高い天井にはシャンデリアが輝き、円を描くように配置された白いテーブルには豪勢な料理がずらりとならぶ。
敷き詰められたえんじ色の絨毯のうえでは、シャンパングラスを片手に黒いタキシードを着た男たちと色とりどりのイブニングドレスをまとった華やかな女たちが談笑している。
主催の太った老人の短いスピーチのあと、主賓であるパッショーネのボスが紹介され、拍手が送られた。
ジョルノは軽くグラスを掲げて見せる。
「しっかり立ってください」
拍手を受けながら誰にも聞こえない声で、横でオフホワイトのドレスに身を包むにそう言った。髪はローマの休日の舞踏会のアン王女をイメージしてジョルノが結った。イタリア語は聞き取れなかったようだが日本語で言い直してやるような親切はしない。それでもジョルノの厳しい雰囲気で察したらしくの体に力が入る。
会場のレンタル業者から急きょドレスと靴を借り、ジョルノは「連れ」としてをディナーパーティーの中まで連れてきていた。

仕立てのいい黒ジャケットを着せられたミスタは、扉近くの壁際に立って遠目に二人の様子を眺めていた。
ミスタがこぼした短いため息を耳ざとく拾い、ナンバー6がいう。
「信頼できるお仲間の不足は深刻だな、ミスタ」
「言っても仕方ねえだろ、SPW財団にマークされてる女だぜ?あそこにひとりで置いといて仲間と合流されてもアレだし、かといってオレがあの子に付いてジョルノ放っとくのも変な話だしよ」
「ジョルノは一人でも大丈夫だろ」
ナンバー1がいうとミスタは肩をすくめた。
「ああ、いつものあいつならな」
「それってどうゆーこと?」
「あーもううるせえ。このパーティーだってパッショーネのボス暗殺計画の噂は立ってんだ。おまえらもいつでも行けるように気ィ張ってろよ」

