今夜のパーティーがあるのは旧ランカッチョ宮殿だ。
放課後、学校から人目につかずに移動できる裏道だといってミスタが勧めてきた路地は、違法駐車とお祭りの万国旗みたいにどこまでも連なる洗濯物に阻まれて、なかなかまっすぐに進めなかった。
ミスタはいらだってやみくもにクラクションを鳴らすが、道端に停めてある車の持ち主たちが出てくる様子はない。
「もういいですよ、ミスタ。ここまで来たら歩いて行った方が早い」
もはやミスタは意地でも車で行ってやろうと躍起になっている。ジョルノがため息して窓の外を見ると、顔見知りの老婆が寄ってきてコン、ココンと車の窓をたたいた。ただのうすぼけた老婆に見えるが、このあたりでも有数の情報屋のひとりだ。よくキャンディーもくれる。
「チャオ、どうしました」
「例の運転手がまたやっているよ。キャンディーどうだい」
「ありがとう」
「例の」とは、観光客の若い女を誘拐しては強姦し、そのあとに身代金を要求するタクシー運転手のことだ。金を得た後には人質を人身売買マフィアに売り渡す、常習犯であった。
ジョルノは車を降りてあたりを少し探すことにした。
「おいジョルノ、遅れるぜ!」
窓から顔を出してミスタが呼んだが、マフィアのボスにおべっかを使うためだけに催される豪勢なパーティーだ。いっそ遅れたかった。



ここまでの心の動きと気まぐれと出来事がすべてこの女のはかりごとだったとは到底思えないが、スタンドが見える以上、警戒は解かずにジョルノは助けた女を黒塗りの車に押し込んだ。



旧ランカッチョ宮殿はジョルノの寮から車で1時間30分ほどの場所に位置し、付近には石造りの歴史的建造物も多く残されている。
かつては栄華を極めた宮殿もとうの昔に高貴なる持ち主に売り払われ、いまはイベント業者のいちレンタル物件になっていた。しかし内装はかつての栄光そのままで、映画の撮影から金持ち学校の卒業パーティー、マフィアのディナーパーティーまで、その用途は幅広い。
まもなく日没を迎える宮殿にはもう灯りがともっている。
「こんばんは」
入口のガードに優雅に挨拶し、引き締まった上半身を外気にさらしたジョルノ・ジョバァーナが堂々と宮殿へ続く石の階段を上っていく。そのあとに、ジョルノ・ジョバァーナの制服の上だけを纏った東洋人の美女が裾を気にしながら続いた。
ガードはドレスコードを問う役目もあるのだが、相手が主賓のパッショーネのボスであるだけに、引き留めて咎めるなんてことはできなかった。
「よぉ、元気?」
後ろから気さくな声がかかり、ガードの肩に男の腕がまわった。ガードがびっくりして顔を向けると、肩の横からグイード・ミスタが顔を出していた。
彼は最近姿を現したドン・パッショーネの最側近だ。顔は知ってはいたが、もちろん一度だって話したことはない。
ガードの肩にかかっているミスタの手では小さな拳銃が揺れていた。
ガードは悟った。いまオレはなにか見てはいけないものを見てしまったのだ。
ママ、助けて!
「あ、あが…っ」
小鹿のように震えるガードに、ミスタはにいっと笑って見せると身をかがめた。肩にミスタの腕がかかったままなのでガードも同じ位置までしゃがみ込む。ミスタが階段の上を見上げ、つられてガードも同じ方向を見上げて、思わず明るい声をあげた。
「おぉ…!」
ジョルノの制服の裾は女体を覆いきるには足りず、きわどく短く、階段の下からだとちょうどよい具合だったのである。
下からの視線に気づいた女が制服の裾を下へ引いたのと同時かそれより一瞬早く、「ゴールド・エクスペリエンス・かかとおとし」がミスタとガードを石階段にめり込ませた。



