ぶどうヶ丘高校の校門に設けられた大きなアーチをくぐる前から、は興奮気味だった。
その横で岸辺露伴はうんざり顔だ。

9月15日日曜日、へたすると8月より暑いんじゃあなかろうかという熱気のなか、日陰のない長ったらしい坂を徒歩でのぼらされたのは、文化祭期間中、自動車での来校が禁止されているからだった。
アーチをくぐると、洋風の校舎には文化祭のスローガンが書かれた大きな垂れ幕がかかっているのが見えた。
教室の窓に桜紙で作った花を張り、文字をかたどる文化はどこの学校でもかわらない。

「2時からァー!体育館でー!吹奏楽部のコンサートがありまぁあああす!」
「柔道部によるドキ・男だらけのロミオとジュリエット!あと10分ではじまりまーす!」
「2-Dィイイイ、射的やってまァーす!美人スナイパーもいるよォー!」

元気がよすぎて耳にうるさい客引き、着ぐるみに、コスプレ、女装、部活のユニフォームを宣伝商材として活用している連中もいる。は目を輝かせてあたりをみまわし、露伴は首からかけていたカメラでそのにぎやかしい景色をパチリと撮った。
「ぶど高祭へようこそ、ご来賓の方は受付へお願いしま。う、わ」
文化祭実行委員の腕章をつけたモヤシのような男子生徒はの顔を見るなりぎょっとした。学校という狭い檻のなかに閉じ込められた彼らが驚くのも無理はない。
最近見慣れていてよく忘れるが、コレはいわゆる絶世の美女なのだ。
「受付だって。行くぞ」
「はいっ、露伴様」
「でっかい声で言うんじゃあない」
の新撰組キャップのつばを下げて昇降口へ進んだ。
受付の帳簿には、「氏名」「関係のある在校生の氏名」「続柄」を書く欄が設けられていた。


氏名 関係のある在校生の氏名 続柄
岸辺露伴 広瀬康一 □親 □兄弟 □祖父母
□親戚 □友人 ■その他( 親友 )
岸辺 山岸由花子 □親 □兄弟 □祖父母
□親戚 ■友人 □その他(     )


「え、こ、この名前ってピングダークの少年のっ」
「え、嘘!?マジで!お、おれ、毎週読んっ」
「ヘブンズ・ドアー」
「ありがとうございました。こちらは文化祭のパンフレットです。次の方どうぞ」
「この応募用紙はイケメンコンテストとミスコン用のものになります。職員室前にノミネート者の写真と投票箱がありますのでどうぞ」
「ふうん、イケメンコンテストか、康一くん一択だな。君も入れろよ…ん?なにはにかんでるんだ。スリッパが楽しいのか?」
「わたくしの姓は露伴様とお揃いでした」
「便宜上」
「便宜上、お揃いでした」
「さっさと2階にいくぞ、最初はもちろん康一くんのクラスだ。2年A組出席番号20番3月28日生まれの牡羊座、身長157cm、A組の出し物は落語だ。着物姿でぼくらを笑いの渦につき落とす康一くんが見られるぞ」
「…お詳しいのですね」
「親友だからな」



「君たち、これはいったいどういうことだよ。休憩中でクラスにいないことはわかった。しかし康一くんが裏方だと?あのあふれ出る男気を、優しさを、志を、君たちA組のクラスメイトは彼を裏方にまわしたと言うのかい?どうなっているんだ、嫉妬か?謀略か?抗争でもあったのか?いや、いかなる問題が起こったのだとしても、窮地に立てば立つほど君たちは康一くんの懐の深さを感じずにはいられなかったはずだ。そのうえでも康一くんを裏方にまわすなんてことはあるはずがない。これはもはやミステリーだよ。おいそこの野球部、校長を呼ウオ」
「子供たちを驚かせてはいけません」
に膝カックンされ廊下に崩れる。
「お騒がせして申し訳ありませんでした。どうぞわたくしどものことは無きものとお忘れください」
深々礼したに服の裾を引っ張られて歩かされる。生意気な。
に食ってかかろうとした瞬間後方で聞きなれた声がした。

「あんたたち、これはいったいどういうことなのよ。休憩中でクラスにいないことはわかったわ。でも康一くんが裏方ですって?そう、わかったわ、あんたたち…和服の康一くんの魅力を妬んで」

