7月19日金曜日、ぶどうヶ丘高校は終業式を迎え、仗助たち高校生は夏休みに突入した。
その3日後、7月22日月曜日、はS市S駅の新幹線ホームに立っていた。

カットワークのレースが正面にあしらわれたオフホワイトのワンピースに淡い檸檬色のモモンガカーディガンを羽織って、足元もとはワンピースの色と同じ色合いのウェッジサンダルという装いだ。ヨソ行きに露伴が選び、買ってくれたものである。
肌の白さもあいまって妖精のような儚げな美しさ、と褒めるところまで気のまわらない承太郎と露伴がお供である。

「しわになるだろ、掴むなよ」
「も、申し訳ありません」
電車の行きかう大きな音と夏休みシーズンの人ごみに落ち着かないは、さっきから露伴の服の裾を掴んでは怒られている。
「真似して通れよ」と言われた自動改札では、意気込みを感じさせる顔つきで臨んだものの、券を吸い取られた瞬間からしばらくその場に立ち止まり、ピコーン!!と改札が閉まり、見事ここでも露伴に怒られていた。

「まもなく 13番線 に 7時52分発 はやぶさ4号 東京行き が まいります。白線の内側までお下がりください。」

グリーンのロングローズがS駅新幹線ホームに滑り込んでくる。
「だから服つかむなって何度言ったらわかるんだよ君はっ」
それを後ろから見ていた承太郎は、彼の娘、徐倫も日本の実家へ連れてきたときに新幹線の音に驚いて自分にひっついていたのを思い出す。
承太郎はやれやれと帽子のつばを下げた。
ろくな説明もなしに、いつもこの調子でやりあっているのかと思うと、露伴の態度にめげないは案外根性があるのかもしれない。
「君が乗る超速い牛車がくるだけだよ!」
露伴の苦労も少しは分かった。

「ではぼくはこちらなのでこれで。君、あまり承太郎さんを質問ぜめにするなよ」
ようやくから解放される、せいせいする、と顔に書いた露伴がグリーン車に入っていった。

「で、なんでこうなるんだよ」

通路側露伴の横にはが座っており、過ぎ去る窓の外を覗き込んでは露伴を振り返ってくる。一列前のシートの上からは承太郎の帽子だけがぴょこんと飛び出ていた。
混雑する夏休みシーズンに、新幹線の予約を別々に取ったはずが平然とこのような席の並びになったことは、世界のあらゆる経済界、裏社会にまで根を張るSPW財団の恐ろしいところだろう。
この配置は、研究途中の謎の生き物の輸送に強力なスタンド使い二名を付けたということなのか、あるいはのこの言葉のない「露伴様見てくださいすごいですあれはなんですかこれはなんですかそれはなんですか」の瞳をよけるための承太郎の策略なのか。露伴はとりあえず腕組みして前のシートの帽子を睨みつける。おまえがここ来いよ、と。
「ぼくは寝る。いいか、絶っ対話しかけるなよ」
「…承知しました。おやすみなさいませ、露伴様」
車窓から差し込むまぶしい夏の朝を背景に、は言いたいことを飲み込んでやさしく露伴に微笑みかけた。
露伴はシートを少し倒して東京までの約1時間30分、早起きした分の睡眠を取り返すことにした。
自由席よりもワンランク上の静かな空間、人間の心地よい姿勢を科学したシートで瞼を閉じればあっというまに意識はシンプルになってゆく。
雑念を忘れた露伴の頭にあるのはただひとつの論題だけだ。
なぜ人は目をつむっていても人の視線に気づくのか。
こちらをチラチラ見ていた犯人は、露伴様にきれいなものを見ていただきたかった、などと供述した。






「今度こそここまでだからな」
東京駅のタクシーターミナルでついに別離の時が来た。明日の帰りの新幹線はどうせまたSPW財団の力で同じにされているのだろうが、ここからは露伴は神保町の出版社へ、承太郎とは財団の目黒支部へ別々に向かうことになる。
「おれたちはそこのペンドルトンホテルだが、先生はどこなんだ」
「さあ、担当編集のアシスタントが手配しているそうなので」
「そうか」
承太郎の横で前に手をそろえているに視線をやると、さっきまで高層ビルとS駅以上の人ごみに上気させていた頬がどこへやら、まじめぶった顔で立礼した。長い髪が肩をすべる。
「露伴様、お気をつけていってらっしゃいませ」
露伴は無言でタクシーに乗り込んだ。
「白山通りの神保町ビルへお願いします」
発進した車のミラーに、タクシーのドア枠に頭をぶつけるが映って遠ざかって行った。



