
「なんだよ、いきなり」
露伴は顔をゆがめ、ひっぺがそうと頭を押し返す
はなれない。
この細い体のどこにこんな力があるのか。

「まあ、ぼくに感謝したい気持ちはわからないでもないけど。苦労したんだぜ?この船の連中ちっとも外に出て来やしないからなかなか書き込めなかったんだ。今日、ああもう日付けがかわったから昨日か。昨日ようやく外国人バーに大勢出て来たからよかったものの」
もう少しの足が速ければ、バーから戻ったクルーが機器を止める前に首輪が作動して焼け死んでいたところだが、鼻高々に語る露伴には知る由もないことだ。
「でもちょっと苦しい。放せったら、暑いだろ」
肩を向こう側へ押してみるがそれでもどうしてもはがれない。引き絞られた自分の服の背がいまにも裂けそうなのを肌で感じた。高い服だ。破られたらたまらない。
「この、いい加減に」
今度こそ手加減なしで押し返してやろうと、しっかりと両手で肩をつかみ、そして震えていると知った。

ひくり、と露伴の両手が浮く。

「……泣く、のかよ」

岸辺露伴は思春期の少年のように困った。






深夜1時、ケータイで呼び出すと仗助は異常といえる速さで杜王港まで駆けつけた。

寝間着のTシャツ、ハーフパンツ姿で自慢のリーゼントは見る影もなく、足は庭用のサンダルだった。
肩を激しく上下させる仗助は、打ち震えるの背を見つけるなり「露伴てめえブットバス!」」とクレイジー・ダイヤモンドで躍りかかった。しかし直前でそのこぶしは止まる。
泣いている(気がする)は、誰あろう、殴りたい岸辺露伴の腰にくっついているのだから。
振り上げたこぶしをおさめると、おろおろと露伴の、露伴にくっつくのまわりをうろついた。
「フン、必死だな高校生」
仗助が来るまで中学生みたいに戸惑ってろくに慰めることもできなかったくせに、仗助が現れるやたちまち勝ち誇った顔つきに変わっている。
露伴はの背中に手をあて自分のほうへ引き寄せた。
「こっちはいいから、君はあっちの怪我人をさっさと治せよ」
言われて見てみればあっちの地面にうつ伏せでピクピクしている男の人がいる。でも明らかにこっちのほうがうらやましい。仗助は後ろ髪をひかれながらもあっちのほうを治してやった。
露伴のほうをチラチラチラチラ見ながらも倒れたクルーの傷を治しおわると、仗助はまた露伴のまわりを回ってうろうろオロオロし始めた。
さん、あの、いったい何があっ」
「よしよし、怖い思いをしたみたいだな。さあ、家に戻るぞ」
仗助の言葉をさえぎって、露伴はの背を優しくさすりわざと情の深いふうの言葉をかけた。
「もしかして、どこか痛いですか、怪我してるんじゃ」
仗助は露伴の一切を無視して、と視線の位置をあわせるように跪いている。露伴など、がしがみつく電柱のようなものだ。
「あれ、これ…首飾り、ってわけじゃなさそうっすね」
細い首に巻きついている武骨な装置はが望んでつけたのでないだろうことは、言われなくても察しがつく。仗助の指が装置に触れる。
「原料までなおす」
装置は小さな小石となってあられのように地面に散らばった。その奇妙な感触に驚いたのか、ずっと露伴の服に押し付けられていたの顔がようやく少しだけはなれた。
仗助は息を止めた。
「これ…、どうしたんですか」
仗助の声に興も怒りもそがれ、露伴もを覗きこむ。
首輪のあった位置に赤黒い跡が一周しているように見えた。



