“カーテン”のむこうの外の空が薄紫の濃淡をうつしている。

“しもんずのべっど”での目覚めは心地よく、毛布一枚でこの季節には暑いくらいだった。
目覚めてぼんやり眺めた屋根裏部屋のまとまりのない、こじんまりした景色にほっとする。
窓を開くと前の道に不思議な乗り物に乗る人が見えた。止まるたびキイイと高い音をたて、家々のおもてに出た箱になにか入れている。
夜も明けやらぬ刻限にあれはどういうお役目なのだろう。
しばらく目で追っていたが、ついにわからないまま遠ざかって行った。
手水は一階である。
は鏡台の前で承太郎にもらった櫛で髪を梳いてから、音をたてないように梯子を降りた。
昨夜、悪童のごときいたずらをしかけてきた岸辺露伴の仕事部屋の扉に明かりがない。寝室で休んでいるのだろう。
いっそう足音を立てないようには一階で身支度を整えた。
露伴が眠っているなら任じられた掃除は、もうすこし日が高くなってからのほうがいい。それまで何をしようか。 ただぼうっとしていたら自分の過去と未来にぽっかり空いた暗い深淵を覗き込むことになるとわかっている。明かりとりの窓からわずかに光がはいっているリビングで、は小さくため息しながら腰かけた。
そのソファの向かい、露伴が横たわっていてぎょっとする。
露伴は ソファに滑り込んでそのまま寝ました、という恰好だ。
どうしよう、毛布を持ってこよう、と立ち上がったとき、突然けたたましく鳴りだした警鐘に腰を抜かした。
近かった露伴のソファに身を寄せ、無意識に露伴の服をぎゅっと握る。
音の発生源はどうやらテーブルのうえの小箱だ。
このままでは露伴様が起きてしまう。発生源をおさえ込みたいが、触った瞬間箱の中の生き物に飛び掛かられるかもしれない。いや、恩人の安息を妨げる者を恐れてはならない。手を伸ばす。待て、箱の中の猛獣が自分ではなく眠っている露伴の首に噛みついたりしたら。
意を決し、は露伴と箱の間に体をいれて盾となるよう、おっかなびっくりに両手をひろげた。
「う…んん」
うしろで露伴がむずかりだした。
天の助け!
「露伴さま、きゅうに、音が」
ポンと軽く頭を撫でられた。
二度、三度と往復して撫でられ、の頭上に大量の疑問符が生まれる。
「っ止まれよ…故障か」
眠たそうな露伴と目が合った

「…うわっ」

露伴はソファから飛び起きた。
「なにしてんだよっ、こんなところで」
「音が、鳴りまして、露伴様が、その…頭を撫でてくださいました」
「ち、違う!ぼくは目覚まし時計を止めようとしたんだっ、どうりで、ったく」
露伴はを押しのけて、テーブルの上にあった目覚まし時計をポンと叩いて止めた。うなだれるような姿勢で前髪をくしゃりと握りつぶす。そのままかき上げて頭をかいた。
「まあ…目が覚めたからいいか。それにしても君、早起きだな。ぼくはまだ仕事するから邪魔をするなよ。テレビは見ても構わないけど、音量は小さくすること」
の返事を聞く前にテレビをつけ、露伴はあくびしながらリビングを出て行ってしまった。

『これからおやすみになる方もそしてお目覚めの方も時刻は4:00になりました。7月5日金曜日、めざにゅうの時間です』

驚くことはない。
由花子からテレビの中に人がいるわけではないと教わっている。
仗助に習ったとおり、リモコンでチャンネルを変えてみる。
すると、の興味をぐっと引く番組が放送されていた。
どうやら異国の言葉を学ぶための番組らしい。






7月5日 金曜日
太陽が真上に上った頃、露伴邸に来客があった。

繰り返されるチャイムの音に、つい30分前に床についたばかりの露伴はものすごい形相で覚醒したが、徹夜明けの重い体はついてこない。頭まで布団をかぶり壁に向かって寝返りした。
それでもチャイムは繰り返される。
絶対起きない。
そう決めた。
鳴り響くチャイムのなか、階段を下りて行く足音がした。(あのバカ)と布団の中でこもった舌打ちをするが、まあ大丈夫だろう。鍵の開け方は教えていない。
直後、ガチャという開錠の音がして
「あっのバカ!!」
と露伴は飛び起きた。

寝室を飛び出し二階の廊下の手すりから下を覗くと、玄関に立つに大きな薔薇の花束が押し付けられている。
目を疑ったが、さらに外から男の腕が伸びて困惑するの手首をとらえたのを見て、露伴は階段を下りた。
来客は見たことのない高校生だった。
「なんだ、貴様」
学ランを着ているとそれだけで仗助とかぶって露伴の眼光は鋭くなる。派手なスカーフもアゴに入ったH☆Sという刺青もスカしていて気に入らない。
の手首を放させ、花束を突き返した。

「いやあ、こんにちは。あなたはさんのお兄さんでウゲ!岸辺露伴!?」
「人んちに来といてウゲ!岸辺露伴!?とは無礼な奴だな。何の用だ」

寝起きの不機嫌も重なって、露伴の苛立ちメーターはグングン上っていく。
「い、いやあその、ああ!雑誌のダ・ヴィンチでインタビューを見たんですよ、ハハ、それでびっくりしてウギャア!うれしいって。ファンなんで」
「ふうん…。ぼくのファンのわりに、違う要件で来たみたいだが?君の知り合いか?」
「たしか、デパートでお会いした仗助様のお友達のふ」
「ふ!不条理なこの世界に舞い降りた純白の姫君、あなたの下僕ですっ。ひと目見たその時から、ずっとあんたのことが忘れられないんだ」
突然大げさに跪いて花束をへささげた。
露伴はおかまいなしにドアを閉じ、純白の姫君の下僕の腕が挟まった。
「痛ぇ!」
「うるさい」
「ま、待ってくれ!プ、プレゼントもあるっ!ファイヤラットのフェイクファーだ!ブランドもんだぜ!?」
さらに力を加えて閉めようとする露伴に下僕は、控えめに言ってもミケランジェロの彫刻みたいな顔を滑り込ませて食い下がる。その顔がぐんぐん縦長に押し伸ばされていく。
「ちょっと待ってつってんだろてめえ!またぶっ殺されてえのかっ!おれはさんに用があんだよ!」
はおまえに用はない!それに、ぼくはおまえみたいな安っぽい不良にぶっ殺された覚えもない。だいたいおまえどうやってここまで来たんだ」
「どうってそりゃあ、さんのニオイをたどって」
「ヘブンズ・ドアー!家に帰って宿題してクソして寝ろ!」

書いて追い返し、には、玄関に知らない人が来たらドアを開けるんじゃありませんと母親みたいな事柄でしかりつけた。
「ったく、徹夜明けだってのに起こしやがって」
「露伴様…ごめんなさい」
急につめよられて驚いたのか、ただでさえうすら白い顔をさらに白くしている。
ついこの前男に乱暴されかけたことは一部を読んで知っている。
弱い者いじめをするみたいで怒る気も失せた。
「もう起こすなよ」
「きっと。おやすみなさい」
「おやすみ」

ピンポーン

能天気なチャイムが玄関ホールに鳴り響き、は青ざめ、露伴のこめかみに青筋がはしる。

「何度も何度もいい度胸だ貴様!表に出ろ!この、変態がっ!」
ドアを開けて雷のような怒号を浴びせかけた先

「…」

空条承太郎が立っていた。



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