夜明けがきた。
そこにいた誰もが驚き、時計を見た。

深夜0時

月にかかっていた雲が左右に裂ける。
陽光ならざる白光が杜王町の天を覆いつくし、ざわつく声すらあげられず皆天頂を見上げた。
しゃん、しゃん、とかすかに金属のうちあう音がする。
静かすぎる耳鳴りかと思ったが、音は徐々に近づいてきた。
雲の裂けた道に泰然とかまえる巨大な満月に黒点が広がる。
はじめはぽつり、ぽつりと満月の真ん中よりやや下に固まって現れたそれは、一向減らず、連なるように増殖を続けた。
黒点の連なりはやがて下向きの弧となって月の端を結ぶ。

月が嗤う

それが天の羽衣をひいた天女と護衛の大軍勢であると気づいたのは、鋭い槍の切っ先がこちらに向けられていると目にわかるほど近づいてきてからだった。

「康一」

仗助の声が動けないでいた康一を弾いた。
はっと振り返ると、財団の派遣した屈強な軍人達は全員地面に倒れこんでいる。それだけではない。車両のなかにいた科学者も野次馬も犬の散歩をしていた近所の住人もことごとく気を失っている。
スタンドは”杜王町”を眠らせたのだ。
仗助、億泰、康一、由花子、そして承太郎だけがかろうじて立っている。
ともすれば意識を持って行かれそうになる光のなかで、仗助だけは闘争心を失わず大軍勢を睨み据えていた。
「打ち落とせるか」
康一の額から汗が流れた。
こぶしを握り、歯を食いしばる。
「…エコーズアクト3の射程距離は5メートル、あんな大軍にそこまで近づかれたらきっとすべては防ぎきれない」



バンと音がして閉じきったはずの窓と扉が一斉に開いた。
白光が家の中を照らしだす。
気を失うことも眠ることもない、露伴は全員にそう書き、もちろん自分にも書いている。
「なんだ、これ」
の ワンピースがふわりと風をはらんだように膨らんだかと思うと、みるみるうちに裾が伸び、ほの赤く色づきゆき、髪までもがゆるみほどけて身の丈より長く階段に広がった。
は、現れたときと同じ着物姿にかわり、長い裳のうえには夜を川にながしたような髪がたゆたう。
手からはいつのまにか肌を抱く感覚が完全に消え失せて、の体が何かにひっぱられるようにゆっくりと離れていく。
「ヘブンズ・ドアー!」
行かせまいと、開かれるはずのページは白い頬に現れない。
は目に見えない力から逃れようと必死に露伴に手を伸ばすがその手は透きとおり、なにかを叫んだ口に音はなく、露伴の手をすり抜けて壁へと吸い込まれていった。

いっそうまぶしい外へと飛び出し、愕然とした

月の軍勢は庭の、仗助たちの胸の位置まで光り輝くすそ野を降ろしてきていた。
面にナイフで切れ目を入れたみたいな顔をした天女が二人、空へ引かれてきたを受け止めた。

そのうしろの飛ぶ車から、かぐや姫の父親であろう月の王が姿を現し、
「みやつこまろ、もうで来」
と言った。

みやつこまろとは、翁の名である。

露伴は
「うるせえ、じじい」
と言った。

「なんじ、未熟者よ」
「まあね、あいにくまだ21歳なんだよ。熟し切って腐ってハエがたかった柿みたいになってるあんたとは違う」
「わずかばかりの善行を見て、豊かにしてやり」
「へえ!あんたがぼくに原稿料と印税をくれたのかい?そいつは初耳だなァ!ということは君、集英社の社員だったのか?そうでなければぼくのマンガを大量に買ったファンなのかい?サインしてやろうか?ん?」
「かぐや姫をつかわしてやったが」
「バカを言え、さっきから黙ってきいてりゃ何を偉そうに。そいつのせいでどれだけこっちが迷惑したと思ってるんだ。そっちの謝罪が先だろうが。高いところがどうしようもなく好きなところ申し訳ないが、今すぐここにひれ伏してぼくの靴を舐めろよ!」

その後も王は物語のとおりにとうとうとしゃべり続けたが、相手が機械音声のように決まったことしか言わないのをいいことに岸辺露伴は超高圧式の罵詈雑言を浴びせかけた。しかしあるとき、仗助たちをキっとにらみ