そうこうしている間に研究員から緊急の報告をうけた空条承太郎がタクシーでその場にかけつけた。
が船の外に出ているばかりか、露伴と仗助までそろっている状況に表情を険しくする。その視線を露伴と仗助がの前に出てさえぎったことにも。
中へ連れ戻すことは許さないと彼らの目と、彼らの背後に立つスタンドが物語っている。
承太郎はこの二人が相手であっても、危険因子の脱走をそう簡単には許さないように思われたが「今夜は連れて戻ってくれ」と短く露伴に頼むと、自分は船の中へと入って行ってしまった。
意外な反応に露伴と仗助は同じタイミングで顔を見合わせた。

空条承太郎が緊急報告を受けたのはの脱走についてではなく、研究員がにレイプ未遂をしでかしたことについてだったのである。












露伴、仗助、の三人は承太郎の乗ってきたタクシーで露伴の自宅へ向かった。仗助はが心配だから露伴邸に泊まると言い出したが、露伴に男を泊める趣味はないと拒否され
「なんだと」
「なんだよ」
の無意味な押し問答をしていたが、始終一言も発さず虚空を見つめるに気付いて、仗助は心配も不安も焦りも腹の下におしこんだ。
「…絶対、絶対手ェだすなよっ!」
これを捨て台詞に、仗助はタクシーを途中下車した。



7月3日水曜日
深夜2時をまわったころ、二人を乗せたタクシーは無事岸辺露伴邸に到着した。
タクシー運転手に「いま乗せた客のことを忘れる」と書いて玄関をはいってから、前置きもせずにの頬を本にした。目を閉じ崩れおちた体を支え、真っ暗な玄関で露伴の目にだけにその文字は読み取れる。

船にいる間のすべてを読み切る前に、露伴はの頬のページを閉じた。

「…転ぶなんて、家にはいった途端に気がぬけたか?」
いつのまにか露伴の腕の中で支えられていたことに、はたとまばたきした。
露伴はちょっと鼻を寄せ、スンスンとをかいであからさまに嫌な顔をしてみせる。
「…君、まずは風呂に入れよ。海のにおいがするぞ。それに潮風にあたっていたんだからな、ぼくの家をベタベタにしてくれるなよ。ああ、心配ない、君の時代とちがってまきをくべるわけじゃないから5分もあれば湯を張り終わる」
を立たせ、背を軽くおして脱衣所におしこみ、自らはお湯張りのスイッチを押した。
「これはシャワー。ここがスイッチになっていて上げるとお湯が出る。バスタブ、湯船って言ったらわかるか、このなかで浸かって、…」
は洗面台のまえでぼうっと立っている。明るい場所で見て知る、 首の痕は仗助に直してもらったが、髪は乱れ、片方の手首に人間の手の形に赤い斑点がある。患者が着るような膝丈の服一枚で、むき出しの足の指は小さく縮こまっていた。
露伴は、の右手にピンクダークの少年第一巻が握られていることにようやく気付いた。ヘブンズ・ドアーで本にされた人間は気絶したのと同じ状態になるというのに。
「…せっかく人がやったものを短い間にぼろぼろにしてくれたな」
腕組みしてを見おろす。
コミックをひっぱると、の手がついてきた。
手を振り落そうと軽く揺らすと、揺らすとおり揺れた。放されないコミックの表紙がのつかんでいる場所からたわんでいる。

大きく見開かれた目と視線が交わること数秒、
もう一度くいっと引っ張ると掴んでいた指がついにすべり落ち、ほそい腕はたらんと力なく降りた。
その瞬間、開かれたままの目からひとすじ涙かこぼれたのを見て露伴は「あーもう」と頭を乱暴にかいた。
「わかったよ、ハイハイ、やるよ、これは君のモンだ。ったく、折るなり煮るなり焼くなり好きにすればいい」
「…読んでもいいですか」
「あたりまえだろ」
「…」
「読んでもらうために描いてんだ、こっちは」



自分の服を着替えに貸して、ぼくはまだ仕事をするからとにはシモンズのベッドを使うことを許した。
机に向かい合った露伴は、ここ数日のスランプが嘘だったかのように、あふれ来る物語を、生々しい怒りの感情を、セリフを構図を表情を、まっさらの原稿にたたきつけた。



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