同日7月3日、
その日の午前11時には、空条承太郎とともにSPW財団役員三名が杜王町の岸辺露伴邸を訪れた。

両手に菓子折り、血の気の引いた顔色にうすい頭、フォーマルスーツといういでたちである。
露伴はソファにふんぞり返って、言葉少なになるべく怒っている表情をつくった。得意だ。
一夜にして22ページを書き終えた楽しい徹夜明けのテンションが彼の演技に真似できない凄味を与えていた。
露伴が眉間にしわを寄せればよせるほど、役員はおもしろいように汗をかく
当事者が足音ひとつ立てず上の部屋から降りてこなかったのは、露伴が降りてこないように言っておいたからだ。
財団内の体制の是正と被検体の新しい取扱いプランを策定する期間として一か月間、を露伴の家に置くことで示談が成った。そもそも露伴はの保護者でも後見人でもないわけだが、娘との結婚を許さない厳格な父親のごとく威圧しているうちにそのように認識されたらしい。
承太郎は何も言わなかった。

に関する情報提供料、生活費(チラと見えた、むこうの書類には管理費とあった)、プラス示談金として、宝くじがあたったような金額が提示された。加えてまだ人間かどうか定かでない“リスク”をそばに置くことに対する保険として空条承太郎も同期間、杜王町の近隣ホテルに滞在することが書類には記載されていた。



「本当にいいのか」
役員が帰ったあと、承太郎は露伴邸に残って改めてたずねた。
「まだ調査結果は出そろっていないが、十中八九、あれは人間ではない」
「あいつがここがいいって言ったんですよ」
露伴はソファにふんぞりかえり、面倒そうに長く息を吐く。
「確かについ数時間前まではあの研究船に戻せないなとは思っていましたけど、理由はそれだけじゃあない」
「どういうことだ」
「誤解がないようにはっきり言っておきましょう。ぼくが部屋を貸すことに決めたのはあいつが完全にぼくのことをなめきっているからだ」
露伴の言葉尻に不穏な色が混じり始める。
「露伴様ならああ見えて優しくしてくれるとか…露伴様なら三大欲求が乏しそうだからいろいろ大丈夫だろうとか露伴様の家ならほかの人の迷惑にならないとか!」
見てきたように指折り数え、口調を怒らせていったところから察するに、さてはついさっき読んだのだろう。

「ここに置いてほしい?ハ!ああいいだろう。絶対怖がらせて、いじめぬいて、この岸辺露伴をナメくさったことを末代まで後悔させてやる。フ、フフ、フハハハッ…!」

思い出したらまた読んだ時のくやしさが蘇ってきたのか、露伴は歯をむいて怒っているようなこれからけしかける嫌がらせに心躍らせるような、不気味な表情で笑い出した。
承太郎は紅茶をすすり
「ほどほどにな」
と言った。






「無断で外出しないこと。ぼくが仕事中には話しかけないこと。2階の仕事場に近づくのもダメだ」
「はい」
「くつろぎたいときには1階のリビングを使っていい。ただしぼくが出ていけと言ったら出ていくこと。風呂と洗面台は共同、けどぼくが使わない時間を見計らって使えよ。風呂掃除と家の掃除、洗濯は君の仕事だ」
「はい、露伴様」
体を洗ってよく眠ったら、少しは顔色もよくなったように見える。
「食事は…ああ、君ごはん食べないんだっけ。料理はできるのかい?」
「恥ずかしながら、やったことはありません」
「じゃあ結構。作るのは自分でやるよ。洗い物は君」
「うけたまわりました」
「で、部屋だけど、君には今日から一か月間、8月3日までここを貸してやる」

