時はチーム龍虎とチームサウスアメリカ戦の前日、大会初日――

アリーナステージを囲む大歓声が青空をたかくに突き上げていた。
ザ・キング・オブ・ファイターズの開幕を飾る第1試合には、絢爛なるチーム女性格闘家チームが登場した。
魅惑のくノ一・不知火舞を先頭に、凄腕の女エージェント、ブルーマリー、蹴撃の麗人キングがアリーナ中央に姿を現すと、会場は割れんばかりの歓声に包まれた。
対戦相手はチーム悪人。
伝説の犯罪者・地底王ザナドゥをリーダーとし、元切り裂き魔のチョイ・ホンゲと元器物破損常習犯チャン・コーハンを擁す。女性格闘家チームに相対しては見事なまでのヒールの構図だ。これがランダムで決まった初戦の対戦カードとはとても思えない、盛り上がりは必至の好カードであった。むろん、操作されている。

「魅せてあげる!不知火流忍法のすごさを!」

先鋒としてリングに跳び上がったのは妖艶ないでたちの不知火舞だ。舞のまえ身ごろがひとたびリングでひらめけば、カメラ小僧のシャッターはもう止まらない。不動の人気を博すファイターである。
これに対するは長い鉤爪を付けた、丸サングラスのチョイ・ホンゲ。
人気の差は歴然と思われたが、小柄なチョイが闘いの舞台にあがると、怒号がごとき野太い声援が一斉に浴びせかけられた。
予想もしなかった人気ぶりにチョイ自身も落ち着かない様子で観客席を見回す。
「行っけぇええチョイ・ホンゲ!胸元を切ってくれぇええ!」
「尻だ!尻の布をたのむぞー!!」
切り刻まれる前からギリギリの不知火舞の装束を、どこまで刻んでくれるのか、歓声はチョイへの期待の表れだった。



下品な応援が、リョウには気にかかっていた。
チーム龍虎はあす行われる第3試合に決まり、今日は観客席の最前列にある特別観覧席にいた。この観覧席の両サイドには囲いがあり、陽ざしを避ける屋根までついて、さらには関係者用のバックヤードに直結している。
「お二方ともとても人気があるのですね」
上品なキャメルのスカートのうえに大会パンフレットをひろげ、両ファイターに熱心に拍手を送っていたがリョウを見上げた。
「そのようですね」
歓声が大きすぎて下品な声がかき消されていて助かった。
を大会に誘ったのはリョウだった。
KOF出場者には何枚かチケットが配られる。
近場の水族館デートと違ってKOFは飛行機での移動が必要になるうえ、大会はおよそ二週間に渡って行われる。体を鍛えたいという目標があるからといってKOFに興味があるとは限らないし、血なまぐさい戦いだってある。リョウは三日三晩迷ったが、リョウの心配をよそにチケットを受け取るとは大いに喜んだ。
その喜びようが社交辞令ではなかったことは、チケットと一緒に渡したパンフレットに、今やたくさん付箋が張られているのを見て分かった。特に同じ女性でありながらKOFの舞台にあがる女性格闘家チームには強い関心があるようだった。
誘ってよかった。
「オペラグラスを用意したのですが、こんなに近くで見られるなんて。すばらしい機会をありがとうございます」
頬を上気させるにリョウは苦笑を返した。
特別観覧席をあらためて見回し、思う。
渡したチケットはバックパスにもなる特別なチケットではあったが、こんなVIP席ではなかったはずだ。椅子はほかの観客席のプラスチック製のものとは明らかに違う、ビロード張りのふかふかの椅子だ。
さては姫君の移動にプライベートジェットを飛ばしたロバートの仕業か、あるいは、
「いま一人暮らししてるって本当?どのあたりだい?大会が終わったら遊びに行くよ。めずらしいシャンパンが手に入ったんだ」
あるいは、の横に堂々と座って足を組む、二階堂紅丸の仕業であろう。
聞けば、二人は幼等部からの同級生だというから驚いた。パンフレットに紅丸の写真があるのを見て、から連絡したらしい。
旧交を深めているならば間に割って入るのは野暮というもの。
だが、
「紅丸はあの方たちとも戦ったことがあるの」
「え?なに。聞こえない」
「紅丸は、あの方とも、」
距離が近い!
「ああそうだ。再会の記念に写真を撮ろう。さあ、こっちに寄って?」
「おい、紅丸。ちょっと待て」
「なんだよ。ああ、との写真がNGってこと?」
「いや、そこまでは言っていないが」
「確かにそうだ。とこの俺様のツーショットが撮られたらまずい」
「うん?」
「両家がくっつくなんて噂が立ったらうちのグループに対する公正取引委員会の眼が厳しくなる。リョウにしてはよく気がついたな」
「公正取引委員会?」
「だが、この俺様を誰だと思っているんだ?抜かりはない。この席を撮ろうとしている連中を見つけたら観客席に配備した二階堂家野鳥の会が超高出力不可視光線を照射するように指示してある。カメラにはまぶしい光だけ、ほかには何も映らないさ」
怪訝な顔でリョウは観客席に目をこらしてみたが、人が多すぎてよくわからない。
「まあ俺のカメラはこっち向きだから普通に映るんだけどね。ほら、、スマイル」



