明け方の雨はからりとあがった。
大会四日目に行われる第6、第7試合は街頭の特設ステージで行われる。
きょうのアリーナは大型ビジョンを使ったライブビューイングだけだが、試合が無いにも関わらずアリーナのまわりには露店がずらりと軒を連ね、あちこちにあるミニステージではひっきりなしにイベントが行われていた。
リョウの誘いを受け、はこの祭りのただなかにやってきていた。
「リョウ様、あれはなんでしょうか」
「行ってみましょう」
は車椅子を押してくれるリョウの顔をこっそりと見上げた。KOFの会場では有名人だから、めずらしく帽子をかぶっている。
帽子の下と目が合ってはなんでもないと笑う。
責任感の強いリョウのことだから、てっきり自分が悪いわけでもないのに落ち込んでいて、下手をしたらもう帰らされるのではないかと思っていたが、起きた当日にデートを申し込まれた。
意外だった。
もしや兄がなにか余計なことを言ったのではないか。
兄同様察しのいい妹は思ったが、
「紐を引っ張るくじ引きみたいですね。すみません、一回お願いします。さ、どれか一本引いて」
今の状況に不満などひとつもなかった。



病み上がり当日はいくらなんでも強引すぎただろうか。
車椅子を押しながらこっそり表情をうかがおうとしたが、目が合ってにっこり微笑まれてしまった。
意識を失って倒れたことについては、医者はもう大事はないといった。しかし、持ち物が壊れたり、ブラウスのボタンが千切れたりするような転び方はよほどのことだ。
どこか痛めていて我慢しているのではなかろうか。
心配はあったが、くじ引きで小さなハスキー犬のぬいぐるみを当て、ジャズのミニライブを鑑賞し、無料配布されていた青い花を貰い、チーム龍虎カラーのKOF特製チャリティーリストバンドを腕にとおして、
「リョウ様、リョウ様。あれはキング・オブ・ダイナソーではありませんか」
目が輝いている。
リョウは背伸びして人だかりの先を確かめた。
「写真撮影会、かな」
子供たちの声が聞こえる中心にひときわ大きな、恐竜のマスクをかぶった男がいた。「グオオオ」とうなり声を上げて繰り返し鋭い爪をたてるポーズをとっている。プロレスファンらしき男性には、Tシャツの腹へのサインにも応じていた。
スポンサーののぼりも誘導もないアスファルトの上でやっているところを見るに、キング・オブ・ダイナソーがボランティアでやっているようだ。
は興奮した様子で大会パンフレットをめくり、ダイナソーの選手紹介ページと本物とを見比べている。
行きたそうである。
ロバート曰く、の兄もそうだが、基本的に彼らは望みを言わないらしい。望めば、まわりがそれを無理にでもかなえようとするからだ。
大人たちの思惑に巻き込まれないための処世術だというが、それならばうちの道場で空手を習いたいと望んだのはとんでもなく稀有な感情の発露だったのではあるまいか。
リョウは手をあげた。
「よう、グリフォン」
「グリフォンではないっ、私はキング・オブ・ダイナソーだ!」
ダイナソーはとっさに威嚇の構えをとったが、帽子の下の見覚えのある顔に「お」と構えを解いた。
車椅子を進めるとはすこし慌てた。
「せっかくですから」
「でも子供たちが」
ダイナソーは前に押し出されてきた車椅子の若い娘を見て、
「子供たち、ちょっと待っていなさい」
とやってきて、車椅子を引き受けた。
がうれしそうに観念し、いそいそとブラウスの前を張ったのを見てリョウがうろたえる。
「いや!そこはっ!写真だけで!」



キング・オブ・ダイナソーと、控えめなダイナソーポーズで写真を撮り、「夢みたい」とはため息ばかりついている。
「よかったですね」
リョウはそっと時計を見た。
体調を考えて念のため車椅子を使い、デートは午前中までと制約をつけたが、大人ぶってもったいないことをしたといまさら思った。楽しい。いや、午後になれば試合の中継が始まって混んでくるだろうから予定どおり午前で引き上げるのが最善だ。
それに、昨日のチーム日本 対 チーム八神のハイライトでも流されたらたまらない。
昨日の試合で紅丸と大門は一般人を巻き込む場所に誘い出されて不利な戦いを強いられ、京に至っては暴走した八神の相手をする羽目になった。結果はチーム日本が勝利したが、全員血みどろの大怪我を負った。
今の彼女に言うべきではないし、報せるなと紅丸からも強く言われている。

「リョウじゃないか」

前方から声がかかった。
人の波の向こう、手を上げるバーテン服の女が見えた。
「なにしてるんだい、こんなところで」
「キングこそ」
「いや、そこで舞が撮影会イベントやっててさ、…」
疲れた顔でやって来て、リョウの目の前まで来てからの姿を見つけた。
キングは一瞬驚いたような表情を見せたが、ごく自然な動作で車椅子のそばに跪いた。
「こんにちは、お嬢さん」
「はじめまして、といいます。試合を拝見しましたわ。しなやかでとても素敵でした、とても」
「観てくれたのかい。どうもありがとう」
キングの声がいつもより優しい。
脚の悪かった弟の姿を重ねているのかもしれない。
「憧れます。もっと練習してあなたのように強くなりたいと。どうか次の試合もがんばってください」
「ふふ、はずかしいことを言う子だね。でもうれしいよ。ところで練習って?どういう関係?」
ここでようやくキングはリョウを見上げた。
キングの視線にリョウは困った。まだキスもしていないどころか、好きだと告げてもない。
かつてリョウの父親のタクマが、リョウとキングをなんとかくっつけて強い跡取りを生ませようと画策していた過去も、発言にあたりなにか考慮すべき点があるのかないのか、リョウを迷わせる。
「その、うちの門下生なんだ」
急にキングの視線が冷たくなった。門下生に手を出しているのか、みそこなった、と幻聴が聞こえた気がして
「いや、そうじゃなくて」
リョウが空中に向かって言い訳していると、
「ねえ」とキングはに顔を寄せた。
「私が教えようか。ムエタイは足技が主体だから難しいかもしれないけど、護身術くらいなら教えられると思うよ」
「コホン。門下生を堂々と引き抜かないでくれるか」
経営するバーの名刺をに手渡し、
「君のことを恋人だって即答できない男に愛想つかしたら、いつでもおいで」
キングは白い頬にキスを落とした。
「なっ!」とリョウがおののき、
「おおお」といつのまにか輪をなしていたギャラリーも湧いた。美しい者同士の美しい光景に一斉にシャッターがきられる。
リョウはまわりの状況にびっくりしての前に出、両手を広げ遮ろうとしたが、これを回線越しに見たマキシマが「こらこら、おまえさんもここじゃ有名人だろうがっ」と忌々しげにつぶやき、アジトの温度を急上昇させる。
マキシマの予想どおり、リョウまで正体がバレてあたりがさらに騒然となったところに、颯爽と現れたのは不知火舞だった。ついでにキング・オブ・ダイナソーまで空から降ってきて、彼らの活躍でリョウはからくも危機を脱したのだった。



関係者用の裏口付近まで来るとようやく誰も追いかけて来なくなった。のもつかの間、後ろでたくさんの悲鳴があがるのを聞いてバッと振り返った。
関係者用の出入り口に若い女性たちが群がっていた。
中に向かって必死に何かを叫んでいる。手に手に掲げるうちわには、紅丸、Bennyの文字があった。
まずい。
そう思った時にはすでに遅く、「Benny死なないで!」と繰り返して泣き叫ぶ女性たちの方をじっと見つめた後、そのまなざしはリョウに向けられた。



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