「君たち、なにをボサっとしているんだよ。を取り返すんだろ、さっさとやれ!」

声と怒る目に尻っぺたを叩かれて、呆気にとられていた仗助たちが応と強く目を見開いた。
「エコーズ!こいつらを全員地面に引きずり落とせ!」
「了解、S・H・I・T!」
由花子の髪が空を覆うほど膨れ上がり「ちょっと痛いけど我慢なさいね」と食虫植物のごとく天の武官へ襲い掛かった。
「エンヤコーラ、ドッコイセ!エンヤコーラ、さん、ちょっと待っててね!エンヤコーラショ!」地引網の要領で億泰のザ・ハンドがとの距離を削り取って行く。

少しも動かないかぐや姫の足元へ承太郎がしずかに近づいた。
「あの宿題だが」
虚空を見つめていたの睫がほんのわずか動いたのを承太郎のスター・プラチナは見逃さなかった。
「間違いまくっていたぜ。イタリア語が混じっていた。丸つけをしてさっき屋根裏に置いておいたから見直せ」
長い袂から出た指先がひくりと、動いた。

「いざ、かぐや姫よ。不浄なる場所になにゆえこれ以上とどまる理由があろうか」
迫りくる月を負う王の言葉が響き渡るや、は再びでなくなった。

アクト3でも天に並ぶ大軍勢はびくともせず、突き刺す髪はむなしく宙を切り、億泰がどれだけ空間を削っても、が近づくことはなかった。
かぐや姫は露伴のほうを向き、ふわふわと露伴のすぐそばへ降りてきた。すかさずつかもうとした手は夜をつかむ。二度三度、四度五度六度、何度つかもうとしてもつかめない。
「ヘブンズ・ドアー!」
叫び、焦り、岸辺露伴が髪を振り乱す。
かぐや姫はたいそう美しい声で
さめざめ泣いて
別れを惜しんだ。

あまりに惜しくて「うるさい」月の都へ戻る車からこぼれ「黙れよ」落ちたい思いです、と。

「うるさい黙れを返せ!」

叫んだ露伴が影に入った。
仗助がの手を握っている。
間近で見る露伴すら見間違えたが、仗助はの手がある場所を手の形に優しく包んでいるだけだった。

さんのって物壊したりしないから、おれのスタンド、役立たないや」
「帝」
「仗助です」

言葉は返らない。

さん、明日ヒマですか」

この期に及んで何を言い出す。
何もかもを白けさせる光の中で仗助だけが、歯を見せて笑った。
背後から迫った天女のひとりが、かぐや姫の手に小さな壺を持たせた。
「あした学校終わったらみんなでまたマリカーやりませんか」
その手から不死の薬がはいった壺が転げ落ちた。
露伴だけが柔らかいと知る唇が薄く開く。
言葉は出ないまま、唇がわななくのを仗助も露伴も確かに見た。



「マ、マリオパーティーもあるぞっ!」



露伴はせきを切った。

「この前東京へ行ったときに買っ…もらった」

瞠った瞳はビビりなのに好奇心ばかり強い。
もう数行で終わるのに、まりおぱーてぃーとはなんですか、なんて楽しそうな響きでしょう

の背に再び天女が迫り、光り輝く羽衣を着せかけようとした。

「待ってください」

凛とした声に、が戻ったのかと思ったがこれは竹取物語の言葉だ。

「いいえ、かぐや姫」
「羽衣が肩にかかれば、人の心を忘れ、おまえたちのようになると知っています。そうなるまえに、わたくしは伝えなくてはなりません」
「もう時間がありません」

「さがれ」

天女の手が機械仕掛けに止まる。

「この世に生まれいでし折よりこの身を救い、教え、遊び、笑い、守りたもうたのは誰あろうあの方たちです。意志無き物語の者ども、心を得なさい」

精一杯に胸を張り、みなぎる涙をおおきく吸い込んだ御息でおしとどめ、袂から取り出した一葉をは空へ置いた。
手紙である。
物語によれば、慕わしい帝へのラブレターだ。
手紙を宙に手放したその背に天女はすばやく羽衣を着せかけた。
たちまちに、の指先から頬から瞳から心をかたどっていた色が消え落ちた。
杜王町での思い出をすっかり忘れ去り、月の軍勢を伴って、かぐや姫は月へとかえって行く。

億泰と由花子と康一は猛然と駆けてくる。
承太郎は目を細めて見上げている。
仗助は叫び声をあげ、岸辺露伴は届かない距離へ手を伸ばす。

杜王町は真白い閃光に包まれた。






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