「熱ィ」
アジトのモニタ室でK'は端的に不満を口にした。
室内には弧をかくように十数個のモニタが並び、画面にはKOF会場に設置された各テレビカメラの映像が映し出されている。
「ったく、あいつらなにやってんだ。ただでさえファイターが客席にいたら目立つのに、お忍びのお姫様に注目を集めるような真似をするんじゃない。忙しい」
床に座り込んでいるマキシマの腕には複数本のケーブルが接続されていた。巨体はぴくりとも動かないが、ぶつぶつ文句を言って、背部と脚部の排熱機関からは熱風が絶えず噴き出している。内部の集積回路が忙しく仕事をしている証拠だった。
「相棒、冷房強めてくれるか」
「もうこれ以上下げらんねえよ。それ、ほかのところでやれねえのか。水ん中とか」
「すまんな。大容量通信となるとなかなかな。金を稼ぐってのは大変なんだよ」
「はあ」
K'は道端でつかまされたKOF特製うちわであおぎだした。
マキシマが忙しいのは、大会のテレビカメラ映像やネットにアップロードされる画像データをリアルタイムで書き変えているからだ。唯一、このモニタ室では書き変え前の映像が流されている。
「で、あの女はなんなんだよ」
「なんだぁ?好みのタイプか」
「ちげえ」
「ニュースでちょっとくらい見たことあるだろ。まあ、最近メディア露出はしてないみたいだが」
「知らねえ」
「王女様だよ。その高貴なる御姿を決して市井のカメラに撮らせるな、ってご依頼でな。しかも二か所から同時に」
依頼元のひとつはガルシア財閥だった。もうひとつはマキシマの調査能力をもってしてもトレースできないよう厳重に隠匿されていたが、おおかたの察しはついていた。王女様のご生家だ。
マキシマは他所からも依頼を受けたことは黙って両方から前金を頂戴している。
「わりのいい仕事だと思ったんだがなあ。ああ、また、紅丸め。目立つようなことをするなよ、改ざんが追いつかなくなるぞ」
独り言を言い始めたマキシマから画面へ視線を戻した。
じっと見つめ、記憶のない頭の中にこの顔を見た記憶があるか探しに行く。
探しに行ったきりになり、じっと見つめたきりになった。






KOF初戦はチーム女性格闘家が勝利をおさめ、大会二日目――

チーム龍虎 対 チームサウスアメリカの先鋒戦は序盤、相手の「ブラジリアン忍術」なる素早い動きから繰り出される鋭い攻撃をいなしきれず、リョウが何発か食らう場面があった。「忍法カマイタチ」は武器を使ったとは見えないが、リョウの腕や頬を切り裂き、血が滴っている。
「はー、もー、なにやってんのお兄ちゃん!」
ユリはふがいない兄の姿に地団駄を踏む足が止まらない。相手の速さ、攻撃のキレには一目置くものがあったが、それでも総合的に見ればリョウの実力が上回っていることはユリの目にも明らかだったからだ。
さんが見てるからかなあ?」
序盤の乱れをユリはそう分析した。
その横でロバート・ガルシアは口をつぐんでいた。変な汗が額を伝う。
自分が試合前に「紅丸にお姫様をとられる」だの「猫カフェデートがなんぼのもんじゃい」だの言ったから、動揺させてしまったのではあるまいか。これで万が一リョウが負け、その後リョウとが顔をあわせる瞬間を想像すると、ロバートは信じてもない神に許しを請うた。
その祈りが届いたのか
「お、ほら、見てみいユリちゃん。いなし方がだんだんいつものリョウに戻って来とるで」
「遅い!」
「厳しいなユリちゃんは。…よっしゃ!キッツいの入ったでえ。な、ほら許してやろうや」
「むう」
「ほらほら!ラッシュ行った!おーぅし、K.O.や!な?な?よかったわ。ほんまに…」
「よくないよー!カッコ悪い!」
あの性格の男だ。らしくない試合をしたことは本人が一番理解しているだろう。
案の定、勝利したというのに難しい顔をして戻って来た。
ユリが怒りのこぶしを振り上げる。
「もー!お兄ちゃん!」
「ほらユリちゃん、すぐ中堅戦やで。きばりや」
文句の十個でも言いそうだったユリの背を追い立ててリングに押し出す。
「よぉーし、任せて。このユリっちがお兄ちゃんのかわりに極限流のすごさを見せつけてやるんだから!」

