露伴がいつもよりぐっと長い賢者タイムを迎えてから数時間後、
杜王町の別の場所でも人の夢と希望と日常を打ち砕く、むごたらしい悲劇が起こっていた。

「この平均点の半分以下だった人は赤点ですからねー。あとで先生んトコに夏休みの補習の時間割をとりに来るように。補習休んだら留年だからね」

東方仗助は席で頭を抱え生命活動を停止した。
休み時間のチャイムが鳴っても動けない。
過去最多科目で赤点を記録した。
これまで赤点なんて取らないことのほうが多かったし、取ったとしても2教科までだった。それがなんでこんな、5教科…おれの夏休み。英語も赤点だ。英語教師のお袋に張ったおされる。小遣い減らされたらまずい。点数言わないでおこう、絶対。それよりなにより、夏休みになったらさんと毎日遊んで綺麗なもの楽しいもの、いろんなもの見せてあげようって。なのにおれは、おれってやつぁあああぅおあああ
ピクリとも動かないまま仗助は心の中で絶叫した。
今にも夕暮れの国道を、盗んだ露伴のバイクで走り出したかった仗助の教室のドアが音を立てて開いた。

「仗助ェ!」
「億泰っっ!」

飛び込んできた億泰に両手を広げ二人はひしと抱き合った。
彼らには言葉は必要なかった。
とめどなく頬をはしるその涙だけで十分だった。
「ホモだー」とクラスの友達が笑う。
二人仲よく、補習である。






「補習とはそれほどの苦行を強いられるのですか。おいたわしいことです」
いつものメンバーに支倉未起隆を加え、帰り道、使い物にならなくなっていた仗助と億泰が再起をねらって向かった先は、岸辺露伴邸だった。
この選択はの優しさと露伴の陰険さ、こと仗助に対しては諸刃の剣だが、ちょうど承太郎が露伴を訪ねて来ていたところだったので、露伴の難を逃れた。
屋根裏部屋は六人おさまるとさすがに狭い。
窓を全開にし扇風機を強にしていても7月12日金曜日14時30分の暑さはそう簡単にしのげるものではなかった。
しかし億泰は暑苦しくも泣きじゃくる。
「特に英語の補習組の宿題がめっちゃ多くて、まだ補習はじまってないのに夏休みの宿題とは別にもう宿題出てるし、そのうえ100ページ以上の英語の本全文翻訳しろって、ううっ。しかも、しかもだぜ!?ズルできないように日本語翻訳版が出てる本かどうか先生一冊ずつチェックしますからね、っと脅すんだよおうっ!くそう、おれは日本人だ!ラブ、ジャパン!英語なんて英語なんてよお…!日本人にゃあ必要ねえよなあ、なあ仗助!」
「おれハーフ」
「ガッデム!」
億泰が床につっぷした。
「おいおいおい、何も泣くこたあーねーだろがよォー」
「いやあ、それにしてもさんはキレイな女性ですね。宇宙生物学的に見てもウツクシイです」
「未起隆おめえ平均点越えだからってイイ気になりやがってェ!それに落ち込んでるのはオレらなのに、なんでお前がさんの横陣取ってんだっ」
「億泰くん、落ち着いて。あまりうるさくしていると先生に怒られちゃうよ」
「英語ならちょうど先生がいるじゃない」
「ん?露伴って英語しゃべれんの?」
「そっちじゃないわ」



「「おねがいしまーす」」

不良頭二つが深々と下げられた。
「お頼み申します」
その横で一拍遅れても頭を下げる。
仗助、億泰、の前には露伴との話を済ませた承太郎が長い足を組んで、ソファにどっしりと構えている。
一秒を一時間に感じながら承太郎の審判が下るときを三人は頭を下げたまま待った。周りで見守る康一と由花子、未起隆もなんとなく固唾をのんで見守った。露伴だけは不機嫌そうに一人掛けのソファに肘をつき、指で早いリズムを刻んでいる。
承太郎が小さくため息し、びく、と待つ者の肩がはねる。
「いいだろう」
三人は顔をあげ、びっくりして顔を見合わせた。ダメ元での頼みごとだったのだ。
「ただし、みられるのはこちらの仕事の合間になるから一日一時間ってところだ。場所は杜王グランドホテルのロビー。いや、会議室が借りられるかもしれない。学校からホテルまではかなりあるが、それでもいいのか」
「全然いいッスよー!ありがとうございます、承太郎さん」
「おれら高校生なんで!元気なんで!」
「ありがと」
「ああ、さん、こういうときは“ありがとうございます”で大丈夫っす」
「騒がしい連中だな。話がまとまったならさっさと帰れよっ、こっちはまだ仕事が残ってるんだ」
んじゃ行くべー、とノロノロ帰り始めたが仗助は残って露伴の顔色を窺っている。
「なんだよ」
「露伴先生、なんか顔色やべーけど大丈夫スか?」
「見りゃわかるだろめちゃめちゃ機嫌が悪いんだよこっちは。さっさと帰って勉強しろこのスカタン。それで二度と来るな」
「なっ、人がせっかく心配してやってんのにその言いぐさは…」
「誰が心配してくれって言ったよ」
「完全に八つ当たりじゃないッスか。そういうのやめてくださいよ」
「貴様、ぼくに対して八つ当たりされないだけの身の潔白があると思っているのか」
「ちげースよ。そうやってさんにも当たり散らしてたらさんかわいそうだって思っただけッス」
「ああそうだな、赤点野郎にかわいそうなんて思われたらたしかにはかわいそうだ」
「なんだと露伴てめえ」
「なんだよ!」
「エコーズ3フリーズ!」






