おにぎり丸のぬいぐるみ、石仮面くんのお面。
の屋根裏部屋にオブジェが増えた。

帰り際のあの雰囲気だと毎日押しかけてくるかと予想していたが、仗助たちは週明け月曜日からぱったりと来なくなったので露伴邸は静かなものである。
康一によると球技大会や水泳大会、九月に控える文化祭の夏休み前の準備など授業以外の活動が期末テストの採点期間にぎゅぎゅっと凝縮されているのだという。

「露伴様、センタッキの使い方をおしえていただけないでしょうか」
「センタッキじゃなくてセンタクキ。ついてこい」
は露伴が言ったとおり、掃除機の使い方を覚え、風呂のお湯張りの方法も覚えた。
露伴が仕事をしているときには近づかない、騒がないという約束も守っている。家事をする以外があまりに静かなのでたまに露伴が見に行くと、屋根裏部屋でピンクダークの少年第一巻を読んでいる。
食事も排泄も必要ないと、人間はこれほどいないものと同じになるとは知らなかった。

「洗濯物をここにつっこんで、閉める。ティッシュは入れるなよ。あれは布じゃあない」
「ティッシュとはなんですか」
「これ」
バスルームへ続く脱衣所には洗濯機と三面鏡付きの洗面台も置いてある。三面鏡は開くと奥が棚になっていて、歯ブラシやティッシュ、シェービングクリーム、ヘアワックスが並ぶ。は三面鏡が開いたギミックにびっくりしている。
「洗剤はこれだ。この線まで入れてここに入れる。やってみろ」
三面鏡を興味深く見ていた目が露伴に戻る。洗剤を受け取ると、はだぶだぶにあまった袖を肘まで持ち上げ、液体洗剤を計量カップに注いだ。容器を持つ手が緊張で震えているのを露伴はなにも言わず見下ろす。
「ストップ」
「すとっぷ」
ストップの意味はわからない様子だったが、ちゃんとストップした。
「線まで来たろ。これを、そう、そこに入れる。そうしたら電源ボタン、スタート。それだけだ」
の指がおどおど近づいてきて、電源ボタンとスタートを慎重に押した。露伴が指さしたとおりにやっただけで、ボタンの文字は読めていないのだろう。カタカナくらいは覚えさせたほうがいいのかもしれない。

“自動モードを開始します”

「ご親切に。お願い申します」
「機械の声だ、いちいち答えなくていい」
いつまでも肩ひじ張っていては疲れるだろうに生真面目な顔でこくりとうなずいた。
ずっとこんな調子だが、一度習ったことはしっかり覚える点は露伴にとって手間がかからないので好都合だった。知能は普通の人間とかわらない。
ドラム式洗濯機のなかで洗濯物がぐるぐる回り始めたのをは脱衣所にかがんでじっと中を見ている。
「ぼくはスーパーに買い物に行くけど…君はどうする。冷蔵庫がからなんだ」
かがんだ位置から見上げる視線と目があった。その目は揺らぎやがて、まわる洗濯物に戻る。
「洗濯機を看ていてもいいでしょうか」
ぽつり言った。
好奇心は人一倍あるくせに外に出たがらない理由はもう知っている。七夕から5日たったがは一歩も外に出ようとはしない。
「それ、面白いのか?見ててもかまわないけどしばらくかかるぞ。それからぼくのいない間に誰か来ても開けるなよ。居留守を使え」
「はい、露伴様」
「ずっと家の中で退屈じゃあないのか」
「このお屋敷で過ごすことのできる時間が、一番安心する思いです」
「あ、そ」
は玄関までついてきた。
車のキーをつかみ露伴が靴を履いてもまだそこに突っ立っている。
そう、そういえば土足制だったこの家はつい先日から玄関で靴を脱ぐ和式に切り替えた。素足であちこち歩くやつがいるせいだ。
「…なんだよ」
「いってらっしゃいませ」

不覚、岸辺露伴は貞淑な幼妻のごときその姿を赤信号で止まるたび思い出した。






高校生たちが、月曜日球技大会、火曜日水泳大会、水曜日進路説明会と文化祭準備、木曜日テスト返却+文化祭準備と青春真っ只中の悲喜こもごもを味わっている頃、岸辺露伴も必死さでいったら彼らに勝るとも劣らない。
今年は月曜日が祝日に重なることが多いがために早まる締切、お盆進行の余波、書店大賞発表合わせのカラー原稿6枚、コミックスの直しと表紙と裏表紙、おまけにジャンプの表紙カラーまでもが舞い込んだ。
充実しているといえばそうだが露伴も人の子、徹夜三日目明けにかかってきた電話で、
「いやあ露伴先生、すでにすっごくたくさんお仕事お願いしているところ申し訳ないんですけどーインタビューも4誌から申し込まれちゃってましてぇー、明後日とかお願いできますぅ?」
「ハハ」
「ふふ!うれしい悲鳴ですねー!担当編集としても鼻が高」
「このスケジュールでインタビューなんか受けられるわけないだろうが!」
と怒鳴っているのをに目撃されている。

