道すがら、きわめて遺憾ながら未成年の仗助を家の前まで送った。
空条承太郎への報告は自分でやれと、仗助に言っておいた。

家のガレージについても竹乃は眠ったまま起きなかった。車の持ち主は、明日快く自主的に取りに来るはずだ。
残る問題はとりあえずソファにうつしたこのお姫様だけである。
竹乃を背に負って屋根裏にあがることはできないので、自分の寝室から毛布を持ってきてかぶせた。
首筋に伸ばした手の行先を途中で変え、頬にピタリとあててみる。やわらかな頬が冷たいのは、車の冷房の風があたりすぎたからだろうか。室内のエアコンの温度を少し上げる。
横向きになった額に手を当ててみるとこちらは自分の温度と比べても、同じくらいだと思う。ソファのまえにかがんで頬杖をつく。
「紙でも熱中症になるのか?」
熱中症かどうかはさておき、この世界に初めて出てきた時も、暑さで倒れたと書いてあったから暑いのに弱いのだろう。
おもむろに、鼻の頭をつまんでみる。

無反応だ。
唇に耳を寄せた。

寝息が聞こえるから、まあ大丈夫だろう。
かかされた汗をシャワーで流してリビングに戻るとちょうどソファの背もたれから竹乃の頭がやたらゆっくりと昇ってくるのが見えた。同時に、鈴が床に落ちたような音もした。竹乃はソファから落とした何かを拾おうとして、その背がソファから忽然と消えた。
「なにをやってるんだよ」
ソファとテーブルの間に落っこちた竹乃がまた頭をもたげる。最初は寝ぼけているのかと思ったが、どうも、うまく立ち上がれないらしい。
仕方なく脇の下に手を入れて引き合上げ、ソファに座らせてやる。
「…申し訳ありません。休ませていただいて、もうだいぶよくなりました」
「起きたな。起きたろ。よし、謝るのはあとでいいからさっさと風呂に入って寝ろ。これ以上ぼくに面倒を…なんだコレ」
露伴の前に力ない白い手のひらが述べられ、その上に小さな吹き流しがくっついたキーホルダーが乗っている。
「おみやげです」
手のひらと同じに力ない顔が笑おうとしている。
こちらの手のひらにころんと転がってきた。粋がった仗助が買ってやったのだろう。



思うところがあった。
露伴がこれをテーブルに置き、碇ゲンドウのポーズをしている間に竹乃は風呂と寝る支度を整えた。
「ちょっと来い」
階段を上がろうとしていたところを呼び止める。見慣れただぼだぼの自分の服をまとい、素足をぺたぺたならして寄ってきた、その顔色は徐々によくなってきているように見えた。足取りも立てなかった時に比べたらよっぽど健全だ。大事ではなかったのだろう。
露伴は大げさにソファにふんぞりかえった。
「なにか欲しいものはあるか」
竹乃はこれまでの経験上からか、まずあたりを見回した。なにか罠がしかけられているのでは、そう思ったのだろうが無礼な話しだ。
「なにか欲しいものはあるかって聞いているんだ」
露伴の後ろも念のため肩越しに確認している。
「人がせっかく聞いてやってるんだぞ」
「必要なものは、すでにそろえていただきましてございます」
「必要なものと欲しいものは違うだろ」
怒っているように聞こえる露伴の声に竹乃は理由はわからずとも、そっと睫を伏せて、下を向いた。
「…身に余ることです」
「言えよ」
「なにも」
「言わないと読むぞ!」
ソファを叩くように立ち上がり、ペンを持つ形にこぶしを振り上げると、竹乃は「あ」と慌ててがばとその場に伏せた。
「は、箱庭をください」
読まれる前に早口に言った。
「うっ」と露伴は自分が言うよう強いておきながら返す言葉を詰まらせた。



シルバニアファミリー「あかりの灯る大きな家」が屋根裏部屋に運び込まれた。
露伴がコンセントと電源プラグをつなげてやると、暗がりにポっとあたたかい色の明かりがともる。
「ああ、なんと愛らしいこと」
竹乃は深い色の瞳いっぱいにその明かりを宿してうっとりとつぶやいた。
ミニチュア家具のベッドと机をなかに置いて、そのたび露伴を見てはうれしそうに笑った。
「露伴様、これはなんでしょうか」
「どれ」
「これです」
「それはピアノだ。楽器。この鍵盤をたたくと音が鳴るんだよ。これは偽物だから鳴らないけ、ど」
「ぴあの、ピアノ。そうなのですか」
近づきすぎたせいで湯上りのいい匂いがする。大きく開いた襟口からのぞく鎖骨が気になる。竹乃はピアノの配置に夢中で気づいていないようだから、そのまま気づかれないように距離を適正なところまで離した。
「露伴様、ありがとう存じます」
急に視線を向けられていかにもあやしく露伴は顔をそらした。
「これがわたくしのすみかになるはずの箱庭だったのですね」
「違う。漫画の資料として買ったものだ」
「あ、露伴様ご覧になって、この窓はこのお屋敷の窓に似ています」
「聞けよ」






それから二日後、空条承太郎が露伴邸を訪れ竹乃に携帯端末を渡した。
黒一色で飾り気のない端末は財団からの支給物だという。
仗助の一件を受けての措置だった。
位置情報は常に記録され、通話やメール内容もすべて財団の監視下に置かれる、と普通の人間ならぞっとしないそれを竹乃はたいそう喜んで承太郎から受け取った。
露伴はあまりの能天気な様子にあきれ、人に監視されるなんて嫌じゃないのかと尋ねたが、それは仕方のないことだと妙に落ち着きはらって竹乃はそう答えた。
「緊急用に、通話だけは使い方を覚えておけ」
竹乃、きみ使い方わかるのか?」
「つうわ。これを、光らせることでしたら」
ホームボタンを押して光らせては消え、光らせては消える。

「…じゃあ、いまうちのテラスに不法侵入しているビーチサンダル頭にでも教えてもらえよ」



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