「ああ、やっぱり山岸由花子か。相変わらず気持ちの悪い奴だな」
「…」







康一は不在だったが、タイミングよく由花子に会えたので二人は初めに由花子のクラス、2年D組の模擬店を訪れることにした。
2-Dの教室内には007のテーマが流れ、D組の生徒は全員ハードボイルドなサングラスにココアシガレット、あるいはチュッパチャプスをくわえている。水鉄砲やらダンボールを切り抜いた拳銃やらを持って、ネクタイに黒スーツといういでたちだ。
露伴は怪訝に顔をゆがめる。
「なに屋だよ…」
「射的屋よ」
そう返した制服姿の由花子の片手にはいつのまにか機関銃がある。
「射的」と聞いて、町内の祭を思い出したは目を爛々とさせ、うれション寸前の犬のように落ち着きがなくなる。その目のまま露伴をじっと見上げてきた。
「やんないぞ」
「…」
「…1回いくらだよ」
「3発で200円よ。あんた、こらえ性がなくなってきたわね」
「うるさい」
由花子の指南が付くも「こうして、こうして、こうよ」という天才肌の指導だったために、は3発ともはずし、一方でしゅんと肩を落としたその姿に周りにいた男子生徒全員の胸が打ち抜かれた。
ハードボイルド設定を忘れた男子生徒たちは美少女との距離を詰めようと鼻の下を伸ばしつつ近寄ってきたが、岸辺露伴と山岸由花子の眼力という名の散弾銃が彼らの精神を一瞬にしてズタズタにした。
そんな銃撃戦が繰り広げられているとはいざ知らず、は笑顔を作って「また参ります」と山岸由花子に手を振った。

岸辺露伴は銃をとる。






廊下から振り返ると、教室のドアにもたれかかった由花子が珍しく唇の端だけきゅっとあげてこちらを見ていたのは気に入らないが、ココアシガレット1箱には大いに驚き、喜んで両手で戴いた。
「よくそんなもので喜べるな」
「露伴様がとってくださったのですもの。これは、何に使うものなのですか。ココ、ア、シガレ、ツ、ト」
「それは駄菓子。君は食べられないけど、それかネコの置物か康一くんのブロマイドしか景品がなかったんだから我慢してくれよ。ぼくは康一くんのブロマイドがよかったけど、あれを取ったらたぶん山岸由花子に後ろから撃たれる」
「菓子」
「いらなきゃその辺の腹を空かせた高校生にでもやればいい」
は大切にワンピースのポケットにしまった。

「ウオオオ!さんだー」

少し先の教室の前に置かれた机を飛び越え、廊下の向こうで億泰が手を振っている。
「未起隆ァー、おーい、ちょっと来て来て」
「どうしたんです億泰さん。あ、さん!」
未起隆と呼ばれたが、暗幕で窓と言う窓をすべて覆った教室から飛び出してきたのは真っ白い布をかぶったUMAだった。突進してきたUMAを足で跳ね返そうとするが足には、ただ布を蹴る感覚だけがあり、中には何もいなかった。
「こんにちは。来てくれたんですね!ぜひぼくたちのクラスのお化け屋敷に寄って行ってください。さあこちらです」
露伴の足の感触に従うなら、中に何もなかったはずの布がの手をつかんだ。
「その声は、未起隆様」
「いえいえ、おばけですよ」
「フフ、おばけ様、精が出ますね。ここはお二人の教室なのですか」
「そうよん。おれのF組と未起隆のG組は合同でお化け屋敷。さっきまでめっちゃ混んでたんですけど、おれ受付になったあたりからなんかわかんねーけど全然来なくてさあ、今ちょォーど誰もいないから入ってって入ってって。あ、露伴先生、チィース」
「挨拶が遅い。ぼくは年上だぞ」
「いーからいーから。おめーらー、二人はいるぜー」
「おいコラ誰が入るなんて言った。押すな」
「ではさん、のちほどおばけとしてお会いしましょう」



億泰は無理やり露伴とを教室に押し込み、ぴしゃりとドアを閉じた。
開けようとしたがドアはびくともしない。さてはスタンドで押さえつけているのだろう。高校生のこのハイテンション任せの強引さが腹立たしい。
中は真っ暗だ。
どこからともなくヒュードロドロというよくある墓場SEが流れ、唯一ドアのすぐ近くの足元にはうすぼんやりとした明かりがあり、スライムらしき液の中に小さな懐中電灯が5つ浮いている。札書きには「これでせいぜい地ごくへの道を照らすがよい(おひと組さま1コまで)」とあった。
億泰に言われていると思うとさらに腹が立つ。

