8月22日木曜日、台風一過で太陽はギラギラ照りつけた。

朝、承太郎に電話で事情を聞くなりヘアセットもせずに仗助が駆けつけたが、石もペンキも近くの工事現場から昨日勝手に持ち出されたもので、結局石を投げ込んだ犯人はわからなかった。
スタンドとの関連性を示せるものもなく、承太郎と財団はこの件についてこれ以上関与しないという判断を下した。
ひとり、仗助だけは悔しげに眉根を寄せていたが、がなにごとか声をかけると苦笑に変わった。わかりやすいヤツ。
毎日遊べる友達がいて、補習をくらって、好きな女の子がいて、うまくいかない、ふがいない経験をして、一度きりしかない十七歳の夏を謳歌しているじゃないか。

「ハッ、投石の犯人なんか調べている暇があったら、高校生は夏休みの宿題でもしてろってことさ。どうせ終わってないんだろ」
慰められてよくなりかけた機嫌をまた蒸し返してやる。仗助はムッとして、しかし露伴を無視した。その横ではソファにかけた承太郎が「やれやれだぜ」と帽子のつばをさげる。

「宿題」

なぜかが復唱した。
「露伴様、あの…もう上にあがってもいいでしょうか」
「…いいけど、窓に寄るなよ」
「はい」
「おれも行く」
「家の中でまでつきまとうんじゃあない」
「護衛」
「あっそ」
と仗助がドタドタ音を立てて階段を上がって行った。月が出ていないと、は本当に普通だ。
残された露伴は、正面の承太郎とふたりきりでする会話もないので紅茶のカップを唇に寄せる。
「本当に手を出したのか」
「ブッ!」
露伴が噴き出した紅茶は、承太郎がいままでいたはずのソファまで飛んだ。一瞬で座る位置がずれたということは、避けるために時を止める彼の最強のスタンドを使ったということだろう。
「なん、なん、っ、…っ!」
口をパクパクしているあいだに二人がドタドタ戻ってきて、渦中の小娘はのんきに承太郎へ例の宿題ノートを差し出した。仗助は露伴が紅茶を噴いたソファに座って「あれ、なんか濡れてる。雨漏り?」と天井を見上げている。
「書いていたのか」と承太郎は数週間ぶりにノートを受け取った。
「この世界は知らない言葉ばかりです」
「そうか」
「すご…全ページ埋まってる」ノートを覗き込んだ仗助が目を丸くした。
「全部見るのは骨だな」という言葉と裏腹に、あの空条承太郎がまんざらでもない笑みを唇の端にだけ宿らせていているように露伴には見えた。
「次に会うときまでに見ておく」
新しく知った英単語を使って熟語を書きつけているという話だが、何が、どういうふうに書いてあるだろうか。露伴もそうっと首を伸ばして上から覗き見ようとするが見えない。それどころか仗助から一部始終を見られていた。
にらみ合いをしながら
「…、バスルームからタオルを持ってきてくれ」
「はい、露伴様」
「それくらい露伴先生が取りに行けばいいじゃないッスか」
「おまえも行けよ。護衛殿」
仗助をおだてて二人とも出て行かせると「ちょっとこちらへ」と露伴は承太郎が見ているノートの真ん中を引っ張った。しかし承太郎が放さない。
「先生は見ないほうがいい」
「は?なんで」
もう一度引っ張るが、やはり承太郎は放さなかった。
「ヘブンズッ」
「忠告はしたぜ」承太郎の手がパッとひらいた。
「ご丁寧にどうも。見るなと言われると絶対見たくなるたちでね。さて、と」

ピンポ~~~ン

「露伴先生こんにちはー。田舎のおばあちゃんちのおみやげ持ってきましたー。由花子さんと億泰くんもいまーす」
「あいつら来たか。きょう髪型キマってねーんだけどなあ。ハーイいま開けまーす」
「あ、オイコラ仗助、どこへ行く、ひとんちで勝手に」
「おめーら、ちこっとドアから離れててね。ドラァ!!!」
「鍵を開けろよ!!!」






8月29日木曜日

「書店大賞受賞の喜びをおきかせください!」
「それ、もう30回くらい聞かれたよ」
「ええと…では、今この喜びをどなたに一番伝えたいですか?」
「はァ?」
「せ、先生っ、ちゃんと用意したコメントどおりにっ」
「…カゾクとユウジンです」

ホテルの一室に缶詰にされ、同じことを聞かれ、同じことを答えるというインタビューの繰り返しは分刻みで相手が入れ替わり、一日に30以上のメディアを相手にしなくてはならない。いまは12個目だ。
こんな過密スケジュールになったというのも、インタビュー嫌いの露伴が数日間に渡ってダラダラとインタビューが続くのを嫌がったためだが、露伴は誰だこんなスケジュールにしたのは、とたいそう不機嫌なまま、25時を過ぎてようやく最後の取材が終わった。
疲れ切ってホテルのベッドに倒れこんで数秒、前にもこんなことがあったなと思い出す。襟のボタンをはずしつつベッドの上に放り投げていたケータイを拾い、仰向けに眺めると何通かのメールと着信があった。