ミスタは単純だが時折動物的な勘のきく男だとジョルノは思っていた。
ジョルノのわずかな変化に、理由はわからずとも気付くのだから。
腕を組んで歩き、ひっきりなしに挨拶してくる太ったはげ頭に挨拶を返す。それだけでいいのに状況を飲み込めないの表情はこわばっている。
「…あなたはにこにこ笑っていればいい」
あやしいとはいえ敵意をこれっぽっちも感じないのに、どうしていちいち彼女の理解できない言語で話すのか、ジョルノは自分自身に腹を立てていた。認めたくはなかったが苛立ちの理由もわかっていた。
―――このひとの肌の色と長い髪がいやおうもなく母さんに重なる
暗がりの部屋の中、食べるものがなくて、お腹がすいて、ようやく見つけた外国のビスケットの袋はひらかなかった。手ではだめで、歯で開こうとしてできず、よだれで濡れたビスケットの袋をにぎって床に座り、ただただ震えていた。震えも枯れた頃ドレッサーの上にあった眉バサミに手が届いた。封を開くと、それまで強く握りすぎたビスケットは中で粉々になっていて、床にぱっと散らばった。
床を汚すとお母さんに怒られる。
指を口に入れて湿らし、おちた破片をひとつずつ指につけて舐めとった。
もう母を憎んではいないと思っていたのに、あの暗がりの記憶はまだ自分をさいなむのだとジョルノは久しく知った。
自らの中ではじまり、完結するわだかまりだ。
そこから生み出される苛立ちと焦燥を母の面影を重ねた無関係の女性にぶつけている。
今もなお幼い脳みそに反吐が出た。
「やあ、やあ、ドン・パッショーネ!よく来てくださいました」
大仰に手を広げてハグを求めた恰幅のいい老人は、このパーティーの主催者だ。この春以来パッショーネが非道の事業から手を引きはじめたのを好機と見て、メキシカン・マフィアと組んで人身売買と麻薬で二か月と少し前から急激に「仕事」を拡大している
「こんばんは、ドン・オッティリーオ・クネオ。お招きいただき感謝します」
ジョルノは先月からひそかにクネオ・ファミリーの包囲網を狭めつつある。
この盛大なパーティーは包囲を緩和させるための“おべんちゃら”、そうでなければジョルノの暗殺狙いのパーティーだ。
ドン・クネオは脂ぎった顔の汗を拭きふき、に目をやった。足元から頭のてっぺんまでを、すみやかに値踏みする。
「おや、そちらは?たいへんに美しいお嬢さんだ」
「彼女は今夜の恋人です。…ごあいさつを」
ジョルノに肘を揺らされると
「はじめまして」
とたどたどしいイタリア語で言い、ぎこちない笑顔を作った。
「さすがドン・パッショーネともなると選べる幅も、受け止める懐も広いとみえますな。しかしぜひ、ぜひ!今度一度私どもの見本市にも足を運んでみていただきたい。もう少し足が長くて、頭のいいのを取り揃えていますよ。もちろんこういう、痴れたほうがお好みならそちらもたっぷりと」
背の低い日本人の身の丈に合うドレスは見つからず、のドレスの裾はほとんど引き摺っている状態だった。クネオは侮辱の言葉も明るい調子のまま言ったからは意味に気が付かずにまだ笑顔を張り付けている。
「…すこし失礼します。お腹がすいてしまって」
「はは!どうぞどうぞ、ドン・パッショーネは若くていらっしゃるから!毒なんて入っていませんよ」
ジョルノの方がどうにも辛抱できず、老獪との挨拶を早々に切り上げた。
「むこうへ行きましょう」
一度冷静になろうと人のまばらな窓際へ素早く歩いていこうとするが、身長を少しでも押し上げるために履かせたヒールの高い靴に苦戦しては時々つまずきながらついてくる。引き摺る裾もたびたび踏む。かといって冷たいジョルノの服にしがみつくわけにもいかず、額に汗をかいている。
「…」
ジョルノはテーブルの直前で不意に立ち止まり、視線を足元へ向けた。豪勢な料理ではない。さらにその下を示している。
はその意味がわからずにジョルノをじっと見ていたが、ジョルノが片方のかかとをあげるしぐさをすると思いあたった。
「そう」
ジョルノは短く、誰にも聞こえないように言った。相槌ならばイタリア語も日本語も関係ない。
が半歩後ろに下がるとスカートの中から華奢なハイヒールだけが床の上に現れた。それをジョルノはテーブルの上のクラッカーを食べるふりをしながら、長く垂れるテーブルクロスの奥に足で押し込んだ。
「ぐらっつぇ」
まだ緊張ののこる笑顔を向けられると、ジョルノは首を横に振って彼女の前では初めてわずかなりとも唇の端を上げて見せた。なんとなく、その表情をまじまじ見られたくなくて、手近にあった大きなサラミとパンを口に放り込む。いけ好かないパーティーだが料理は美味い。
「よろしければ、あなたもどうですか。昼から何も食べないでお腹がすいたでしょう」
色とりどりのサンドイッチの載ったプレートを引き寄せてやると、今度はがすまなそうに首を横に振った。
手に持たされていたシャンパングラスを静かにテーブルの上に置く。
「私は、人間ではありません」
練習してきたらしいイタリア語で言うと、そこからは日本語だった。
「ですから食事はできないのです。わたくしはあなた様に人間にしていただきたくてここに参りました。けれど、それよりも今は、イタリアまで一緒に来てくれた友人たちに無事を報せたいのです。きっと心配しています。人一倍お腹がすく年頃なのにごはんも食べずに走り回っているかもしれない」
返事をしないジョルノを見、は自嘲するように微笑んだ。
「もっとイタリア語を練習すればよかった」
この素直さに毒を抜かれる思いがして、ジョルノは観念してもう日本語で話すことにした。親子の会話は少なかったが寮に入るまで家の中ではいつも日本語だったのだ。
「すみません、ぼくは」
突然カッと世界が光り、ジョルノは爆発の勢いで吹っ飛ばされた。

