「えー、左手に見えますのがアイスクリーム屋レインボーでございまーす。仗助、買うか?」
「んー、いーや。喉乾くし」
「おれ買ってくる。その間さんにガイドよろしく」
「おう」

かわいいワンピースに新撰組キャップはもはやのトレードマークになってきた。
「億泰がアイス買ってるあいだ日陰行きましょ」
街並みを見渡していた大きな目がこちらを向き、小さな歩幅で寄ってきた。帽子の中にしまった髪のせいで、きょうは細い首と背中が見えてセクシーだと仗助は、顔をそらす。閉まっている靴屋の軒先に避難した。
蝉がうるさく鳴いている。
「…暑いっすね」
「暑いですね」
は夏のまぶしさにぴったり合うように笑った。
前回の反省を踏まえ、気張らず仗助はTシャツにジーンズ、億泰はらしいタンクトップにハーフパンツといういでたちだ。反省をふまえたはいいが、(帽子を除き)お嬢様風のの横にはどうがんばっても似合わない。まわりからはどこかの御令嬢が不良に絡まれているようにしか見えないらしく、道行く人に何度か変な視線を送られた。その誤解を解くカギは、毎回の楽しそうな笑顔だった。
道端の花に興味を持ち、むこうの丘を巻く道に目を細め、踏切と電車にビビり、観光バスの人たちに手を振られふり返し、消火器をしげしげと眺め、電柱に張り付いていたデリヘルの広告を読もうとしたのは目を覆って阻止した。
「ここらへん通ったの覚えてますか」
「なんとなく、通った気がするのですが小さかった時の視界とは違うので初めて見る心地です」
「あんときおれのポケットでしたもんね」
は思い出してふふと笑った。かわいい。

炭酸水のペットボトルに口を付けた。
名所めぐりをかねて通ったオーソンで買ったものだ。
かつてここには”ときどき”道があって、この町を守る正義の幽霊の少女がいたのだと、そして友達になったのだと話してきかせるとはたいそう驚き「もう会えないのですか」と尋ねた。
「ん。もう会えない」
「さびしーなー。いい子だったんよ」
「いつか、露伴様がおっしゃっていました。“幽霊はいいやつ”だと。きっとその方のことだったのですね」
「うっそ、露伴センセそんなこと言ったんだ。絶対そうだな」
億泰のいうとおり、意外だ。
岸辺露伴という男は面と向かって優しいことを言えないくせに陰で優しいことを言うらしい。
まったくもって、めんどくさくて、手に負えない。そのめんどくさい男に面倒かけて、七夕祭りのど真ん中まで助けに来てもらったわけだが。

スタンドを使ったとはいえ、状況を判断して車に乗るまでもスマートだった。運転もうまかった。
幼稚なケンカばかりふっかけてくるくせに、どうしても今すぐには埋められない差が確かに横たわっている。
さん、さ」
蝉が鳴く。
さんって…その、露伴のことどう」
「おまちどー」
「おせーぞ億泰っっ!」
「そ、そんな遅くなってナイモン!仗助くんのバカッ!」