あの調子では、タクシーの窓から高層ビル群を見上げて「お客さん、窓閉めますよ」と顔をひっこめたが髪がはさまり、タクシーから降りるときも頭をぶつけ、財団ビルの自動ドアに挟まれ、エレベータのドアにもはさまれている姿が目に浮かぶ。
それでも甘えられない承太郎の前だから気を張って、額にうすく汗をかきながら大丈夫ですと申し訳ありませんを多用しているんだろう。

「…い…先生、露伴先生、聞いてらっしゃいますか?」

「ん?ああ、新幹線で寝れなかったからぼっとしてた。もう一回」

露伴は頬杖から顔をはなした。
「でーすーかーらー、来月の授賞式ではかなりメディアも来ますので、あらかじめ想定質問と回答の草稿を編集部で用意してみたんですが、どうですかっていう確認です。先生ってばツルっと放送できないこと言ってしまいそうなので」
「こんなものいらないよ。作品のことを聞かれて答えに困る作者はいないだろ」
「作品以外のことを聞かれた途端とんでもない応対をなさるからこーいうの作ってるんですってば。ほら前にあったでしょう、その質問はあんたのオマンマのタネだからしてるんだろって言い返したことが」
「覚えていないな」
担当編集は憤って体をくねらせ、ほかのスタッフたちもひきつった苦笑いを浮かべている。
あとにも分刻みで受賞準備関連の打ち合わせが詰まっている。
ランチはミーティングをしながらの弁当で済ませ、夕方にはインタビュー2件がはいっている。
2件目のテレビ局のインタビューは大幅に時間をオーバーし、露伴の堪忍袋がもうヤバイと判断した編集部によって半強制的に終了された。

「露伴先生、お疲れ様でした。どうです、一杯。ワインのおいしいお店があるんですよ」
またヤツである。
「もうその手にはのらないぞ。どうせまたキャバクラだろう。ぼくは他人にベタベタ触られるのが大嫌いなんだよ」
「いやいや、前回の教訓あればこそ、今度こそホントにいい店なんですよ。漫画の未来を語りあかそうじゃありませんか!」






露伴が渋々夜の東京に繰り出した頃、は駅前の街路樹を丸く囲むベンチに腰かけていた。
前に伸びる大きな通りには、テールランプを赤く灯した車が途切れることなく続き、滞留している。
先で事故でもあったのだろうと周りの人が話していた。
「はい…ああ」
タクシーを待つ間、承太郎の携帯端末に着信があり、にここで待っているようにと言い置くと少し離れたところで話し始めた。
はふう、と聞こえないように息を吐いて、すぐ横にあった街路樹の幹に頭をあずけた。
財団のビルでは乱暴な振る舞いをされたわけではない。
痛みがあったのは注射をされたときくらいで、あとはごーんごーんと低く鳴る大きな機械のなかに仰向けで寝転がっていた時間がほとんどだった。紙に書かれた問題に答える“てすと”は、仗助たちが恐れていた“テスト”だと思いどんなものか不安だったが、○や×を書いたり、三角を数えたりするだけだった。
何事もなく終わり、その日のうちに研究施設から出ることもできたことで、糸がほんの少しゆるむ。
「君、高校生?」
糸が張る。 閉じかけていたまぶたを開くと、すぐ横に小太りの中年の男が座っていた。
ただでさえシャツがはち切れそうな腹に汗のせいで肌がピタリとくっついている。赤ら顔に指紋だらけのメガネを曇らせ、にやと口が笑う。
「すごくかわいいね。何歳?夏休みなの?」
船の中で襲ってきた男に重なり、は気づかれないように男から体を遠ざける。
「彼氏待ってるのかな?高校生の君みたいにかわいい女の子が、こんなところに一人でいたら、危ないよ、彼氏来るまでおじさんとそこのお店でおしゃべりして待たない?おごってあげるから」
通る人の間から垣間見た承太郎はまだこちらに気づいていない。周りの人々もケータイを見つめているか、流れのまま行き交うばかり、時折中年の男を睨む目があったがそのまま通り過ぎていく。
は立ち上がり、振り返らずに承太郎のいるほうへ向かう。人をよけきれずぶつかり、「申し訳ありません」と会釈もそこそこに、承太郎のところまであと10歩のところまで迫る。
「ねえ、キャバクラとか興味ある?」
若い男が横から顔を出し、の目の前に回り込んできた。だけではなく、若い男のほうも驚いた顔をしている。
「なー、ヤベーんだけど。チョイ来てみ」
近くにいた似たような頭の、似たような服装の男がぞろぞろと三人寄ってきた。四人そろっての顔をまじまじと覗き込み、やべーやべーと繰り返している。
「これはバイトどころじゃねえわ。ちょっとだけ遊ぼう」
またか、とは彼らをよけて進もうとするが、その行く手があからさまに妨げられた。
「…通してください」
がにらみあげると、目を合わせた男はたじろいだが、視線を逃がした先で仲間と顔を見合わせると途端にヘラヘラ笑いだした。不快である。は無視してさらによけようとし、二の腕をつかんで引き止められた。
「待ってったら」
腕をつかんだ男の手をぴしいと片方の手で弾き落とした。意識して殴ろうとしたのではない、ただ人に備わる心が礼を失したその振る舞いを許さなかったのである。
「いってーなコラ」
「何すんだよ」
威で脅かさんと凄んできた目をはただまっすぐに見返す。
「てめえ」
カットワークの襟をつかもうと伸びた手は、別の手によって阻まれた。
の後ろにスタンドのごとく立つ空条承太郎は無言で佇むだけだ。
男の手を阻んだ方法も、へし折るでもなくひねり潰すでもなく、の衿の前にシャッターのように手の甲をおろしたに過ぎない。
いくら若者が髪を盛ろうが承太郎の長身には及ばず、この胸板に必殺パンチをお見舞いしてやろうという気に起きない。中のひとりは「おれの中学の先輩に連絡したらおめ2000人からぶっ殺されっぞ」が口癖だったが、その言葉も今ばかりは出てこなかった。