露伴が日に日にげっそりしていくのと対照的に、は心穏やかに日々を過ごしているようだった。
音にビビりまくっていた掃除機の使い方ももう慣れたもので、化学繊維の床拭きは特に気に入っているらしい。
もう一つ気にいっているものがあると露伴が気づいたのは早朝のリビングルームでのことだった。

「れ、でぅ、うな、まーの…あっしゅ、がまーの…どんな」

「魔術の練習か?」

突然リビングの入口に現われた露伴におののき、熱心に見ていたテレビを慌てて消した。テレビ画面にくっつくほど顔を寄せてあひる座りしていた姿勢を整えると指をつく。
「おはようございます。音が、うるさかったでしょうか」
「うるさかないけど、はやすぎるだろう、日の出だってまだだぜ」
「あの…露伴様はゲンコウは済まされたのですか」
露伴の顔をおそるおそるのぞきこむ。露伴の目の下の血色とヤバイ目つきをはいたましく見、がんばれとも無理するなとも言わず、頭を伏せた。
「まだあるけど休憩、何見てたんだよ」
静かな声がいっそう怖い。
「休憩をなさるようでしたら、わたくしは部屋に控えております。」
「なに見てたんだって聞いてるんだよ」
が後ろに隠していたリモコンを奪い取り、取り返そうとあがった顔を露伴の足の裏が無慈悲に押さえつける。
もがく手にリーチの違いで勝ち、テレビをオンにした。

「へえすごいですね!触ってもいいですか?Ah bellissimo! Posso toccare? 」
「いいですよ、どうぞSi, prego」
「みなさん覚えられましたか?それでは今日はここまでです、チャオー」

「4時30分になりました、ニュースをお伝えします」

番組が切り替わってしまったが、今のはイタリア語講座だったと思う。
「毎朝早起きしてると思ったら、こんなの見ていたのか、君」
「はい…」
「なんでテレてるんだよ。どうせまた仗助たちになにかバカなこと吹き込まれたんだろ。ああ、それともトニオあたりか?まさかっ、あのイタリア人にナンパでもされたのか?いつ会ったんだよ」
「いえ、いいえ、その…仗助様たちは学校で外国の言葉を勉強なさっていて、わたくしも知りたいと思いましてそうしましたら」
「ふうん?」
露伴は口には出さないが疑ってかかった。
外国の言葉を学んでしゃべりたいと思うからには、なにかその理由があるはずだ。だってイタリア語だぞ。現代の日本語でさえわかってないことがある娘が英語を飛ばしてイタリア語を学ぶからには、仗助たちが授業を受けていたから自分もやってみたいと思った以外の理由があるに違いない。露伴はあごをひねり、にずいと顔を寄せて行く。
途端にの目が泳ぎだす。
「そ、そうしましたら、親切な方が朝に教えてくださっていたものですから」
「ぼくに隠し事ができると思うなよ」
ずいずい迫っていくとは素直におびやかされて後ろへのけぞっていく。
ついに後ろへ転んで逃げ場をなくした。
ひひひ、と露伴の口が三日月の形に笑う。ペンを持つ形に指を構えた。
「ヘブンズ…!」

「ぃ、いやっ」

ヘブンズ・ドアーの力を発動させるまえに、の両手が露伴の右手をつかんだ。

「見ないでくださりませ…っ」

岸辺露伴はごくりとつばをのむ。
なんだろうか
暴かれる羞恥に頬をりんご色にし、目を潤ませて、顔をそむけ、そのかわり白い首筋をあらわにして、細い腕が露伴に今からされようとしている行為に抗っている。
なんだろうか
この感覚は
この光景は
この感慨は

露伴は咳払いした。

「さすがに疲れているか…もういいからあっちへ行けよ。それでしばらく降りてくるなよ」
「露伴さま、あの…怒ってい」「別に怒ってない」
「また、見てもいいでしょうか」
「いいよ、イタリア語だろうがロシア語だろうが英語だろうがなんでも見ろよ、いいから早く部屋に戻れったら。それでしばらく出てくるな」
はパチパチと長い睫をしばたたく。
「なんだよ」
「…異国の言葉は、もしや一つではないのですか」
要領を得ないの説明によると、どうも本人は英語を勉強しているつもりらしかった。それをどう思い違ったか、NHKでやっているすべての語学番組は英語の一種だと思い込み、勉強していたのだという。
馬鹿な奴である。

しかし、もっと馬鹿なのは垣間見たの艶姿でそのあと抜いた自分のほうだと、露伴は思った。



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