仗助は露伴邸の庭に面したテラスの椅子に腰かけていた。
ぎりぎり倒れない角度で椅子を後ろへ傾ける。

一昨日のお詫びをしたくて承太郎に付いてきたが家の中に入ることはしなかった。承太郎はに用事があって来たのだから、自分の用事はそのあとがいい。そう思った。臆病になっていたところに、すわりのいい理由が見つかっただけかもしれない。
後先考えない、合理もくそもなかった証拠に、いないことになっている自分がいまからどのタイミングで戸を叩いて、どの面下げてに会おうというのか。
むこうから奇跡的にこの炎天下の庭へ出てきてくれでもしない限り、ここで待っているだけでは会えないのだ。そう。こんなふうにひとりでテラスへ出てきてくれない限り、は…
「…う、わ!」
仗助はバランスを崩して椅子ごとテラスに転がった。
「仗助様」
駆け寄ったの手が夢でも幻でもなくはっきりと仗助の肩に触れた。痛がるのも忘れて仗助は立ち上がる。
頭がおかしくなりそうなほど恥ずかしかった。
「ハ、ハハ…」
とりつくろって笑ってみたその口がひきつる。がいたく心配そうに眉根を寄せているのを見たら半笑いの自分こそ一番恥ずかしく、仗助は唇を固く結んで下を向いた。
「痛くありませんか。どこか強くぶつけて」

「この前っ」

言葉がはぜた。
胸をおさえておちつけ、おちつけと自分のものでないように言うことを聞かない心臓に言い聞かせる。仗助はしっかりとと目をあわせなければならないと思った。
「すみませんでした」
のまま、静かに首を横に振る。
優しいひとだ、謝ったらこうなるとわかっていた。
「無理やり連れまわしたのはおれです。ずっと暑いまま外いさせて、座るトコもないし、おれが飯買ってる間にナンパとか、不良に絡まれたのだって、だから…ごめんなさい」
「いいえ」
あせる頭が社交辞令でよく使われる言葉に苛まれる。
「驚きつかれて仗助様に心配をかけてしまったことはこの身の備えの甘さゆえ」
声は落ち着いていて、の両手が自分の左手を力強く握ったからだった。深い色の瞳がまっすぐに見上げてくる。
「わたくしは楽しかった」
「そんな」
「ちがう、おれが悪い」と言いたい。
仗助は言いかけた口をもう一度奥歯を噛んで閉じた。が自分を励まそうとしてくれているとわかるからだ。これを強く否定して自分が悪いと謝り続けたなら、この人は困ってしまうだろう。「露伴を怒らせてまで祭りに行ったことを、ずっと後悔していたんじゃないんですか」といじわるに、最悪に、尋ねたならどんな顔をするだろうか。
「ですが、承太郎様と露伴様のお言いつけに背いたことは、わたくしと仗助様の両方がいけません」
「え」
はお説教するようにちょっと顔を怖くした。
怖くないけれど、仗助は虚をつかれる。

「お二人からお許しをいただけていたなら仗助様はもっと笑ってくださいましたね」

すこし困ったように笑った顔に見覚えがある。

人ごみの中でよくこの笑顔が自分を見上げていた。
そのたび罪悪感が苛んで、
ふと、
仗助は自分の今の顔を思う。
周りを無視し、怒らせ、自分の望みだけを押しとおし、それを気にしていたのは誰か。
左手を握るこの小さな両手をあなどってはいけなかった。
初めて出会った時の幼さを引きずって、ひとときでもか弱い子猫と思った自分の救いようのない浅はかさ。

「つぎ、絶対許可とります」

必ず、もう一度デートする。
この人がずっと笑顔でいられるようにする。
行先がコンビニだって、ご近所一周だってかまわない。
そんなささいなデートさえ、生半可な覚悟では許されないだろう。
露伴に頭を下げるのだって朝飯前だ。
はうなずいた。
「わたくしもそのように、先ほど露伴様と承太郎様に約束してまいりました」
「…そっか」
「そうしましたら、杜王町のなかであればこれからは好きに出てよいと」
「そっか…どえ!?」
の手が仗助から離れていった。惜しむのも忘れて仗助は目を白黒させる。の言葉が真実なら、いやは嘘をつかないから真実なのだろうが、ということは今しがたの固い目標がいきなりゴール直前まで駒を進めたことになる。
離れて行った手がポケットから平べったい携帯端末を取り出した。
その目は子供のように輝いている。
「賜りました」
嬉しさでとろけそうな笑顔になったが、仗助のうしろで倒れていた椅子を素早くなおし、「お掛けになって」と興奮気味に仗助に言った。
わけもわからないまま仗助が座ると、は対面する椅子に座った。
「どうか、わたくしめに使い方を教えてください」






