人間の首が落ちた。
煮詰めたブルーベリージャムみたいなその断面からぬめる生き物が、人間の頭ではない頭蓋が、ずるうり、と生み出された。
夜の岸辺露伴邸に断末魔の絶叫が響きわたる。
は目を皿のようにして巨大なテレビ画面を見つめたまま微動だにしない。
絶妙な間を開けて二人掛けのソファにいる岸辺露伴には、のその態度がひどく不服である。
露伴が選びに選んだグロ中のグロ映画を、わざわざ二人掛けソファの配置まで変えてテレビの正面に置き、見せてやっているというのに、この期待外れな反応はなんだ。もっとこう、「キャア!」とか「イヤアア!」とか「露伴様、怖い」とかそれに伴うむにゅっとした感触とか、いろいろあるはずだろう。
「…」
あるだろう
「…」
あるだろ
「…」
始終無言のまま露伴は途中から寝こけて、上映会は終了した。

9月6日金曜日のできごとだ。
新学期がはじまってからというもの、仗助たちはぱったりと来なくなった。
昼間、はひととおりの家事をすますと、NHK語学番組を見るか屋根裏部屋でピンクダークの少年を読んでいるかのどちらかだ。長い間一巻ばかり読んでいたので最近二巻以降も貸してやったが文字を読むのが遅いために三日で一巻のペースで読み進めている。

夜になると窓を開けて物悲しげに月を見上げるのは、彼女に制御できる範囲ではないらしい。
だから、夜にはをなるべく窓のそばには寄らせず、こうして別のものを見せてやることにしたわけだが、感想もないままは強化ガラスに変えた屋根裏に消え、露伴は読者サービス用のカラー原稿の構図を考えはじめた。

キ、キキキ、キスをした日から半月経つが露伴との関係にはなんの進展もない。
かっこいいことを言おうとして言えず傷つけるループが終わったことは、一歩前進というか、百歩下がっていたのがようやく元の場所に戻ってきたような印象である。そのほかの人間関係も相変わらずで、家には来ないものの仗助はじめ高校生たちとは頻繁にケータイで連絡をとりあっているようだ。
あと一か月弱で延長した“契約”も切れるわけだがSPW財団と空条承太郎にはまだ動きがない。あるいは、あと一か月弱のあいだに何か起こると確信してその何かを待っているか。
竹取物語の作中でかぐや姫が月に帰るのは旧暦八月の十五夜、いわゆる“仲秋の名月”の夜だ。
今年の“仲秋の名月”にあたる満月は9月19日
はなにも言わない。
「今日は新月だったか」
ブラインドの間から月のない夜空を見上げる。
「月が出ていない日はなんともなさそうだし、いま頃ぐーすか寝てるだろう」



構図が正解を見つけて心地よく筆が走った。
午前2時、紙を持ち上げ立てて、遠目に出来栄えを見つつ消しカスを落とす。ここに色を乗せるのは気持ちいいだろう。
床が鳴った気がして振り返る。
が立っていた。
「何してるんだこんな時間に。イタリア語講座までまだ2時間もあるぜ」
は大きな瞳を大きく開いたまま、床をじっと見ている。
椅子から振り返っている露伴は怪訝な顔をした。

「まさか、怖くて眠れないのか?」

プッとふき出し、腹を抱えて笑い出しそうな露伴に対し、は表情を変えないまま下の唇をきゅっと噛んだ。今にもその顔のまま泣きだしそうで、露伴の笑いもひっこむ。
の前まで行ってみると、何も言わず腰にひしとしがみつかれた。
この、“抱きしめる”でなく“しがみつく”感じの抱擁をいい加減卒業させたい。
しかし、ブラジャーをしない体でこうも強くくっつかれると、ふむ。ふむ。ふむ。
まあ、悪くない。
「そんなに怖かったのか?」
の首がもぞもぞ動いた。すり寄るようなしぐさに期待が足元からざわつき始める。
髪を撫でただけで腕がぞわと粟立った。
頭のうしろからうなじへ、耳たぶへ、頬へ、頬から顎を手のひらで下から支える。
上向かせたい
これにちょっと抵抗されて胸が高鳴る。

「怖いのを見せて悪かった。謝るよ、もう見せないから」
明日も見せよう。
それから、
竹取物語をぶっ潰すためにももうこのままこいつとここで気持ちよくなっ

「亡くなった方の無念を思うと」
「…は?」
「故人ばかりではありません、大切な家族をむごたらしく殺められ残されたご遺族はどれだけ悔しい思いをなさることでしょう」
はうつくしい顔をゆがめて涙を噛み殺し、露伴は長ネギみたいになっている。
「せめて家族のないわたくしが、あの方々の痛みを代わって差し上げたいっ」
「ああ、そう」

それから小一時間かけてコンピュータグラフィクスと特殊メイクと血糊について懇切丁寧に説明し、さらにペン入れ済みの原稿と下絵ができたカラー原稿を見せてやってなんとかテンションを持ち直させたが、あまりの面倒臭さにもう二度とこいつにグロ映画を見せまいと岸辺露伴は心に決めた。



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