16歳ではじめてジャンプの連載が決まった時もそうだった。
こういうときだけ知り合いぶって連絡してくる連中がいて、そういう連中は決まって露伴の作品をまともに読んでいないから特に嫌いなのだ。ケータイを乱暴に扱って壊すたび、どうでもいい人たちの連絡先はアドレス帳から消えていき、杜王町に越してからは知らない人間からの連絡は特に減っていたので、その点はよかったが。
ネガティブな先入観を持ちつつ開いた着信履歴は実家からだった。
もうこの時間では寝ているだろうから、連絡は明日にすればいいだろう。あとの着信は知らない番号だったのですべて無視した。
メール着信のほうもほとんどは電話帳登録さえしていないものだったが、ある時間帯だけ見知った名前が連なっていた。
虹村億泰、山岸由花子、広瀬康一、東方仗助、そしてだ。
修学旅行の下見で親が不在の仗助の家で”お泊り会”をしているはずの5人がきっちり1分置きにメールしてきているところから、すでに嫌な予感がする。
一番早い億泰のメールには件名も本文もないが、写真が添付されていた。
仗助と億泰が手足を妙な形で伸ばして折り重なり、少しだけ離れたところに康一が寝そべっている。

珍しいご遺体かと思ったが、よく見れば床に作られた人文字は「お」を表している。
次の由花子のメールの人文字は「め」
康一が「で」
仗助が「と」
が「う」

「なにやってんだあいつら」

あまりにくだらなくてちょっと笑ってしまったのが悔しい。
「ほかの奴はどうでもいいが、親友の康一くんが祝福してくれたんだから、連絡すべきだろうな」
勢いをつけて起き上がりケータイを耳にあて、意気揚々と康一へ電話をかけた。
夏休みの高校生が集まってこの時間に寝ているはずがない。

プルルルル
プルルルル
プ・ガチャとつながった音がして「もしもし!康一く」ツーツーツーした。

おかしいな、もう一度。
プルルルル
プ・ガチャと音がして「もしもし!ぼくだよ!康一く」ツーツーツーした。

プルル
プ・ガチャと音がして「も!」で切られた。

「…」

露伴は連絡先を切り替えた。
今度はすんなりつながり、「露伴様っ」とたいそう嬉しそうな声が出てきた。
「康一くんへのぼくの電話を切ったのは山岸由花子か」
「はい!あの、あの、露伴様!テレビで露伴様が受賞なさる場面を拝見しました。とてもご立派で、素敵でいらっしゃいました、かっこよかったですっ」
「ハイハイどーも。それにしてもそっちの後ろずいぶんウルサイな。アホとクソがケンカでもしているのか?」
「あの、あのっ!“まりかー”をしています、わたくしは、ピノキオで、あのっ、あの」
露伴の晴れ姿に興奮を隠しきれないのかと思ったが、どうも違う。不慣れな通話とはじめて触れたゲームの楽しさに大興奮しているのだ。

さーん、次のレースはじまるッスよー

「は、はい!康一様はマリオで、由花子様はクッパで、由花子様が一番速いのですっ」
「…あ、そ」
「あの、あの、それから、わたくしが一番へたです!」
「嬉しそうに言うな。ガキがいつまでも起きてるんじゃあない、さっさと寝ないとイタリア語講座が見られないぞ、ああ、寝るときは一応プッツン由花子のそばで寝ろよ。そうしたら明日の朝には仗助は串刺しになってるから。じゃあな」
「本当に、本当に祝着に存じます。ご無事のお戻りをお待ちしております、そうしましたら露伴様も一緒にまりか」
変なところで通話が切れた。
興奮しすぎて終話ボタンを押してしまったのだろう。

唇をとがらせた露伴が、杜王町への帰り道でWii本体とWiiマリオパーティーを購入した理由は定かではない。












「おー、そうきたかー」

億泰は案外小さくうずくまって、康一と由花子はつつましい距離をあけつつ向き合って、は説明書のそばで、それぞれすこやかな寝息をたてていた。
朝の3時30分をまわったころコントローラ片手に仗助が「もう眠い」と口走ったら、「まだまだレースはこっからだぜ仗助、シャワーでもかぶって目ェ覚まして来い!」と億泰に腕を蹴られ、拍子に自分の使っていたヨッシーがコースから落ち、ビリになったのを区切りに仗助はいったんコントローラを手放した。ズバ抜けてヘタッピで、うまくなろうと熱心に説明書ばかり読んでいたにバトンタッチし、シャワーを浴びて戻ってきたら、このありさまだ。
外では新聞屋さんの錆びたブレーキの音がした。
抜き足差し足でテレビとゲームを消し、散らばったハッピーターンと全く進まなかった宿題とキャベツ太郎とポッキー極細とジャガビーとカントリーマアムと人を踏まないように気を付けながら何往復かして夏掛けをかけていった。
最後ににかけ終わって、魔が差した。

ほそい肩の上の床にしずかに両手をつく。
顔を寄せ
唇が触れ
「…」
触れようという寸前にそらし、おでこにそっとチュウした。
億泰の足の下に滑り込むように寝転び、億泰の夏掛けに半分くるまる。世界に何も尋ねられないよう肩を小さくして目と耳をぎゅぎゅっと閉じた。

相手が毎朝4時ちょっと前に、目ざまし時計もなく起き出す人とは知らなかったから。



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