「あれ、誰もいない」

仗助はガランとした夏の教室に足を踏み入れた。
ぶどうヶ丘高校の文化祭は九月に行われるならいだ。テスト休み中に係を決め、夏休み中の数日学校にきて準備をしよう、と計画はたてるがいざ夏休みに入ってしまうと部活連中は部活を優先し、部に所属していない連中も文化祭準備などすっかり忘れて17歳の夏休みを満喫する。結果、このありさまである。

その場で仗助が回れ右して帰らなかったのは、仗助のクラスの窓がすべて開いており、机が後ろに下げられているからだった。
誰かがそうしたのだと思うが、誰もいない。
楽器ごとに一教室を使う吹奏楽部だろうか。
青空をうすくさえぎって白いカーテンが風をはらんでふくらむ。
仗助は窓から校庭を眺めた。
野球部は、この暑いのによくやる。

「あ…仗助君」

クラスメイトの女子が教室の入り口に驚いた様子で立っていた。
「おー副委員長、ひさしぶりー」
文化祭実行委員の副委員長に仗助は手を軽くあげた。夏服の副委員長の顔がポッと紅潮し「来てくれたんだ」とうれしさを隠しきれない様子で口を不思議な形にしている。
「誰もいないからさー日にち間違ったかと思ったよ」
「間違ってないよ!ぜんぜん!今日と明日あるよ、準備っ」
「おう」
服委員長の顔がさらに赤くなっていくのは、暑いからだ。

一日目は図書室で借りた料理本をもとに模擬店で出すメニュー決めをした。たいしたものは作れないが、仗助の家は母親が働いているため、半日授業の日などは小さいころから仗助が自分で料理をしていた。
料理本を見て、これはちょっと難しい、これなら文化祭でも簡単にできるとアドバイスをすると、女子力を脅かされた副委員長はひどくショックを受けた様子だった。
そして二人きりの居心地の悪さに耐えかねたのか、おおまかに購入する分量まで計算し終わった昼にはもう解散という流れになった。
「じゃあ明日な」
「う、うん!明日!あ、でも明日台風くるらしいよ。夜だから大丈夫だと思うけど」
「マジでか。どうりで今日の朝髪がいまいちキマらないと思った」
「そそそんなことないよ、キマってるよ!カッコイイよっ!」
「お、おう」
わざとおどけて、最後にヘヘと笑って教室をあとにした。
女の子に興味がないとか、モテたくないとかそういうわけでは決してない。
その証拠に仗助はケータイのメール着信を感じては一喜し、億泰の名前を見ては一憂するのだ。億泰はいま起きたらしい。

「お、灰色うさぎいた。よー未起隆」
正門まで少し遠回りをして中等部の飼育小屋によると「ああ、仗助さん」と灰色ウサギが伸びて未起隆に変化した。ちょっと気持ち悪い。
「どうしたんです?今日もさんたちと探検ですか?」
「いんや、文化祭準備。おまえは今日もめすうさぎの相手か?」
「ええ、そうです」
「そっか」と仗助は低い金網の柵に腰かけた。大きな木の日陰になっている飼育小屋近くは、風が吹くと心地いい。その顔を未起隆は不思議そうに覗き込んで首をかしげる。
「どうしたんです?地球人の夏バテというやつですか?そうでしたら、トニオさんのお店へ行くといいですよ。億泰さんはすっかり直ったってついこの前」
「あいつまた外食してんのか、大丈夫かなあ」
「夜に、お兄さんのお墓参りをした帰りに億泰さんのお父さんと寄ったそうですよ」
「あー」
それならいいと、仗助はうなずき、視線は地面の木漏れ日を向いたきりになった。
ここにさんが立った、と女々しく思った。
「…未起隆さあ」
「はい?」
「宇宙人って好きな人できんの?」
「…あなた本当に仗助さんですか?」
「なんでだよ」
「億泰さんみたいなことを言うので」
「ハハ、失敬な。仗助さんだよ」
納得しきれていないふうの未起隆だったが、ふむ、と言って頬に手のひらをあてて考え込んだ。
らしくないのはわかってら。
「ぼくはまだ好きな人ができたことはないですが、217歳なのでそのうち好きな人ができると思いますよ」
「そうなんだ?」
「そうですよ」
「そっか」
「…さんですか?」
仗助は思わず変な声をあげてのけぞり、あわや後ろのうさぎのテリトリーに落ちるところだった。
なんとかバランスを取り戻し、あれえ、と頭をかく。隠し事と騙し合いは大の得意のはずが、ここまでの会話の流れを辿ったなら、まるっきりそう聞いてほしいと言ってしてしまっていることに気が付いた。
唇をとがらせ、右を向き、上を向き、下を向き、正面を向き、未起隆がいる以外の方向すべてへ視線をやってから、木漏れ日の先でおちつけた。
「ほかの奴に言うなよ。…めんどくせーから」
さんにもですか?」
「一番ダメだっつの」
「なぜですか」と首をかしげた未起隆は「好きなんでしょう?」と悪意なく追い打ちをかけてくる。
「人間はわたしたち宇宙人と違って言わなきゃ伝わらないですよ」
「おまえはそうやって、いい事いってるのに宇宙人をおりまぜるから」
「恋をして交配するのは宇宙人も人間もおんなじです」
「交配って…」
「話の真ん中をはぐらかさない!」
「おまえが言うか」
仗助は金網の柵を降りて、木漏れ日をぬけ未起隆を振り返る。
「あの人は好きな人がいるんだよ」
仗助は平気なふうに笑う…笑いたい。
「言うの怖すぎるべ」
じゃあな、明日台風だから彼女なかにしまっとけよ、と未起隆に軽く手を振り正門へ歩いた。