トンと、の靴が露伴の足にぶつかった。

「なんだよ」ギロリと睨む。
「申し訳ありません」の声は小さい。露伴の服の裾をつかみ、文化祭のアーチをくぐった時とはまた別の落ち着きのない様子で、真っ暗で壁とも道ともわからない空間にきょろきょろ目をやる。
「…」
露伴はスライムの中に手をつっこんで懐中電灯を点けた。点灯部に紫のセロハンが貼られており、光はごくは弱い。
「行くぞ」
アキレス腱を伸ばし、意気揚々と一歩を踏み出した。
コの字カーブを何度も繰り返すように衝立で細い道を作り、その上に布を渡している。窓を覆う暗幕だけに頼らず天井に布を渡したのはいいアイディアだ。黒は色を増し閉塞感により恐怖はあおられる。
今ばかりは服の裾を放せとは言っていないのに、は無意識にか露伴の服を手放し、露伴のすぐうしろをこわごわと歩いている。道の狭さも良い。二人が横に並んではギリギリ歩けない幅だ。前後にずれるか、抱きつくよりほか、通り抜ける方法はない。
何もないまま第二コーナーに差し掛かる。

角に、誰か立っている。

立ち止まるとも立ち止まった。「君が前に行けよ」と面白がって押し出そうとしたのに、は言う前から自ら露伴の前に出た。こわごわ両手をひろげ、露伴を守っているつもりなのかもしれない。
「そ、そこを通ってもよろしいでしょうか」
角に立つ影はぶつぶつと何か言っている。
は首をかしげて、一歩近づいた。
「ひもじいよ…ひもじいよぅ」
迷彩服を着た痩せ細った男は、戦時中をイメージしたのだろう。
「ひもじい…だから、おまえを食わせろォオオ!」
男は突然両手をふりあげ顔をガクガク揺らしてに襲い掛かってきた。
露伴は膝をやわらかくし、どれだけ強く飛びつかれても抱きしめられるように構える。

霊験あらたかな白神の森林のように静かだった。

大きな声に一度ビクリと身を震わせたを確かに見たが、は動かない。迷彩服のやせ形男子生徒もお客さんの体にみだりに触ると生徒指導室行きなので、腕を振り上げたまま直前で固まっている。いや、間近で見た少女のあまりの美しさにくらい、金縛りにあったように動けないのだ。
金縛りの迷彩服、膝をやわらかくして構える露伴の間でだけがごそごそ動き、
「哀れや、これでわずかなりとも飢えをしのげましょう」
と、迷彩服の手にココアシガレットを握らせ、励ますように両手のひらで包み込んだ。
先へ進んだの後を、ごっ・きゅんと音を立てて唾を呑んだ男子生徒が、鼻の穴をおっぴろげ、フンフン言いながらついて行ったので、露伴はそっと「下痢になる」と書いてあげた。
迷彩服が突然走って教室を出て行ったあと、は落ちていた生首にビクっと震え、念仏を唱えて供養した。
その直後、顔にびちゃりとこんにゃくが当たり、ビクっと震えた。
天井からこんにゃくが降ってきた現代の不思議に恐怖する背を前に押し、お皿が一枚足りないと泣くお岩さんにもビクッとしたが、うちにある皿を一枚彼女にあげてはどうかと露伴に相談し、露伴のやわらかく整えた膝は拍子抜けで半月板が割れるのではないかと言うほど、切ない声をあげている。

壁から無数の腕が出てくる、おそらくラストに近いおばけ屋敷の魅せ場もはその場でビクっと震えただけでやりすごした。どさくさにまぎれて美少女の柔肌を触ってやろうと妙な動きをしだした手たちには素早く「痔になる」と書いてあげた。
ゴールのドアまであと1メートルという場所で露伴は短い悲鳴を聞いた。
懐中電灯で照らすと白い布になっている未起隆が典型的なおばけのポーズで、の前で楽しそうに揺れている
「おばけですよー、驚きましたか?」
「驚きました。ふふ」
「さ、ゴールはこっちですよ、足元気をつけて。おつかれさまでしたー。先生もどうぞ」
教室のドアが開き、廊下に出るとアホの億泰が「あ、終わりましたァ?どうでした?」とのんきにジャンプを閉じた。その襟首をつかみ締め上げた岸辺露伴に億泰は本物の鬼を見た。

「もっと本気で来いよ!!」



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