を七夕祭りに誘った。
一度は「行きたいです」と興味を寄せたが、ふと勢いを弱め遠出をするなら許可がいると、はそう言った。
階段をあがる仗助をは引き止めた。聞かずあがり、仕事の椅子を半回転させた露伴の顔つきで、言われる前にぶつけられる言葉の想像がついた。
原稿に心血を注いでいる最中だったからなのかもしれない。
犬猿の仲である仗助が相手だったからなのかもしれない。
止める手がしかない場所で言い合いになり、仗助とまで家から追い出された。



追い出したあと、は何度か外から露伴の仕事部屋を見上げたがブラインド越しにこちらの姿は見えず、仗助がなにか言葉をかけてようやく家から遠ざかる方向へ歩き出した。
「フン」
この家にいるのが一番安心だなんておべっか使いやがって。












19時を過ぎても、は帰らなかった。
今日の目標としていたところまでの原稿まであと3枚、ケータイをちらと見たが、着信はない。リビングの電話も見に来たが留守電はなく、夏の日さえ没し、もう外は真っ暗だ。しばらく外を眺めてから、ソファに腰かけテレビを付けた。

「日中熊谷では39度を記録し、太平洋側を中心に今年一番の暑さを記録しました。これに伴い全国で熱中症が相次ぎ、500名以上が救急搬送されました。消防庁は日中こまめに水分補給をするよう、呼びかけています」

チャンネルを切り替えた。

「次のニュースです。本日未明、S市内の路上で若い女性を昏倒させたうえ、着ている衣服を奪う事件が立て続けに二件発生しました。S市では6月下旬から同様の被害が5件発生しており、警察では同一犯と見て」

チャンネルを切り替えた。

「体の一部が山中から発見され、女性が何らかの事件に巻き込まれたとみて警察は身元の特定を」

仗助がついているのだ。心配はない。
あの仗助に対して信頼感を持つなどありえないと思っていたが、この体とこの心で四半世紀生きてきたのだ、露伴とて本当は知っている。非常識は自分のほうで、おおむね常識的なのは東方仗助のほうだということを。だから
着信した。

「仗助かっ」

「…いや」
露伴の勢いに一瞬とまったが低い声がした。空条承太郎だ。
立ち上がった体をりんごが落ちるようにソファにもどした。しかし同時に珍しい着信に薄暗い予感が足元をさらいはじめる。
空条承太郎は、冷静な声で七夕祭りの真ん中でが倒れたと告げた。
思い出した。
仗助は自分よりも常識的で、17歳の高校生だと。






あの祭りの期間、車で市街地に向かうのは自滅行為だ。実家はS市内だからよく知っている。
杜王駅から露伴はひとり、観光客でぎゅうぎゅう詰めの電車に乗り込み、S駅へ向かった。満員電車は反吐が出るほど嫌いだし、さきほどの電話口での承太郎の言葉にもまだむかっ腹が立っている。

「人が集まりすぎて携帯電話はつながらないらしい、公衆電話からかけてきた。仗助にはその場から動かないように言ってある。場所はこのあとメールで送るが」
「…」
「迎えに行ってやってくれるか」
「なんでぼくが。あなたの親戚と、財団の管理物でしょう」
「こういう状況では先生のスタンドのほうが便利だろう」
「気に入りませんね。ぼくを便利に使われるなんて」
「…話は変わるが」
「はァ?」
「あれが英語をやりたいと頼んだ理由を知っているか」
「はァあ?今そんな話を」
「先生の漫画にカタカナ書きの英語が使われているからだ」
「…」
「“ピンクダークの少年が読めるようになりたい”と、短冊にそう書いていた」
「そんなことで、ぼくがほだされるとでも思いますか」
「いや」
「…」
「…」
「あーもう、出ますから早くメールしてくださいよ。電波立ってるうちに」

S駅で降りると人間の群れはみな花火大会会場の方向へ歩いている。
潮のごとき流れを露伴は逆流した。
商店街の巨大なアーチを進み、二つ目のファーストフード店で脇にそれ、祭りのメインストリートと並行する路地をいくつか横切った先、コインパーキングを囲う低いブロック塀にリーゼントが見えた。
仗助がこちらに気付いて立ち上がり、すると横で仗助にもたれていたが傾いて、仗助は慌ててこれを支えた。

「露伴、」
「どけよ」

何か言おうとした仗助をのけて、露伴はの腕を両側から掴んで支えた。重い。そして冷たい。
「おい、起きてるのか」
ぐったりした体をゆすると、うすく目が開いた。
「なにやってんだよ」
「…ごめ、なさ」
しろい腕が顔の横を通り過ぎ、首に巻きつく。前に傾けば尻がブロック塀から落ちるとわかりきっている状況で、は前に傾いた。露伴が腕で支えなくては地面に落ちるとわかっているのに、露伴がこうして尻と背を支えてくれると全幅の信頼を寄せている。
仗助はその横で立ち尽くして何も言わない。ビーチサンダルしか見えないが悔しがって、けれどこうなった手前、露伴に対して何も言えないのだろう。悔しい、うらやましい、自分のふがいなさがはずかしい。そういう複雑な顔を見てバカにしてやろう。という気に、露伴は珍しくならなかった
こんなのは恋人の抱擁じゃあない。
露伴はを前に抱えて立ち上がった。
「なに突っ立ってんだよ」
ぎろりとにらみあげる。夜の電灯のした、珍しい色合いの、17歳とわかる瞳が揺れて、額の横を汗がつたうのを露伴は見た。
「重い」
「え」
「なんのためにそんな無駄にデカい図体してるんだ。さっさとこいつを持てよ。街道に出るぞ」
仗助は一瞬驚いた様子だったが、心得て唇を一文字に結び、を背負って後をついてきた。
3分間ほど歩くと片側四車線の大きな道にでた。
花火大会へ向かう車線は信号が変わっても、車が詰まっていて全く動かない。一方反対車線は車が流れていた。
歩行者の流れを逆流して横断歩道を渡り、渡りきる寸前で、露伴は信号待ちする先頭の車のフロントガラスをコンコンと叩いた。
「露伴、なにして」
仗助の声を背に聞く。怪訝な顔で運転席の男が窓ガラスを開いた。
「なんだてめえ」
「やあ、悪いね」
歩行者用の信号が点滅しはじめる。
「どうぞどうぞ!お使いください!」
運転席の男が車から降り、旅館の若旦那のように目じりを下げて手のひらをかえしている。
「どうも。仗助、さっさと乗れ」
ヘブンズドアーを使ったと気づいた仗助が後部座席に駆け寄り、の頭をぶつけないように気を付けながら先に車に押し込み、自分も乗り込んだ。