締切が本気でギリギリだったこともあり、仗助たちには7月15日朝8時の締切まで何があってもこの門戸を叩くなと言いつけた。
7月15日の夜明け前にバイク便を送り出したあと岸辺露伴には記憶がない。
目が覚めてもあたりは夜の暗さだったので何時間眠ることができたのか、起き抜けにはわからなかった。
「ん?」
見える景色が玄関だ。
どおりでバイク便を送り出したところまでしか記憶がないはずだ。移動もせずその場で倒れたらしい。
「枕…」
露伴は重い頭を持ち上げ、その下に枕があることに眉をひそめた。寝起きで状況の読み込みに時間がかかっている。さらには自分の体の下に中途半端に毛布が引いてある。そしてその毛布は半分に折られて、露伴の体にかぶせられていた。
「またあいつの仕業か」
豪快にあくびをして露伴は起き上がった。自分の体が汗臭い気がして、軋む体を引きずってシャワーを浴び、パンツだけ履いて缶ビールをとったところで驚いた。キッチンの電子時計の表示が7月16日月曜日にかわっているのだ。
「23時間睡眠、新記録だな」
原稿もカラーもコミックも全力でやりきった。濡れた髪を軽くぬぐってタオルを肩にかけ、ソファにふんぞりかえって缶ビールを開けた。
「…ぷはーっ!サイコーの気分だ」
ご機嫌で、普段はあまり見ないテレビを付けると、

「Buon giorno ! みなさんおはようございます、今日も楽しくイタリア語を勉強しましょう」

「…そこの曲者、君の好きなやつやってるぞ」
廊下に隠れていたが顔半分だけのぞかせた。
英語の番組ではないとわかってからもこの時間に下に降りる小さな足音は聞こえていた。
「なに隠れてるんだよ。ぼくは今気分がいいんだ、見ててかまわないぜ」
「露伴様のご機嫌が麗しいことはとても嬉しく存じます。ですが、その」
「なんだよ」
「どうぞ、お召し物を」
「ああ」
ボクサータイプのパンツ一丁はかぐや姫には刺激が強いらしい。
「そうだな。着てくるか」
飲みかけのビールをテーブルに置き、入口で下を向きもじもじしているの横で足を止める。
「あんまり見るなよ」
わざと色事をにおわす声を落とすとは面白いように赤くなり、だぶつく袖で目をかくした。
「カーカッカッ!からかい甲斐のあるヤツだな」
ご褒美に頭をべしべし撫でてやりリビングに押し込んだ。






着替えてリビングに戻り、ビールを飲み干しほろ酔い上機嫌のまま、二、三はなしもした。
英語の勉強とかいうのはいつからなんだと尋ねると今日の午後からだと言った。午前授業の仗助と億泰が学校の帰り道にを迎えに来るのだと言う。
来週の今日に打ち合わせのため東京に一泊する。空条承太郎と相談した結果その日に合わせてもSPW財団の目黒支部で追加検査をうけることになったと告げると、のまとう空気に細い糸が張った。
「心配しすぎだ。今度のは半日で終わると言うし、空条承太郎が最後まで付き添うと言っていたからな」
「はい…。露伴様は」
「うん?」
「露伴様は一緒に来てくださいますか」
「おいおい、ぼくは君のお母さんじゃあないんだぜ。こっちは仕事で行くんだ、別行動に決まってる」
「そうなのですか」
「なにしゅんとしてるんだよ。ははん、さては君ぃ、ぼくのこと好きなのか?」
「いえ」
「はっきり言うなよ」
「承太郎様とふたりきりでお話しをするのは、まだ緊張しますものですから」
「あの人もいい大人だ。大人は子供のメンドーをみるものだよ。仗助のとりまきみたいにキャアキャア言って引っ付かなければ大丈夫じゃないか」
「仗助様のとりまき?」
露伴は肩をすくめる。
「信じられないことに、あいつ学校ではモテるらしいぜ。よっぽどあの学校、他にいい男がいないんだろうな。康一くんはぼくも認めるいい男だが、由花子のせいで誰も近づけないんだろ」
「仗助様の人気があるのはわかりますわ」
「はああ?」
「美しくて、お優しい方ですもの」
「君も見る目がないなー」
はやわらかく笑い、テレビに向き直った。
SPW財団と取り交わした契約では1か月間、8月3日までがこの家に置く期限だ。あと半月もすれば一番安心すると言っていたこの家を出ることになる。
それがわかっているのだろうか。

「では最後に、今日覚えてほしいイタリア語は、Ti amo! 大好きです。続けて言ってみましょう。Ti amo!」

「てぃ、あも」
「そんなのどこで使うんだよ」
「よいのです。どこへ行くかわかりませんから」
またやわらかく笑った。

「てぃ、あも」



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