「いや、祭りっていってもあっちのデカいほうのじゃなくて、杜王駅の駅前でやってるやつなんすけど」
「で?」と、仗助の力説に露伴は冷たい。

「夜店も結構出て、盆踊りのやぐらも立つってんですよ」
「ああ、そう」と、億泰の言葉にも心動かされる様子はない。
「じゃあ、先生もご一緒にどうですか」
「康一くんがそういうなら!」
康一の言葉には快くうなずいた。
「康一っ!待った待った、なんでさん誘うのに露伴センセまで一緒に」
「なんだ億泰、ぼくが行ったらなにか不都合があるのか」
「滅相もない」
「あるわよ。康一くんとの時間を邪魔する気ね」
「いや由花子も待てって。いまはそういう話じゃねーだろー。おれたちが誘いに来たのはさん」
あさって7月7日日曜日に、杜王駅前の特設広場で杜王七夕祭りがおこなわれる。
七夕祭りといってもS市が年に一度総力をあげて行うあっちの七夕祭りではない。あっちは八月だ。あさってのほうはごく小規模なローカルイベントに過ぎない。

「断る」
「っなんで」

一刀両断され、仗助は思わずテーブルに詰め寄った。
仗助の強い瞳にも怖じることなく、露伴はフンと鼻をならした。
「ぼくが出したくないと言っているんじゃない。あれ自身が外に出たくないと言っているんだ」
いつもなら取っ組み合いがはじまるところだが、露伴の温度が低い。なにかを読み取って康一は眉根を寄せて露伴を覗き見た
「…なにか、あったんですか?」
問いかけに露伴は睫の下の瞳をすいと康一のほうへ動かした。
「君たちが来るまえに承太郎さんが来て、あれの分析結果を寄越してきたんだ。の正体は、紙きれとインク」
あっさりとした告白に、誰ひとり理解に至らない。
「なにを驚いているんだよ。そういう噂をしていたのはもともと高校生の君たちだろう」
「なんだよ、それ」
「となりの学校で死んだ古文の先生は竹取物語のプリントから出てきたかぐや姫に殺されたって」

不意に生まれた沈黙の中で、億泰が最初に「ハハ」と渇いた笑い声をあげた。

「何言ってんスか、露伴センセ。さんが紙でできてて、そんで古文のセンセ殺したって?まさか」
だって、だってさ、と億泰は同意を求めるようにきょろきょろと仗助たちのほうを向いた。
さんは最初、こォーーーんなにちっこかったんですよっ、それが大の大人を殺すなんて」
絶対信じられない、と言うのに、億泰の声は後に行くにつれて震え、だくだくと汗をかいていた。記憶をたどって由花子は押し黙り、康一は下を向き目を泳がせる。
ただひとり、仗助だけはジョセフ・ジョースターの色に似た瞳でまっすぐに露伴を射ている。

「露伴」
「ん」
さんは人殺しなんてしない」

露伴と仗助でにらみ合う時間があったが、やがて珍しく露伴が先に肩をすくめた。
「ああ、そうだよ。古文の教師を殺したなんていうのは君らの妄想だ。ぼくは最初にあれを読んだからそこだけはSPW財団の調査結果を待たなくたって確実に知っている」
億泰と康一と由花子は知らず知らずのうちに持ちあがっていた肩を脱力させた。
「びっくりさせないでくれよー、先生」
「もう、最初っから嘘なんでしょう。またぼくたちをからかって。本当のこと教えてくださいよ」

「紙とインクでできている」

緩んだ口がその形で止まった。
仗助はにらみ合ったまま、まばたきもせずに露伴をまっすぐに見据え続けている。
「SPW財団の調査によると、死んだ古文の教師とやらがスタンド使いだそうだ。はその教師が持っていたプリントから具現化してまず小さなサイズでこの世界に放り出された。スタンド使いでもスタンド自体でもなく、スタンドが生み出した副産物、というのがお偉い研究者が雁首揃えて出した結論だ」
「紙に書かれた登場人物を具現化させるスタンド使い…」

何のために、ばかげたことだと否定できないのは、自分たちもそうしたばかげた力を持っているからに他ならない。

「古文教師の死因とされている持病の発作だが、これに関してはまだしばらく調査を続けるそうだよ。あの矢で貫かれた者のなかには貫かれてしばらく時間がたってから能力が発現する例があるという。スタンドを発現させた瞬間、その衝撃に耐えられず命を落とすことだってあるとは君らも知っているだろう。発現した衝撃で死んだか、持病の発作で苦しみもがくうちに無意識に発現させたか、あるいはを見て驚いて発作をおこしたのか。もう火葬されているからな。死人に口なし、調べたところで正確な判断ができるかわからないという話だ」
さんは」
仗助がまじめな声で言った。
「臓器はない」
端的な言い方に仗助の眉間にほそくしわが入った。
「人間並みの重さはある。体温もうぶ毛もある。針を刺されれば痛みがあるし、傷もできるがそこから出る液体は血ではなく赤い印刷塗料の成分だと言っていた。人間じゃあない」
「違う」
「違わない」
「違う。おれが聞きたかったのはっ、それ聞いたさんがいま、どうしてんのかって話だ!」
康一ははっとした。仗助のすがたに重なってクレイジー・ダイヤモンドが立ち上がっている。
「さっき言ったろ」
露伴の声は変わらない。