「部活組もいねーなあ」
「みんな実家帰ってんじゃね?」
校門は開いていたがこの時期はほとんどどの部活も休み期間に入っているから静かなものだ。
校舎のむこうにある野球のグラウンドからはかすかに野球部の声がする。
正門から校舎へ続く道の左にはテニスコートと道を区切るための垣根がある。きれいに切りそろえられて花も植わっているのは園芸部の地味ながらも継続的な活動の成果だろう。
色とりどりの花はの関心を大いにひいている。
「なんか見たいのありますか。校舎の中は入れないっすけど、外なら」
「おれのオススメはプール、水泳部いなかったら忍び込みましょー!ウシシ」
「ぷーる、は聞いたことがない言葉です。見られますか」
「じゃあ虹村さん、まずはプールまで頼むわ」
「えー、みなさまー本日はァー虹村観光のバスにご乗車くださいまして、まことにグラシャス。ただいまよりこのバスは水着女子のいない、えー、プールえとぉ、参りまァス」
拾った枝を旗がわり、口にはケータイを寄せて、なめらかなガイドがはじまった。そのあとを仗助とがついていく。
「“高校生”は夏には一度も学校へ行かないものなのですか」
「部活入ってない奴は来ないスね」
「おれらは補習で来てたけど言われなきゃ行かねーなー」
「あ、でもおれ来週くるわ」
「なんで?」
「文化祭準備。クラスの連中忘れてそうだけど」
「はー?おまえそゆトコ律儀だよなあ」
「別に。やることねーし」
「文化祭の係の女子と二人きりとかになったら告られんじゃね?」
「ねーよ、そんなの」
「おれの場合ねえけど仗助の場合なくねえべ」
「んなことより虹村さん、しっかりガイドしろよ」
「えー正面に見えますのが、校舎ァー、校舎でぇございマスッ」

杜王町は観光をメインの財源として構想された新興住宅地だ。
ぶどうヶ丘高校も例にもれず、非日常を感じさせる洋風の街並みに合わせて洋館のようなつくりになっている。中等部からここに通う仗助はほかの学校というのをよく知らないが、億泰によるとこの学校の校舎はとても広く、きれいらしい。
仗助にとってはなんでもない風景が、の目には楽しいようでなによりだ。
普段はサッカー部が汗を流す校庭を見て、体育のとき朝礼台の下に隠れたときの思い出でひと笑いあって、記念に近づいて行ったら突然のスプリンクラーに追われた。
ワンピースが透けてブラジャーが見える、というほどは濡れなかったのは残念だが、水から逃れて走りついた木陰で息をきらしてまた笑った。うかがい見たがお腹を押さえて笑っているのが仗助にはうれしい。
たどり着いた先、プールには水音と急かすような掛け声、手を打つ音がさかんに響いていた。
「なんだァ、水泳部エラいじゃん」
「夏しかできないからなあ」
「あー、じゃあ夏は毎日ある系か。ウホ、水着水着ィ」
さん、見える?」
つま先立ちして金網をつかみ、は明るくうなずいた。見えないと言われても、小さかった時と違って抱き上げるわけにもいかないのだけれど。
プールをうつす目がきれいだ。
水泳部がインターハイ直前の追い込みをやっていて金網越しに引き締まった女子の水着姿を見たのより、仗助はがプールの珍しさにはしゃいでいるのを見るほうがハッピーだと、そう思った。



焦げるようなアスファルトの熱は水道の水をがぶ飲みしたらもう何ともない。
「えーっと、こっちは中等部。おれもあんま入ったことないんだけどさ、仗助は知ってるんだろ?」
「まーな。中等部のほうはあんま行くと怒られるぜ」
「お、飼育小屋発見」
「聞いてねーし」
「うぎゃ、さんこっちこっち!うさぎ!」
飼育小屋の前から手招きされは一度“あんま行くと怒られる”ルールを知っている仗助を見上げた。肩をすくめてやるとタタタと軽やかに飼育小屋へ走って行った。
このまえ、仗助を励ました姿はあんなに大人っぽかったのに、どっちが本当のなのだろうか。どっちもだろうか。どっちもなら一番やばい。それはつまりいろいろが二倍ということだ。
飼育小屋の柵のまえに立つあの背中を後ろから抱きしめたい。
さん、ほらこっちこっち、下のとこ、見える?」
「あ、見えました。白いもこもこが、おしり。なんとあいらしいこと」
「そうそう!」
並んで屈んだ二人の間に仗助が割り込む。
「どこッスか」
「あの石の空洞のなかに」
「うさうさ、来い来い、うさうさうさうさ」億泰が唱えた。
「ばか、そんな呪文で来るかよ」
「こねーなー。ザ・ハンドで空間削りとっちまうか」
「あ、ほらもう一匹出てきた。うさうさうさうさ、来い来い」
「おまえも言うんじゃねえかよ」
「うさうさうさうさ」
さんまで。そんでホントに来た!」
「やろう、さてはオスだな」
うさぎは白いのと、灰色のがいた。
灰色が出てきたところで、トンネルのような場所に隠れていた白いのも出てきてお互いひょっこらひょっこら近づいて行き、
「ハハ、チューしてら」
「ほんとだ」
うさぎは鼻先をつんつん寄せるしぐさをしてみせのだ。
こっちの気も知らないで、見せつけてくれる。
「うさ公のくせに生意気な…グス」
「なにも泣くこたぁーねーだろー」
「あーおれも彼女ほしー!さん、おれとかどうっすガボ!」
「わりィ。肘が偶然ぶつかった」
「“チュー”とはどういう意味ですか」
「「え」」
仗助と億泰は同時に声を上げた。
目を丸くして顔を見合わせ、直後にガタガタし始めた。
「ち、チューと、いうのは、ですねえ」億泰は丁寧語で目を泳がす。
「その、なんつーか、こう、こう」仗助は手でキツネをつくってその鼻先同士をつんつんと突き合わせる。