主賓の控室に入ると、と名乗った女の左右の親指を結束バンドでひとまとめに縛り、足の指も同じように固定し、ビロード張りの猫足椅子に座らせた。
はジョルノに何か言おうと口を開いたが、くるりと背を向け制服の下を脱ぎはじめたので顔をそむけた。そむけた先にはミスタの視線があった。
はジョルノに言おうとしていた言葉をとつとつとミスタに告げた。
「…行く、できないです。ともだち、ネアポリス・エアポート」
このたどたどしいイタリア語は、車に乗せてここに連れてくるまでにもう10回以上聞いている。
「だってよ、ジョルノ」
「…」
またこれだよ。
ミスタは肩をすくめた。
自分が助けて拾ってきてこんなところまで連れてきたというのに、それから、日本語はわかるはずなのに、日本語は一切使ってやらないうえにずっと無視を続けている。そのうえ、おボス様のお言いつけでミスタの銃口はずっと女の心臓に向けられている。
かわいい女の子はたいてい「好みのタイプ」のミスタには、ここまでする必要があるのかさっぱりわからない。
は浅い息をしながらずっと小さく震えている。
「かわいそうだよ、ミスタ。これじゃ人さらいと一緒だ!」
「こんなひどいこと!イタリア語の語学本持ったシロウトの女の子にやるこっちゃねえぜっ」
「だよなあ」とミスタは右の耳元でわめきたてる声にうなずいた。
「見ろよ、いっぱい練習してる、まじめだよ」
ナンバー6は女の持っていたテキストを開いて、えんぴつで細かく書き込まれたイタリア語を見せてくる。ナンバー5と7もミスタの左耳の近くでずっとデモ活動をしている。2はかわいい女の子の顔を穴が開くほど見つめてよだれをたらしている。
「はしたねえな、よせったら」
「えー!?ミスタだって見ちゃうだろ」
「そりゃあ、まあ…」
ミスタは顔は動かさずに視線だけをの顔からその少し下へずらした。
ミスタは、ジョルノの制服の胸元がハートの形に開いている構造になっているのはこの日のためだったと感謝した。
すぐに気づかれ、やわらかそうな谷間が隠される。
「あ!ミスタがあからさまに見るから!」
「ミスタのばかやろー!」
「バッ!見てねえよ。見張ってんだ」
「えー?」
そうぞうしく動き回るピストルズをハエをはらうように手ではたくと、わっと散ってはちょこまか動くピストルズの姿を確かに目で追った。ピストルズが近づけば緊張して少し体を遠ざけたりしている。
―――やはり見えている。
だからミスタも銃口をおろすわけにはいかないのだが、やはりジョルノがなんでこんなに怒ってるんだか、腑に落ちない。
「あれ?なんだこれ」
「なに持ってんだ」
ナンバー6が広げていた小さな紙を取り上げる。イタリア語の教本の中に挟まっていたらしい。
「“はじめまして、私は、といいま、す”。…、おいジョルノ、おまえにラブレター入ってるぜ」
黒いスラックスにパリッとしたシャツを羽織り、下からボタンをとめつつジョルノが猫足の椅子に寄って来た。
受け取るとジョルノは一度の表情を確かめてから紙に目を落とす。見られてまずいという様子はない。
イタリア語で書かれた短い手紙の文字の上にはそれぞれひらがなで発音のルビが振ってあった。
手紙ではなく、セリフを書いた原稿だったのかもしれない。

はじめまして、私は、といいます。
康一様からジョルノ様の話が聞いて日本から来ました。
私が人間ではありません。
人間になるしたいお願いします。どうか、お願いします。

「人間じゃねえってえ?どれどれ」
ミスタが指をもぞもぞ揺らしながらの胸に手を伸ばすと「ゴールド・エクスペリエンス・チョップ」が脳天に落ちた。
床に突っ伏したミスタを避けて、ジョルノが女の前に膝をつく。
真正面から目を合わすと先に女の唇が小さくわなないた。
「っともだち、ネアポリス」
「黙って」
「…ぅ」
ジョルノはの耳の下に指を這わせ、首全体を包むように手のひらをあてた。
全身に緊張が走り、脈がはやくなったのは間近にいるジョルノのシャツの胸元が大きく開いているからではないだろう。
「どうして震えているんです」
言葉は伝わらない。
「“殺される”と思うからじゃあないですか。ぼくのスタンドは命なきものに生命を与えて作り変えることができます。あなたはそれを知っていてぼくに近づいた。けれど、殺されると思ってこうして震えるのはあなたがもう生きている証拠だ。では、あなたはぼくらを混乱させようとそんな出来の悪い嘘をついているのか。そうとも思えませんが、スタンドは見えている。あなたの本当の狙いがわかるまで仲間と合流させるわけにはいかない」
異国の言葉でまくしたてられ、厳しい視線を向けられて、はそれきり下手なイタリア語のひとつもつむげなくなってうつむいた。
しかし、それきり黙ったのはジョルノも一緒だった。パッと首から手をはなし、ばつが悪そうに目をそらしたのも一緒だ。
頬杖ついたミスタが二人を交互に見て、やっぱジョルノの様子がへんだなあと思った時、不意に部屋の備え付け電話が鳴った。
「…ミスタ、出てください」
「へいへい、ボスの仰せのままに」
「その言い方やめてくださいって言っているでしょう」
一応の心臓に銃口を向けたまま受話器をあげる。ピストルズが全員で銃口を別の方向へ向けさせようとしているが一応そのままにする、一応。
「だれだぁテメー……あ?スピードワゴン財団?」
ジョルノが振り返った。
SPW財団といえば世界の表社会にも裏社会にも深く根を張る奇妙な組織である。
かの財団はスタンドの存在を認識しており、そのような超常の現象を調査する部門に対し、ジョルノが生まれる前から秘密裏に膨大な額の投資をしていることはすでに把握していた。いつかは一戦交えるか、手を組むことがあるだろうと考えていた組織からの初めてのコンタクトであった。
「…切れちまった」
用件だけ告げて一方的に切られた受話器をつまんで揺らす。
「彼らはなんて」
「その子、殺すなって」



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