入れ違いに戻って来たリョウに「おつかれ」と声をかける。
「ああ」
それ以上語らずリョウはリングに向き直った。
頬と唇の端には出血を乱暴にぬぐった後が残っている。二の腕を長く横切る傷口はまだぱっくりと開いていて、鮮血を滴らせるその奥には肉色がのぞいていた
ロバートは聞かれないようため息をつき、観客席の最前列に視線を移したところで「おや」と瞬きした。
屋根付きの特別席には草薙京だけが立っていた。
の姿も紅丸たちの姿もなくなっている。
まさか、あまりのふがいない試合にあきれて帰ってしまったのではあるまいか。
いや、の性格からしてそれはあるまい。ボンボンのどんな退屈な自慢話にも優雅な微笑でうなずき、最後まで聞いてやるようなできた人なのだ。それでいて退屈なボンボン君にはいくら口説かれても絶妙にかわしきって連絡先を教えないところがいい。ちなみにお話が面白いロバートお兄さんはとっくの昔にプライベートの連絡先をゲットしている。
ロバートが(お姫さん、どこいったんや)の意を込めて京の横を指さすと、京は親指でメインステージの入退場口を示した。
ジェスチャーを終えると、役目は済んだとばかり、地下バックヤードにつながる通路へと消えていった。
詳細は分からなかったが、京は伝言役として残っていたのだろう。
リョウも気がつき、目を見開いてロバートの顔を見たが、事情のわからないロバートには肩をすくめることしかできなかった。
「BURN TO FIGHT!!」
大音声で試合開始のコールが響き渡り、ユリ対ネルソン戦がはじまった。






「お兄ちゃん、ごめーん!」
の声をあげてユリがネルソンに敗れ、試合は大将戦までもつれ込んだ。
チーム怒の棄権により、さきの第2試合が中止になったからこそ、接戦の第3試合に観客は総立ちになっている。
まさか、観客席から姿を消した女の祖国が、チーム怒の母体であるハイデルン傭兵部隊に秘密裏に出資していて、彼らが「スポンサーの王女が出場者と縁故がある」という情報を入手したために急きょ棄権したとは知る由もない。ひとたび当たれば、勝ってもわざと負けてもリスクがあると読んだのである。
「BURN TO FIGHT!!」
ロバートは低く構えた。
「可憐なお嬢さんとは長くお付き合いしたいけど、今日はいろいろあって最初から全力で行かせてもらうわ」
宣言どおり、ロバートは試合開始直後から容赦のない高速の蹴撃でたたみかけた。
対するサリナも蹴り技を得意とするファイターだったが、速さとパワーに圧倒され、ものの数分でチーム龍虎の初戦突破が決まった。

「それではっ、見事勝利をおさめたチーム龍虎にインタビューしてみたいと思います!」
リーダーであるリョウに寄せられたマイクをロバートが奪い取り、明るい声でいう。
「勝利インタビューはうちのかわいいエースにしてくれるか!ユリちゃん、頼んだで!」
「オッケー!任せて!あれ、でも私負けたんだけど、まいっか!」
ぴょんぴょん跳びはねると、取材カメラはユリに殺到していった。
その隙にリョウとともに入退場口に駆け戻る。
待っていたのはでも京でもなく、大門だった。
大門によると、試合を観ていたが貧血を起こし、いまは医務室で休んでいるという。
聞くや否や医務室に向かおうとしたリョウをロバートが引き留めた。
「待ちい。うわっ」
リョウは聞かず、ロバートを引きずりながら猛然と前進する。技のキレには勝るロバートだったが、パワーではこの男にかなわない。と思ったが、すれ違いざまに大門がリョウの足をいとも簡単にすくって加勢してくれた。
素人のようにすっ転んだ男にロバートが組み付き、引っ張りおこす。
「アホ!」
呆然とした顔に言う。
「血ぃ拭いてけ」



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