「「さーん、あーそーぼー」」

門前で億泰と大声でそう呼べば、はドア裏で待機していたように飛び出してくる。

「あ、かわいい服着てるッスね」
「東京に行くためにと買っていただいたのです」
いつものだぼだぼの露伴のおさがりではなく、夏らしいワンピースだ。隣では億泰もなんとか自分も仗助のようにナチュラルにほめたいと言葉をさがしているが、キャップに書かれた「新撰組」の文字に目がとまり言葉を発せなくなっている。
「そうなんですか。東京どうでした?」
「すごいのです」
待ってましたとばかり、顔が明るくほころぶ。グレート…
「建物の背がとても高かったのですよ、スカイツリーと東京タワーを」
「のぼったんスか、いーッスねー」
「スカイツリーおれらも行ったことないもんなァ仗助」
「外から見ました」
ガクと二人同時に崩れた。
駄弁りながら焼け焦げそうな道を杜王グランドホテルへ向けて歩きだす。仗助にとって至福のひと時だった。

7月25日木曜日、
午前中いっぱいを使う夏休みの補習も残すところあと4日だ。補習終わりに行っていた承太郎先生の英語講座も残り4日ということになる。もう早起きしなくていいのはうれしいし、真夏の午後に制服着てホテルまでの道のりを歩くなんて苦行をしなくてよくなるのはいいことだ。けれど惜しい。
承太郎が命じた「行き帰りはについておくっていけ」は監視とか殺伐とした事情なしに、ただただ仗助の胸を日々潤わせていた。
寄り道できればもっと最高だけれど、それは承太郎から固く禁じられている。
出かけちゃだめなら送った後に家で遊ぼうとそう言いたいところだが、岸辺露伴という最大の難関がいる。だから仗助は「今度、どこか遊びに行きませんか」と今日か、あと3日以内に言うと心に決めていた。お金だってデート資金用に節約している。

そうこう画策している間に涼しいホテルのエントランスに入った。涼しさにほっとする仗助と億泰を置いて、ホテルのラウンジで待っていた承太郎を見つけるとは早足に駆け寄った。
「Hello, Mr. 空条」
あんなに仲がよかったかしらと仗助と億泰は顔を見合す。
東京で一歩差を付けられたのかもしれない。
今日言う。
仗助はせこい意地みたいに急に心に書きつけた。



会議室のテーブルの対岸ではキャッキャウフフとと承太郎が…いや、承太郎はいつものとおりだが、二人が英文を音読している。一方仗助と億泰は相変わらず普通の辞書に載っていない海魚川魚名との戦いだ。
「なー仗助」
「おー」
「おれさあ、正直英語力上がったわ。あれは全長何メートルですか?って水族館で外人に聞かれたら答えられるわ。じゅうろく meters in length」
「やったな億泰」
「休み明けテスト一位が射程内にはいった」
「やったな億泰」
「クジラでヤマ張るわ。“マッコウクジラの問題に正解したひとは学年で一人だけいまーす、2-Fの虹村億泰くんです。わァすごーい素敵、虹村くん付き合って!”…キタわコレ」
「やったな億泰」
クス、と対岸から聞こえた。
仗助たちのやりとりに笑ったと目があった。天にも昇る心地だ。直後、その横の承太郎の目が「サボるんじゃない」と天からはたき落とした。

その日の夕方、露伴邸までを送る間言おう言おうと何度もタイミングを見計らってはタイミングを通り過ぎ、ついには別れ際に言うほかないところまで追いつめられたが、
「ぼくの家にアホ面を近づけるな」
と洗車中だった露伴にホースの水で追い払われた。
次の日はちょうど郵便受けを開けに来た露伴に追い払われた。
仗助は家でクッションを抱いて身悶えた。
週明けて7月29日月曜日は、通りかかった未起隆がにグイグイ絡み、引き剥がしていたら機を逃し、7月30日はホテルから承太郎が送って行くと言い出した。