「外に出たくないと言っている」












仗助たちは言葉少なに帰って行った。
夏の夕暮れの暴力的な閃光が、ぼんやり歩く仗助たちの姿を縁取ってアスファルトのうえに黒く引き伸ばした。
康一だけは最後に露伴に歩み寄り「さんがもし来たいって言ったら、どうか連れてきてください」と言った。
「本当に小さなお祭りなんです」と苦笑を浮かべて。

夜中になってもは降りてこなかった。
食事をする必要がないというのは居候させるうえでは好ましいことだと思っていたが、案外いろいろな機会を一気に奪う。

「…起きているのか」

天井の正方形に声を投げかける。
奥は暗い。
露伴は梯子をのぼった。
「なんだ、起きて…」
あかりのない屋根裏部屋の中では起きていた。
床に座り、あけ放った窓のそば、刺されば鋭く痛むような形の月を見上げる後姿がそこにあった。
長く美しい髪を引きずって、照らし出された頬は骨のように白い。
竹取物語、なよ竹のかぐや姫。
まさに、と不覚にも見とれた露伴を現実に引き戻したのは、かぐや姫様が男物のスウェット上下をお召しだからだ。
「ったく」
屋根裏部屋に乗りあがり、頭をぶつけないようあぐらをかいて座った。

「いじけてかぐや姫ごっこか?」
は応えない。
「わからないな」
露伴ははやくもしびれを切らして鼻をならし、腕を組む。

「もとからヘンなやつだったのに、今更ヘンな奴ですというお墨付きが出たからって一体なんだっていうんだ」

「…露伴様が、励ましてくださる」

笑うような色があったが、ひどくかすれてほとんど聞こえなかった。
「バカを言うな、君ちょっと頭おかしいんじゃないか。ぼくはいま君の悪口を言っているんだぞ。得体のしれない、人間じゃない、紙とインクのバケモノめ」
言った声が夜に響く。
短い反響がきえてしばらく、の白い頬にまつげの影がおちるのを見た。

「…わたくしが恐ろしくはないのですか」

「なんだと?」
「あやかしものだと、お思いに」
「聞き捨てならない」
「…」
「ぼくが君を恐れる?ハッ、本当にどこまでも人を舐めてくれるな君は。そういうところが気に入らないんだ。いいか、よく聞けよ!」

露伴は立ち上がった。
その瞬間天井へしたたかに頭をぶつけ首がへんなほうへ曲がった。背を向けているにこれを悟られてはならない。何事もなかったかのように声を張る。

「この岸辺露伴が恐れることはこの世界にただひとつ。ぼくの描いた作品をだれも読まなくなることだけだっ!」

静かな屋根裏、湿った空気を割り裂いた力強い言葉に、
「…ふぐ」
と小さく噴き出した。
「んなっ!」
露伴はカッと赤くなる。そりゃあ、この厳粛な空気でゴン、という衝突音を立てておいて気づかれないわけがない。
「コッノヤロオ!記憶を消してやる!この紙女っ!この、待て逃げるなこのっ!ブス!」
飛び掛かり勢いで言った「ブス」の瞬間、と鼻が触れ合うほど近くにきていてはっとした。
のしかかった勢いでが倒れ、細い体を組み敷く格好になっている。
“紙でできている”
そう思うにはあまりにやわらかくあたたかい。
意図せず右手が握った乳房に鼓動を感じる。
いや、これは耳に届くほどうるさい自分の心拍か、

「あ、ごめ…」
露伴は横柄を取り繕うのも忘れて謝り、跳び退り、後頭部を天井に強打した。
「うご」
下瞼を腫らしたはあっけにとられた様子で、後頭部をおさえうずくまる露伴を見ている。かすれた声しかうまなかった唇がやがて「ふ」と微笑った。まだ悲しい頬をひきつらせ“笑わせている”。
露伴に見えるように。
それは努力だった。
そのまま動くな、そう言いたかった。
絵に描きたいほど、なんて人間らしい、稀有な表情だろう。
「そのまま動くな」
露伴は言った。
牙をむく。

「いますぐ裸にひん剥いて君の貧相なヌードを駅前でばらまいてやるからなっ!!」

醜態を見られた復讐にをひん剥くことができたのか、躍りかかった瞬間また天井に激突したのかは二人と月しか知らないことだ。



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