世の中にはいろいろな体質のヤツがいるものだ。
たとえば承太郎の祖父、ジョセフ・ジョースターが乗る飛行機が高確率で墜落するように、「ありがとうございました」と申し訳なさそうに頭をさげるこの娘は、目を離すと襲われる体質なのだろう。
動かない道をタクシーで行くより電車のほうが早いと判断し、承太郎とは混雑する夜の山手線で東京駅まで行き、東京駅直結のペンドルトンホテルに到着した。
全世界で展開する三ツ星ホテルの洗練された様式にが目を奪われている横で、承太郎はチェックインを済ませる。
するとホテル支配人と名乗る男が現れ「空条様、お待ちしておりました」と慇懃にもてなした。
承太郎も詳しくは聞いていないが、ペンドルトンホテルはジョセフ・ジョースターの祖母の病院の家系が起源らしい。
特別ディナーを用意するだとか、フィットネス施設をお使いになられるご予定はなどと、親切すぎる気遣いにうんざり顔の承太郎から、支配人はその横に立つオフホワイトワンピースに視線を移した。
「これはこれは、お美し、い…?」
妖精のように美しい人の頭に「新撰組」と大きく刺繍された外国人みやげのスポーツキャップが乗っていることに、支配人は違和感を禁じ得なかった。
人の多い電車で目立たないようにと、承太郎が買ってやったものだった。






部屋は高層階のシティビュー・ツインルーム二部屋が用意された。
ホテルマンにエスコートされたは、SPW財団のビルに入ったときのように自動ドアに挟まれることもなく、無事客室におさまった。設備の説明をひととおりしてくれたホテルマンが出て行くと、は部屋を見渡し、ベッドにストンと腰をおろした。

一方その頃岸辺露伴は、オカマバーでブチ切れていた。

ワインどうこうと露伴をこの場へ陥れた編集者は現在オカマちゃんの声援を受けながら「そぉーのぉー血ィのーさァーだァーめェー!!」とわけのわからない歌を熱唱している。
屈強なオカマちゃん数人によるボディタッチを振り切ると、露伴はついてきた別の若手編集スタッフに噛みついた。
「おい貴様」
「えー!?なんですー!?」
すでに高い酒が何本も開けられていること、熱唱とでよく聞こえないらしい。
露伴はスタッフの首根っこをひっつかみ、ぐいと引き寄せる。
「いますぐホテルの場所を教えろ」
「えー!露伴先生ったらもうオカマちゃんお持ち帰りですかァ!?どの子です?」
「ハイハーイ!あたしよ!あたしぃ!」
ボーボーの脇をつつましく手で隠しながらボディコンが挙手をした。
「ナニ言ってんのよこのオブス!アタシに決まってるでしょ、ねえ、セ・ン・セ」
別のゴリマッチョマーメイドドレスが背にぴったり張りつき露伴の尻を撫でまわす。
「ちょっとアンタ先生のどこ触ってんのヨ!ここは今夜アタシのモンよっ」
アタシよあたしよと熊みたいなオカマちゃんが群雄割拠し言い争っている隙に、露伴はしずかに編集者の首に鋭いペン先を突きつける。
「いいからァ、言えよォ、コノヤロォ…」
肩で息し目は血走り顔中の血管を破裂させんばかりの露伴に、ひゅっと酔いをさました若手編集は「あ、ハイ、すみません」とまじめに答えた。
「ぼくの、今日、泊まる、ホテルを、教えろ」
「先生の泊まるホテル?」
「さっきからそう言ってるだろ!こんな魔窟にもう1分でも居させたら次の読み切りで発禁くらうグロ描写描くぞこのクロヤロウ」
「え?先生、ホテルとってらっしゃらないんですか?」
「ん?」
「ん?」

同じ方向に首を傾げた。



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