「え、なんで」

今日こそはと意気込んでいた仗助は思わず口走っていた。
ベルボーイのいない車寄せで、承太郎は眉ひとつ動かさない。
「彼女の処遇の保留期間は8月3日までだからな。財団本部から今後の展開についていくつか連絡がきている」
はまじめな顔をして承太郎の言葉を聞いていたが仗助の視線に気づくとにこっと微笑んだ。
さん、どっか遠くに行っちゃうんスか」
言葉を失った仗助のかわりに、心配だと顔に張り付けた億泰がいう。
「それをこれから話し合う」

承太郎とを乗せたタクシーが遠ざかり、男二人、夏の夕暮れの帰り道はお通夜みたいに言葉少なになった。英語教室の終わりの期限ばかり頭にあって、どうしてか8月3日の期限のことを忘れていた。
夕食はあまり喉を通らず母親には夏バテかと心配された。ゲームもせずに部屋に戻り、雑誌を開いても頭がなにも認識しない。
別の国に連れて行かれるのかもしれない。
ケータイでスピードワゴン財団の所在地を調べた。
「本部はアメリカ、テキサス州シカゴ…」
そう簡単に行けるところではない。
もう結論はでたのだろうか。
が宿題も欠かさず、英語の勉強をあんなに熱心にやっていた理由はどうしてだろう。
思い悩むうち、「コンビニ行ってくる」はずの仗助の自転車は岸辺露伴邸へと向かっていた。
露伴の仕事部屋が煌々と光っている。まわり込んで見上げるが屋根裏の大きな窓に明かりはなかった。どれだけ目を凝らしても屋根裏部屋は真っ暗闇だ。
ケータイの時計は22時21分を表示する。
「寝るの早そうだもんな」
ぽつりこぼしハンドルをゆっくりと切り返したとき、カタンと音がした。テラスのほうだ。
「仗助様」
庭に面したテラスからが出てきた。いつものだぼだぼの服を着て、浴衣用の草履を履いて「窓から見えて。どうなさったのですか」と驚いている。
「あ」
言葉がでない。
いくらなんでも感傷的すぎる。
自分にそう言い聞かせても思うとおりにいかなくて、早足に寄ってきたと無言で向き合った。なにか言わなくては
「も、会えなくなると思って」
正直に言いすぎた。コンビニ行く途中だとか、散歩とか、いろいろあったはずだ。
「そうだったのですか」
は笑わない。
励ますように仗助の腕に触れた。
「心を砕いてくださってありがとう」
「遠くに」
自転車のハンドルを握る手に力がこもる。 このひとが好きだと思った。
「え」
「テキサスとか、行くんですか」
「参りませぬ」
声には優しい音がある。
「もうしばらくこの町においていただくことになりました」
まずは二か月、観察期間が伸びたと。
噛んでいた唇が一瞬離れ、また噛んで言葉が出ず、腕に添えられていたの手をとって、頭を下げていった。
せめて伝わるように、細い指をつぶさない力でできるかぎり強く握った。
支えを失った自転車が倒れ、ガシャンという大きな音にの指が反応する。自転車を引き起こしに行こうとする手を仗助は放さなかった。
すこし驚いた様子で見上げた瞳を強く見つめ返す。
さん、おれ」
見つめ合う間を小さいものが高速で横切った。
「…仗助様っ、血が」
地面をみると、漫画のペン先が転がっている。
悪魔城の二階仕事場から魔王露伴が殺気だった目でこちらを見下ろしていた。
「人んちの庭先でいい度胸だなあ。この、エロガキが」






7月31日水曜日
大きく伸びをして仗助と億泰は最後の補習授業を終えた。
教室を出ると「補習終わりをお祝いに」と、康一と由花子と未起隆がひやかしに来ていた。彼らのうしろにある廊下の大きな窓すべてが夏の青空でペイントされている。
校庭には野球部、吹奏楽部の音がする。
アスファルトは容赦なく熱く、この町は海の風が吹く。
本当の夏が来た。



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