「求愛のしぐさです」

と灰色うさぎがしゃべった、気がした。
三人はあたりを見渡す。
「人間同士の場合ですが、こうして口と口をあわせるのは」
今度こそ本当にうさぎがしゃべっているのを目の当たりにし、仗助と億泰はとっさにを背へ隠し、スタンドが立ち上がる。
「愛情を示す行為なのだそうですよ」
「この声…おまえか」
うさぎの形がぐうっと人間の背の高さまで伸びたかと思うと、寒天のようにつるんとした見た目に変わり、みるみるうちに
「仗助さん億泰さん、こんにちは。さん、ご機嫌麗しく」
「未起隆ァ、びっくりさせんなよ。おれァ心臓とまるかと思ったゼ」
「なにしてんだこんなところで」
「ええ、わたし動物を飼うのが趣味なので、夏休みの中等部のかわりに飼育小屋当番を毎日させてもらっているんです。うさぎはあの子しかいなかったのでかわいそうだと思ってうさぎになってあげているうちに、彼女に気に入られてしまいまして。彼女にとってはひと夏の恋、というヤツですね。交尾はしませんが、うさぎと宇宙人の子供ができたら何になるんでしょう?」
常識はずれの未起隆のテンポには仗助も億泰も慣れている。あーハイハイそうなの、で済ますがだけはまともに聞き入って混乱している。未起隆はそのの手をとって
「ところでさっきの話の続きですが、チューというのはほかにも呼び名があるようですよ。キスとか、口づけとか、接吻とか。それにチューと一口にいってもやり方やする場所もいろいろで、お互いの舌をからませたり下半」「わー!わー!わー!ストップ未起隆」
仗助が大声をあげてさえぎり、億泰が未起隆をしめあげたコンビネーションは見事の一言に尽きる。未起隆は億泰に任せての様子をチラと伺うと、顔を真っ赤にして下を向いていた。
仗助が覗き込んだのに気付くとあからさまに目をそらされる。
泣きそうにも見える顔で、発した声は震えていた。
「あ、の…申し訳ありません。はしたない質問を…っ」
雷が仗助を打った。






午後15時、休憩がてら一階に下り紅茶をいれおわったとき、昨日からキッチンに置きっぱなしにしていたケータイが短く鳴動した。にはケータイを持てと注意したが、露伴こそこういう持ち方をするタイプの人間だった。
メールはからだ。
そういえば、テスト送信以来はじめてのメールである。紅茶を片手にメールをひらいた。
件名は「うさぎ」、
本文はなく、白いうさぎのブレッブレの写真が添付されていた。
あごをひねる。

こういった明確な目的のないメールを今までにあまり受け取ったことがなかった岸辺露伴は、「なにかの暗号か」と夕方が帰ってくるまで頭を悩ませた。



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