「あー暑かった」
車内の冷房に露伴は息をつく。
なるべく新車っぽい車を選んだし、かかっていた音楽も悪くない。
渋滞は嫌いだ。すいている道を行ってどこかでそれて、う回路をいけばいい。
広めの後部座席ではが横になって眠っていて、仗助はその寝顔をずいぶん落ち込んだ様子で覗き込んでいる。その目がふと上がった。ミラー越しに見ていた露伴の視線には気づいていないようだった。
「その上に着てるやつ、貸してください」
「いやに丁寧な口聞くじゃないか」
「そりゃあ、迷惑かけたし」
サマーニットを脱いで後ろへ放る。仗助は粛々とそれをにかけた。
「…おまえのその熱そうなジャケットでもいいだろ」
「おれの、たぶん汗臭いんで」
申し訳なさそうに笑ったそれは露伴と話すときには現れることのない顔だった。
立体交差の下に入り、オレンジのあかりが明滅し出すと、すっかり寝こけたの顔に、仗助は新撰組の帽子をカサとしてかぶせた。

「…きょう、すげぇ暑かったんスよ」

あたりまえだ。
8月6日、一年を二十四等分する季節でいえば「大暑」にあたる。ニュースでも熱中症に気を付けろと言っていた。
さん連れてお祭り行きたくて、でも承太郎さんからは一言で“だめだ”って切り捨てられて、露伴はふてくされるし」
「ハン、ぼくのせいだっていうのかよ」
「おれのせいッスよ」
「…」
「ダメだって言われたのに大丈夫、絶対守るってかっこつけて。外めちゃくちゃ暑いのにジャケットなんか着てきて。昨日とか、脳ミソが行ける方向しか考えて無くて、承太郎さんのことも露伴のことも忘れてて、楽しみすぎて寝れなかったし」
わらう声だけ聞こえる。
立体交差の出口までもう少し。
「そんで、デートコースも考えてたけど全部混んでて入れないし、さん人に酔っちゃって暑かったし水飲めないし、おれが目ェつけられてヘンな連中に絡まれたのも怖かったと思う。でもずっと笑っててくれたのが、逆に、なんつーか…」
立体交差を抜けた。
電灯の下はまぶしいが、等間隔で延々続く電灯の中ごろは暗い。空に月がない。
新月の夜だった。
「すんません。黙ります」とぽつり、聞こえた。
「続けろよ」
珍しい、
仗助の顔にそう書いてある。
「学生時代の粋がった失敗談ほど面白いものはない。いいネタだ。言っとくがな、仗助。その失敗はおまえが死ぬまでつきまとって、時々夜に思い出してはいっそ殺せとごろごろ転がることになるんだぜ」
ムムムと眉間にしわが入ったのをケタケタ笑ってやる。
「…露伴先生にもそういうのあるんスか」と仗助は反撃に転じた。
「ないね」
「うっそだー」
「うるさい。黙れ」
「えー?」
カーブで思い切りハンドルをきってやるとGを受けて仗助が窓に頭をぶつけた。そのわりに、手は紳士ぶってが揺れないように支えている。
「イテテ。ったくもう。傷心の青少年を少しはいたわれよー」
「ヤナコッタ!」
ひとりきり笑いふざけ終えると、いつのまにか仗助は悟りを開いたみたいに静かに唇の端だけで笑んだ。
その目は恋しい恋しい「さん」を見つめているのに力なく、そうとうに初デートの失敗がこたえたと見える。

そうだ。

そうとも。

帝はまわりの反対を押し切って無理やりかぐや姫とふたりきりで会うが、やはりほかの求婚者と同じに、姫との恋は成就しない。物語をなぞるなら、きっと今に手紙の交換でもし始める。それからいい雰囲気になって本当は相思相愛なのに、月の民という障壁が二人を引き裂く。そういううすらさむい、悲しい恋の物語を繰り広げるだろう。
まさかの一人二役、帝は東方仗助だ。
そして露伴は竹取の翁に確定した。

「…さっきさ」
「うるせえ」
「さっきさんがあんたを見つけたとき謝ったの見てわかったんスけど」
ミラーに映る仗助のその後ろの暗闇にひとすじ、上昇する火の玉が見えた。

「きっと、露伴を怒らせたことずっと気にしてたんだ」

新月の夜に巨大な花火が咲いた。
音は遅れて、やがて来る。



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