2階の壁に備え付けられた短い梯子を上った先、天井に空いた正方形の出入口から這い上がる。立ち上がって露伴は低い天井に頭をぶつけた。後について、も正方形から顔をのぞかせたが、タッチの差で露伴が頭をぶつけたところは見られずにすんだ。
「屋根裏はもうひとつあるけど、あっちはぼくの仕事部屋の上だから君はこっちだ。ゲホ、ゲホ」
西の屋根裏部屋に滞留した蒸し暑い空気が顔にむわっとかかり、ひとつだけある大きな窓からは、たっぷりと容赦なく夏の日差しが降り注いでいる。
移動させなくてはいけないような荷物はないが、床に積もる埃は、屋根裏に座り込んだ露伴の服にすっかりついてしまった。動くたび埃が舞い上がり、露伴はまた咳き込んだ。
「暑…。いや、まずは掃除か。ベッドと、西向きだからカーテンは必須だな、でないと夕方死ぬぞ。タンスに、ローテーブル。ああ、タンスは背の低い収納になるか、この高さだから。冷房ってここつけられるのかな、ダメなら扇風機と…ほかにはなにがいるんだ?」
は正方形から出して見回していた顔を露伴に向け、かしげ、掃除と箪笥以外わからなかったと答えた。露伴が露骨に嫌な顔をすると、思い出したように付け加える。
「ベッドは、しもんずのべっど、のことでしょうか」
「そうだけどシモンズなんて買ってやらないからな。買いに行くのも明日だ。君もいろいろあったのが昨日の今日で疲れたろ。ぼくも漫画をいっぱい描いて疲れた。いいからもう降りよう、ここは暑いしホコリっぽくて長く居たくない」
これから一か月間ここに居ることになったの目の前でそう言ってやったが、はなんともない様子である。それどころか、露伴が短い梯子を降りた先の廊下で、は床に伏せて三つ指ついていた。
「有り難く存じまする」
露伴はチと舌打ちする顔をしたが顔を伏せたにはこれも伝わらない。
「与えてくださったお役目に、この身の不明がわずか晴れる心地がいたします。一所懸命に努めます。それに、住まいまで」
「…」
「なんとお礼を申し上げればよいか、ほかに言葉が見つかりませぬ」
「ぼくをあがめたてまつりたいのはわかるがよせよ。いちいちそういう大げさなのは」
「畏れながら、こちらの皆様は、どのように感謝の意を表すのでしょうか」
「そりゃあ別に、ふつうに立ってこう…」
中途半端に言葉を止めた露伴を、は指をついたまま見上げた。
なぜ言葉を止めたのかというと、それは至極単純な理由である。
に貸した男物のシャツの首が余っていて、たるみ、その隙間からいわゆるひとつの、お、おっぱ
「おじゃましまーす!」
、戻ったんですって?」
「ちょりーっす」
「こんにちは」
「うるせえなチキショウ康一くん以外帰れよ!!」



家主の言葉も聞かず、ドアを壊して高校生たちがなだれ込み、との再会を喜んだ。
急に華やいだ家の中で不機嫌そうな顔をしているのは岸辺露伴ただ一人だけ、…よく見れば仗助もいたくいたましげに眉根を寄せている。
「それ…露伴の」
「着物をひとそろい置いてきてしまいましたものですから、露伴様に貸していただきました」
仗助は頭を抱え、それから由花子の肩をがっしりとつかんだ。その手は髪にぴしゃりとはねられる。
「由花子、さんに服貸してやってくれ。頼む!こんな服着てたんじゃあ、ばっちい」
「貴様の小汚いTシャツと一緒にするなよ仗助。このシャツはGUCCIが世界で300着しか作らなかった超高級品だ」
「高いとか安いとかおれはそういう話をしてるんじゃないッスよ」
「だったらなんだ?ぼくが不清潔だっていうのか?言っとくがな、ぼくの仕事部屋ほど片付いている漫画家は世にも珍しいんだぜ」
「若い女の子に自分の服着せてムッツリしてる根性が汚いつってんスよ」
「じゃあなにか、こいつに服を着せずに裸で置いておいたらよかったっていうのか君は。お前のほうがよほど汚らわしいだろうが」
「なんだと」
「なんだよ!」
珍しく仗助も好戦的な態度を改めず、低レベルな言い合いを始めた二人を差し置いて、康一はに声をかけた。
さん、すぐ戻ってこられてよかったですね。しばらくここで暮らすって本当ですか?」
「ひとつきの間このお屋敷に置いていただくことに相成りました。窓の大きな屋根裏部屋を」
「え!?こんなに部屋余ってるのに屋根裏って。さすが露伴先生っつーか、なんつーか」
億泰の言うとおり、この家は一人暮らしの男が暮らすにはあまりに大きい、103坪7LDKを誇る。はゆっくりと首を横に振った。
「部屋を貸していただけるだけで、ありがたいことです」
それに、と手をあわせて表情をほころばせた。
「明日、家具をこしらえてくださると。ベッドに箪笥、ろおてえぶる、かあてんと、ふうせんき、です」
「扇風機だバカ」
さんにバカって言うなこのっ」
取っ組み合いを始めたふたりを差し置いて「へえ、よかったじゃないですか!」と康一はを喜ばせた。
「あ、ハイ!ハイ!ハーイ!おれいいこと思いついた。さんの家具買うの手伝うってのどうよ?」
「わあ、いいねえそれ楽しそう。ぼく家具屋さん行って眺めるの好きなんだ」
「眺めるだけじゃねえぞ康一、先生のポケットマネーで買い放題だ!康一来るってよ、由花子も来んだろ?」
由花子は相手がとはいえ康一がほかの女のために家具を選ぶと思うと一瞬悔しく思ったが、康一と家具を選ぶ自分の姿がぼんやり頭の中に浮かぶと、ぽーっとなって一も二もなく賛同した。
「うおっし、じゃあ決まりな。明日11時にカメユーデパートで!」
「なに勝手に決めてるんだよ億泰。だいたい明日は平日だぞ、残念ながら君らは学校だザマミロ」
「残念ながら、今日が期末最終日!明日から試験休みなんスよ。イエーイ、ザマミロー」
「なんだと仗助貴様っ」
「なんだよそっちが先に言ったんだろ」
「人んち勝手に上り込んどいてどういう了見だって聞いてんだよ」
「了見とか難しい言葉使われてもよくわかんないッスねおれピチピチの高校生なんで」
「エコーズ・アクト3」



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