のらくらすすみ、はあと誰にも聞こえない息をつく。
見上げた夏の青空のむこう、海の方角に入道雲が見える。
「せつねー」
のに、次に会う瞬間が楽しみで毎日が輝いている。






君に似合うドレスを買ってやろう。ぼくの服でだぶつく袖からほそい腕が出ているのはかわいいけどな
「おい、いい加減ぼくの服を返せよ。サイズがあっていなくて見苦しい」

暑いだろう、髪を結んでやろうか。というのは言い訳だ、君の髪にさわりたい
「クソ編集がぼくの描く女がかわいくないとまた言ってきやがった。だが相手はプロだ、しかたないから君、ちょっと頭貸せ。人間の髪なんて触りたくもないが。あ、君人間じゃないんだっけか」

めんこい
「ぶす」

そうして、一週間が過ぎていた。

露伴にひどい言葉を投げかけられるたび、怒るでも泣くでもなく、やわらかそうな頬の温度をうしなって露伴の目の前からいなくなる。しかし次顔を合わせたときには、優しげに笑うのを忘れない。
努めてそうしているとわかるのは、露伴はが心から嬉しそうに笑った顔をしたのを何度も見たことがあるからだ。絵を描いてやったり、珍しいものを見せてやったり…、いや、前まで顔をあわせるだけで嬉しそうに笑っていた。
うまい食事も、色のきれいなフレーバーティーも、高級ワインもには意味がない。
じゃあ、急に抱きしめたりしてみるか。
それは変態だ。ここ最近の傷つけ方を踏まえると無理矢理キスしたら泥水で唇を洗い出すかもしれない。

さん、おはよ。水やり手伝いましょーか」
「仗助様」

原稿の手を止め、ブラインドの間から覗いた下での声が嬉しそうに笑っている。帽子のつばで顔が見えない。
「おはようございます。今日から学校ですか」
「17歳の夏休みはまだ終わらないッスよ。昨日と今日だけ文化祭準備があるんで。学ランあちー」
「ぶんか祭、お祭りがあるのですか」
「学校のお祭り。生徒がお店出したり、劇やったりして、あ!さん来たいですか、来月のえーっと…何日か忘れた」
「仗助様がお店を?康一様も由花子様も億泰様も未起隆様もですか?行ってもいいのですか?わ、わたくしも?」
「うん。全部うん」
「行きたいですっ」
「うっし!やった、さん来てくれるならがんばるわ、ウオー」
「ウオー」
さん水めっちゃこぼれてる」
ジョウロの水がの足元に作った小さな虹を見落として、朝の道に二人分の笑い声が響く。
ブラインドから指をはなし、仕事机へ戻る背に「いってらっしゃいませ」の声を聞く。
それはぼくへの声だ







億泰の言葉のとおりになった。

「…悪い」
「や、ううん、ううん」

夏休み中の文化祭準備二日目も二人しか来なかった教室で、風も強くなって来たし雨が降る前に帰ろっかとプロッキーを片づけだしたその矢先、もしよかったら付き合ってほしいと告げられた。
「ごめんな」
「最初からダメもとだったし、ホント、全然だよ、こっちこそごめんね」
妙な沈黙がおち、行き場なく上履きの先を廊下に押し付ける音だけが校舎に鳴る。
笑い顔を作った副委員長の顔は病気じゃないかというほど真っ赤で、うつむいてしまったら涙を落とす気がした。まもなく、廊下に涙が落ちたのを見た。

ごめんと、言いかけた声が止まる。
この姿は、この涙は、この先いつかの自分だ。
仗助は無礼にも副委員長に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
へんな角度から胸が痛くなっていっそ、付き合ってしまいたいとさえ思った。
それは絶対しちゃあいけないと、知っている
「その…あ……仗助くん、好きな人、いた、の、かな?」
名前が真っ先に浮かんで、封じた。



灰色うさぎはいなかった。
茜色になった雲の速度はやく、風はなまぬるい。
うねる、長くゆるい下り坂をいくと、線路を超えたところで風に遊ばれる長い髪を見た。



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