精密GPS追跡が常時ONになっており、がこの杜王町から一歩でも出たら財団の保安員が駆けつけて引き戻すそうだ。
自分が連れ出したせいでこれを持たされたのだろうから謝りたかったが、はなにも嫌ではないという。聞き分けの良さが、財団の管理下にあるモノ扱いを受け入れているようで仗助には少しもどかしい。しかも、財団側の設けた制限はそれだけではなかった。メールも通話も端末から見たネットの閲覧履歴もすべて財団側に筒抜けなのだという。それでもはそれを持てたことの喜びばかりかみしめている。
そのケータイを使って、電話で愛の言葉をささやいたり、メールでいちゃいちゃしたり、エッチなページを見たりすることが全く頭にないのだろう。仗助もうかつにケータイ経由で色っぽいことをいえない。
とはいえ
「点々つけるときは左下のそう、小さい“よ”は一回よを打ってから小のマークのとこ」
「じょ…う…す…」
「“か”のとこさわって、十字出たら素早く左」
「あ、“き”が出てしまいました。これではじょうすき、です」
「間違えた。一個戻って“け”はもう一回“か”のトコさわって十字で出たところを右にスッって」
「…け。できました…!じょうすけ」
この教える近さ、電話帳登録でうっかりちゃっかり計画的に“すき”を言わせ、さらに「じょうすけ」と呼び捨てされた感激、不慣れなかわいさ、そしてなによりこれからと連絡を簡単にとりあえるうれしさを思えば、監視くらい確かにどうってことない。

「あ、あの…仗助様」
名前入力にひと段落したが、仗助との距離の近さに気付きさりげなく仗助の胸から体を遠ざけた。男として意識してもらえたことが仗助には少しうれしい。ドキドキする。
「すみません。さん、男の人と近いと緊張しますか」
「いえ、その」
口ごもったにもう、ほんの少しだけ体を寄せる。
「いけません、仗助様…」
仗助はこの反応が楽しくなってきた。
「どうして?」
「だって」
「うん」
「露伴様と承太郎様が見ておいでです」
「…え」

露伴様と承太郎様がテラスに面した窓からこっちを見下していた。







原稿の仕上げが半ばまで進んだ頃、視線を感じた。
もう1ページを仕上げる間も気配が移動しない。露伴はペンを置き、うめいてわざとらしく伸びをした。
「…あの、露伴様」
「なんだよ」
原稿をしている間は仕事部屋に入ってくるなと、はそのルールを守ろうとはしている。
「あした、外へ出かけてもいいでしょうか」
「ひとりでか」
「仗助様と億泰様と、です」
「ぼくの嫌いなメンツだな。康一くんと由花子はいないのか」
「康一様と由花子様はご親戚のところへ帰られて」
「ああ、もうそんな時期か」
8月11日 日曜日、原稿の締め切りを基準にカレンダーを見ているから気づかなかったが、世の中はお盆と呼ばれる一帯にさしかかっている。そう言えば昨日帰省ラッシュのニュースを見たっけと露伴は思い出した。
「このクソ暑いのにどこに行く気なんだ?ぼくならよほど重要ごとでもない限り絶対外に出たくないって思うけど」
「おふたりに、学校を見せていただきに」
「ふうん」
「…」
「ぼくに許可を求めているのか?それなら承太郎さんが言ったとおりだ、この町の中なら好きに行けばいい。ただしケータイを忘れるなよ」
それだけ言って、露伴は原稿に向き直った。向き直る寸前にもの言いたげな顔を見たが露伴はペンをとる。
気配が立ち去らない。
まさかぼくに付いてきてほしいのか?バカを言え、天気予報を見たか?明日は37度だぜ?そんな中を歩いて学校まで行くなんてぼくは絶対に嫌だ。車を出すのもお断りだ。あんな不潔な連中を乗せる車は持ち合わせていない。
もう一度振り返ったとき、すでにそこにの姿も気配もなくなっていた。
「なんだったんだよ」
誰もいないドアへ向かってぽつりと愚痴った。
なんなんだよ
と今度は心の中で自分に向かって愚痴る。

いまの携帯端末にはあの祭りで贈られた吹き流しがぶら下がっている。
仗助とは毎日メールをしているらしい。竹取物語にある手紙の交換にあわせてこれを予想した露伴が当たった。これから帝こと仗助との恋愛は進展しないが一定の思慕をお互いに持つところまでは進んでいくはずだ。にそう書いてある。そしてはやがて、そのうち、どうやってかは知らないが月に帰る。それで仕舞う。
興味があるのは、あれがどうやって月に帰るのか見てみたいと、それくらいだ。ジョセフ・ジョースターへの取材によれば、彼は火山の噴火でふっとばされて宇宙へ行きかけたことがあるという。
「そのうち富士山でも噴火するか?あいつのために」
バカバカしい。
どうせ、銘菓・萩の月を売っているみやげもの屋にでも入って行って“月に帰る”をダジャレで表現して終わらせるに決まっている、そのうち。
そのうちとはいつか。

カレンダーを手に取った。
ごく近い日付に目がとまる。



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