目を開けると旧ランカッチョ宮殿の窓という窓が割れ、天井で煌々と輝いていたシャンデリアは床にぶつかってことごとく砕け散っていた。
月明りをたよりにあたりを見渡すとテーブルと人間はひっくりかえり、扉付近ではけたたましい音をたてて銃撃戦が始まっている。
「くっ…」
ジョルノは自分の上に乗っていたテーブルを押しのけるとすぐさま白いドレスを探した。
!どこですか!」
叫び、床に広がるオフホワイトを見つけて駆け寄った。
ローマの休日のように結い上げた髪はすっかりほどけてしまっていたが、抱き起すとその拍子には目を覚まし、ジョルノはほっと胸をなでおろす。
「見せてください、いま傷を治します」
デコルテの大きく開いたドレスだ。露出した肌に細かな破片で切られた小さな傷がいくつもできていた。血など見慣れているはずなのにぞっと全身が粟だった。
「痛くしませんから、心配しないで。少しも。」
「ジョルノ様、言葉が」
「その話はあとです」
触れた肌から電流をうけたようにジョルノは思わず手をはなした
いま治そうとしたものはジョルノの“知らないもの”だった。
ジョルノより数秒遅れて動きだした人々が、あちこちで悲鳴をあげ始めた。
銃声と悲鳴が入り混じるなか、外に逃れようと割れた窓に人々が殺到する。
流れ弾と半狂乱の波にのまれぬよう、ジョルノは丸テーブルとシャンデリアを一本の木立に作り変えると、をその後ろに置いた。
「ここにいてください。絶対に動かずに」
全員死にかねない規模の爆発物を用いたということは、犯人はクネオ・ファミリーではないだろう。パッショーネとクネオの結びつきを善しとしないファミリーか、あるいはパッショーネだ。味方は少なく敵は多い。
銃声の合間に怪我をして逃げ遅れた人間の低いうめき声が響くなか、ジョルノは立ち上がりまさに銃弾が飛び交う方へと歩き出した。ミスタもそこにいるだろう。
「助けてぐれえ!」
うめき声のなかにはついさっき聞いた覚えのある声もあったが、ジョルノの足はよどみなく動く。
「待ってくれ!か、か金ならだず!!待ってくれぇ!本当だ!わ、わじはドン・クネオだぞっ!!」
自分を狙いに来たかもしれない襲撃のただなかでそんなことを叫ぶのは自殺行為に違いない。案の定その声に気づいていくつかの銃口がドン・クネオの声の方角へ向いた。
ドン・パッショーネを引き留めようと、人間の言葉ではないなにごとかを絶叫していたが、ジョルノは意にも介さず通り過ぎる。その視界の端にオフホワイトの影が跳び込んだ。
息をのむより早く体が動いた。
ドン・クネオに覆いかぶさったの前には、突如若木が大地を裂いて立ち上がり連なって、幅1メートルほどの壁を成した。
ジョルノはその木の壁の後ろに滑り込んだ。
「何をしているんですか!」
の肩をきつく掴んで揺するとはただただ驚いて目を見張る。
「この方が、怪我を、して…」
「なにを言って」
かつて目覚まし時計から身を挺して岸辺露伴を守った愚かさが、まさかマフィア同士の抗争のただなかで再び発揮されるとは、あの時よく注意しなかった露伴の咎である。
「ヒ!ヒィイ!!だすけでぐれぇえ」
近くの床に銃弾が撃ち込まれると、クネオは禿げ上がった頭をの腹にこすりつけた。
ジョルノはドン・クネオの頭をかすめつつ絨毯にこぶしを打ちつけた。たちまち、えんじ色の絨毯は無数の蟻に姿を変え、うずくまってぶるぶる震えていたクネオをその形のまま外へと運び出していった。運ぶ時に2,3発当たってもあの脂肪ならなんとかなるだろう。
それよりも、目の前のを引き寄せて、いまの銃弾があたっていないことを確かめ2度目、安心した。
安心するとどうでもいいことが口をついて出た。
「…あの人は、あなたの悪口を言っていたんですよ」
はしばらくほうけた顔をしていたが理解すると、震えでうまくあがらない口角をいびつに持ち上げて笑った。
「よかった」
「どこがですか」
若木の盾はマシンガンの集中砲火を受けてだんだんと削られていく。
「わからなかったから、早く走ることができました」

にジャケットをかけ、ゆっくりと立ち上がったジョルノ・ジョバァーナの背にはっきりとゴールド・エクスペリエンス・レクイエムが絡みついている。
彼が一歩踏み出すと、旧ランカッチョ宮殿の床から樹齢数百年はあろうという大樹がそそり立ち、天井までを一息に貫いた。これに、さらに床を裂いて現れた別の木の幹が絡みつき、樹齢千年の巨大な幹となった。大樹の壁はを中心に円の軌跡をかいて次々生まれ絡み合い隙間なく並ぶ。やがて完全にを円の内部に閉じ込めた。
完全に閉じ込められる寸前にはジョルノの声を聞いた。
「少しだけ、待っていてください」
砂埃と硝煙で満たされた場所で発せられたとは思えない、さわやかな声音だった。



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