は来なくとも杜王七夕祭りの日はやって来た。

七月七日がちょうど日曜日にあたり、夕方から始まったお祭りは駅前広場に町民と観光客も混ざって心躍る賑わいを見せていた。
歩行者天国になったロータリーをはさんで駅側に祭りやぐらと出店が並び、銀行の前には立派な笹がひとつに結び合わされた巨大なモニュメントが立っている。

仗助たちは、賑わいの対岸にいた。
ガードレールに尻を置き、ぼろぼろ千切れる焼きそばをもそもそと食べながら祭りの灯を瞳に映す。
ビーチサンダルをぷらぷら揺らしながら仗助は思う。
この焼きそばを食べ終えてしまったら誰からともなく「じゃあ、帰るか」と言って「おー」とかあいまいに言って「じゃあぼくたちは銀行のところで短冊書いてくる」「おう、またなー」っと解散になるだろう。
が来てくれないから気落ちしているわけではない。
そこまで、一緒に居なくては何もかもつまらないと思うほど、と親しくなかった。それでも、これから仲よく慣れそうだった友達がふさぎ込んでいる姿を思い浮かべると、どうしてもはしゃぎまわる気にはなれなかった。小さい子が高い声で笑っている声を遠くに聞くと、余計にそうだった。
ついに 仗助のやきそばは底をついた。
「…億泰、おまえかき氷食う?」
「うーん、オレもう腹ちゃぽちゃぽなんだよなあ。おまえらは?」
康一と浴衣姿の由花子を振り返ると、ふたりは折って分けるタイプのアイスを口に加えているところだった。
ぽとり
仗助の足の親指にかろうじてひっかかっていたビーチサンダルが落っこちた。
アスファルトに跳び、おちたサンダルを足にもどした。

「…んじゃ、帰るかー」
「名案だな」

振り返れば岸辺露伴である。
しかも浴衣だ。いや夏物の着物だろうか。仗助には違いがよくわからないが着こなしが慣れたふうで、悔しいけれどちょっとかっこいい。
その後ろを見て口に季節外れの恵方巻きでも入ったかのように、仗助と億泰は固まった。
康一と由花子は一拍遅れて、顔を見合わせにっこり笑う。
「なんだその顔は。君らが連れてこいと言ったんだろ」
露伴にしては渋くきめた傍らに、イチリンソウみたいに佇みはにかむ姿は
「うっはー!さんだー!」と億泰は諸手を振ってガードレールから跳びあがる。
浴衣だ。
仗助は視覚神経を総動員して見つめた。
まわりに浴衣の女性はたくさんいるけれど仗助の目にはほかの誰とも違って見える。歩き方だ、きっと歩き方だ。あとは着物を着なれているから、きっとそういうところが際立って映るのだ。正体不明の胸の高鳴りにそういう理由をつけて自分に言い聞かせる。我知らずTシャツをつかんでいた理由はわからない。
「グレート…」
「こんばんは」
ただの立礼には仗助はぴっと背筋を伸ばした。
「…こんばんは、ッス」
言葉さえ出たなら、あとは自然と頬がゆるみ笑う。
「浴衣似合いますね。すげーかわいいッス」
真正面で言うとはいっそうはにかんだ。
「こんばんは、。先生に浴衣着せてもらったの?」
「え!?」と仗助は億泰と声をあわせる。
「ろ、露伴先生っ、浴衣の着付けができるんですか?!」
「やあ康一くん、ぼくじゃあないよ、ちょうどこれの髪を切りに行ったついでに」
「あなた髪を切ったの?まっすぐできれいだったのに、アップにしているからわからないけれど、いまどれくらいなの」
「これくらいです。由花子様くらいにしてくださいとお願いして」
由花子はまんざらでもない様子で「そう」と言ってちょっと照れた。
「よかったじゃない、軽くなったでしょう」
「とても。こうしてかき上げると、首がすうっとしてまだ落ち着かないですが」
「大丈夫よ。きれいにとまっているから。いいかんじよ」
「由花子様のお姿こそ、艶があってどきどきします」
女たちがきゃっきゃしている間に仗助はのうなじのほうへ回り込み、じっと目を凝らした。すると露伴に目がぎろりと追いかけこれをけん制する。けん制に気付かない億泰は膝の裏を露伴に蹴られていた。
と、ここで仗助は露伴以外の熱視線に気づいた。
由花子は由花子で目立つ美人だし、に至ってはつい最近知ったことによると名実ともにかぐや姫の美しさである。往来の注目が集まってきたのを感じ取るや、仗助は「億泰」とあごで合図し、億泰も「おうよ」と動物的な感覚で理解した。
を両サイドから隠すように立った二人に素早く気付いた康一が明るい声を上げる。
さん、屋台もう行きましたか?お祭りに来たならヨーヨー持たないと」
「あ!射的もやろーぜー!仗助もよう、さっきのリベンジさせてやんよっ」
「なにいってんだ、景品のランクじゃなくてさっきのは二発目で当てたおれの勝ちだろー」
「君たちなあ。こいつはあんまり目立たせちゃいけないってわかって」
「女の子におしゃれさせといて矛盾してるわ。行きましょ」
「じゃあよー、見られないほうがいいってんならお面付けねーか?おそろいでさ」
「いーねー!」
「人の話をきけよ、オイったら」
露伴の脅しをものともせず、仗助たちはを連れて歩行者天国を横断した。



