「仗助、これ見ろよ、イカフィシュだって」
「それイカじゃなくて、Ice fishだろ」
「ジャパニーズ、アイスフィッシュか。これまんまカタカナの日本語でイケるかな」
「アーイース、フィッシュ。お、辞書あった。”しらうお”だってよ」
「へーしらうおかー。この図鑑の絵も一緒に書いておいたら点数オマケしてくれっかなあ」
「つーか、魚の図鑑の翻訳で先生が許してくれるのかもビミョーだろ」
「でも英語の本を翻訳って書いてあるだけだぜ?」
「だよなぁ」

承太郎先生の英語教室は、宿泊者であれば無料で使うことのできる杜王グランドホテルの会議室で開かれた。
仗助と億泰はケータイを辞書がわりに、承太郎の持っていた英語の書籍を借りて補習組に出された課題に精を、出そうと努力はしている。
承太郎からは挿絵もない分厚い小説数冊と水生生物ポケットブック【海編】【川編】を提示され、仗助と億泰は魚や貝殻のイラストがふんだんに使われ、文字数の少ない水生生物ポケットブックを選んだ。
翻訳開始から30分、ネット上の辞書にも載っていないようなマニアックな魚の名前が次々に登場し、「選択間違えたかも」と仗助はうすうす気づき始めていた。戦友のはずの億泰は楽しそうにやっているがイチイチ話しかけてくるので仗助の作業は分断される。
「仗助さー」
「んー」
「オレ、向こうのがいーなー」
「…おれも」

会議室のテーブルの対岸ではノートパソコンを広げた承太郎の横にが座っている。

「A」
「あぽー」

「M」
「ミーツ」

「F」
「ふぃ…ふぃっしゅ?」
「right. V」

「ヴィ・ディオ」

ノートパソコンの画面上には英語学習用のWebサイトが表示されている。
そこにはアルファベット「A」の横にはリンゴのイラストがあり、BCDEFと続き、「Z」には動物園のイラストが描かれている。いまは、いったんAからZまで通した単語を覚えているかどうかチェックしているらしい。
「Video」のところでは、さっき承太郎に教わったとおり下唇を噛んで発音するところをきちんと意識してやっており、仗助には、そんな距離感で唇がどうとか舌がどうとかに教える承太郎がうらやましくてならない。また同時に、あの承太郎に低い声で、しかもかっちょいい発音の英語でほめられているもうらやましい。
「仗助、サボるな」
羨望のまなざしは承太郎に見咎められ、仗助はKingfisherの翻訳に取り掛かる。日本語でカワセミ、らしい。わかるか!と仗助は机にがっくりとうなだれた。
それでも、帰りたいとは思わない。露伴の目から離れたところでと同じ時間を共有している今を仗助は熱くかみしめていた。



杜王グランドホテルからの帰り道は、行きの地面に焼きつくような日差しに比べると海からの風がアスファルトの熱を冷ましつつあった。バスを使わないのは、交通費なんて出るわけがないからだ。
仗助と億泰には、たぶん家ではやらないだろうがポケットブックがそれぞれ貸し出された。にも承太郎から宿題が出されたらしい。
「あっちー」
「じゃあ学ラン脱げよ」
「おめえもな」
「これはおれのポリシーなの」
「あっそ。明日から毎日これかー」
「億泰ゥ、もうギブアップか?」
「ギブしたいけど、ひとりでやれっつわれてもおれ絶対ェやんねーし」
「まーなー。さん楽しそうでしたね」
ニコっと笑いかけると、もニコっと応じた。
「とても」
「おれらみたいに発音悪い日本語入ってない分、承太郎さん直伝の発音がこう、すーっとはいってたッスよ」
億泰も会話に顔を出す。
は露伴の家のなかにいるときと同じで、だぼだぼの露伴のシャツに、スウェットの下を折りあげて、足は浴衣の時の草履という斬新なスタイルである。
「承太郎様のお声は素敵でいらっしゃるので、初歩的な言葉を何度も繰り返させてしまうのが、少し気の毒で」
「アハ!確かに。承太郎さんが真面目にりんご、りんご、って言ってるようなもんですもんね!」
「そゆとこかわいーよな、承太郎さん。言ったらぶっ飛ばされるけど」
「ギャハハ!言えねー!」
億泰が腹を抱えて笑った時、すぐ横を腹に響く音を立てる改造車が猛スピードで通り過ぎていった。
「あっぶねーな。去年の夏もああいう車増えたよな」
「…さん?」
「あっ、ごめんなさい」
仗助の学ランのすそをぱっと手放した。億泰が(いーなー)とよだれを垂らす横で仗助は、心もとなく手遊びしはじめたを見おろす。
さん、“C”」
はじめは何を言われているかわからなかったが、
「…Car」
と声にした
「んじゃ次はー、L」
「Lion」
億泰は(だからこいつモテるんだよなー)と心で愚痴りつつも、その後の単語早あて大会に参戦し、健闘するも「Video」の「ヴィ」で唇を噛んでいなかったと仗助に指摘され、判定負けを喫した。

土日を除いて、7月31日まで毎日英語教室は続く。
短縮授業の 学校帰りに仗助と億泰が迎えに行き、三人で承太郎のホテルまでの決して短くない距離をくだらないバカ話をしながら歩いた。勉強は熱心に時に散漫に、帰り道は財団パワーでホテルのプライベートビーチにちょっとだけ入れてもらいズボンの裾を折って遊び、一人一回ずつは持ち物を海に落とした。



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