数あるお面のなかからいまヨーロッパで若者に大人気という「石仮面クン」を選び出した。
ひとつ500円。言葉巧みにけむに巻き、露伴に五人分支払わせることに成功したのは、仗助がジョセフ・ジョースターの血を色濃くひいている証明であろう。
魔法の王国の法則にあるように、かぶり物は参加者を非日常空間の登場人物へと変貌させる。右手にヨーヨー、左手に蛍光色に光る謎の腕輪、頭上に石仮面を戴いたなら、汚いものをみるように頑なにこれらのアイテムを装着しない露伴のほうが、よほど損しているように仗助には思えた。
は元気ハツラツとは見えないが、初めて見る人ごみと立ち並ぶ屋台、紅白幕のはられた祭り櫓に、腹に響く太鼓の音に、興味津々という様子だ。小さいサイズだったころに仗助のケータイに興味を持って無邪気に遊んでいた記憶が呼び起こされる。
「だらしない顔してるなよ」
「イテッ」
脇腹に露伴の肘がめり込んだ。視線を読まれていたらしい。
「してねーし」身に覚えがあるのでごにょごにょ言った。
「オーイ仗助!射的、射的!」
むこうで億泰が鉄砲の指を作って仗助を挑発していたので、仗助は走って露伴から離れた。
億泰と白熱した射撃線を繰り広げていると、注がれるまっすぐな輝く視線がある。「やってみます?」と仗助が射撃の銃を渡すとはうれしそうに無言でこくこくうなずいた。またも人形サイズだったあの日を思い出し、かわゆい、と仗助は頬を和ませる。
「勝手に遊ばせるなよ」
「いいじゃないっスかー。さん、ここに引き金があるんで、こうして狙って…どれ欲しいッスか?」
少し屈んでと視線を合わせて指南する。髪を染めない美容院帰りの、想像を超えたいい匂いにくらっと来たが自制心をもって立て直す。
「どれでもいいのですか」
「もちろん」
どれでもいいと言われてさらに嬉しそうに、結んだままの唇で口角があがる。
「では、あれを狙いたいです」
「いいっすよー。よぉーく狙ってぇ」
は強い意志を感じさせる瞳でS市が誇るゆるキャラ「おむすび丸」に照準を合わせ、引き金を引いた。
「あぁ…はずれてしまいました」
「ハイ!ハイ!さん欲しいやつオレ、オレとりますよ!」
「どきなさい、億泰」
億泰の横にすわと白い腕が伸び、正確におむすび丸の眉間を打ち抜いた。
由花子は銃口からのぼる煙(幻覚)をふっと吹いた。
「あげるわ」
と、ふがいない男たちの胸まで熱く打ち抜いて、おむすび丸はに贈られた。
露伴だけはこの輪から一歩ひいたところであきれた様子で腕組みしている。仗助はそれが気にかかる。
帰らないのだ。
一番はやくこの場をいやがって帰りそうなのに。
輪の外に立つ露伴よりもの近くにいるという些細な事実が仗助に戦闘力を与えた。
備わった戦闘力のわりに、どうしてか、心はケチに狭くなっていく。

呼びかけた露伴の声に
「そんなだっさいぬいぐるみをぼくの家に入れる気かよ」
ほんの少し削られる



七夕祭りのメインイベントはもちろん巨大な笹と、それにかける願いの短冊だ。
夜店につられてメインを忘れていたこともあるが、仗助たちは思春期特有のかっこつけから、まだ短冊を書いていなかった。書こうという気になったのは、があれはなんだろうと大きな瞳で不思議そうにじっと見上げていたからだった。賛同しなかった露伴だけカフェへ行くと言って遠ざかっていった。
チャンスだ。
仗助はとの距離を縮めようと姿を探すが、一列にならんだ短冊の列でとは四人分も間が空いていた。
短冊を受け取り、流れ作業的に飾り気のない長テーブルに進まされプロッキーが何色か転がっている。
「はい、リーゼントのおにーちゃん、その紙に書いてね」
「えっと、あっちで書いてもいいッスか。友達が向こう居て」
「ダメダメ!あとがつかえてるんだから、お祭り終わっちまうよ。そら、書いて向こうの係に渡してね」
強引でノリのいい誘導に流され、全員別のテーブルに分散してしまった。
隣のテーブルで頬の血色をよくしている由花子の書くことはなんとなくわかる。
康一はなんて書くんだろう。
億泰は彼女が~とか書いているかと思ったが、案外まじめな顔をしているから茶化してはいけないことを書いているのだろう。きっと盗み見てもいけない。
の姿は人ごみで隠れて見たらなかった。
しかたなく向かい合った長テーブルで、仗助のプロッキーのペン先は短冊の直前で何度か空をかく。
無病息災、家内安全、バイクが欲しい、かっこいい靴がほしい、バッグも。肉食べたい。
「…」
キュ、っと短冊に降ろしたペン先が鳴った。



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