―――――4年前、謝肉宴
杯を持て さあ卓をたたけ
立ち上がれ 飲めや
歌えや 諸人
飲めや 歌え
みそなはす神のために
飲めや 歌え
「シンドバッド王と南海の恵みに感謝を!!」
夜の中央市が炎の道のように明るく灯っている。
中央市の灯を港へ辿れば、高々と上る焚き木の火。
足踏みと卓をたたいて太鼓の音。
大きな貝を笛にして、皆が知る乾杯のうた。
シンドバッド王は片手に酒を、左右前後上下に美しい女たちを侍らせ上機嫌だ。
「いーなー、王様いーなー」
できあがっているシャルルカンは少しはなれたテーブルからブーイングを飛ばす。
彼と同じテーブルにはヤムライハとマスルール、スパルトス、ピスティが腰掛けていた。シャルルカンの羨望の視線とは違い、ヤムライハはあきれた視線をシンドバッドに投げかけている。
「アレ、シェハラザード先生に見つかったらどうするつもりなのかしら」
「酒の席だしおおめに見てくれるんじゃね?優しいひとだから、どっかの魔法オタクと違ってェ~」
「なんですって。あんたケンカ売ってんの?」
「なんだよ?オレはホントのこと言っヌベボゲ!!」
シャルルカンの口にジョッキが叩き込まれたことで取っ組み合いのケンカが勃発した。
姿勢を低くしてケンカの火の粉をうまくかわしながら、スパルトス、マスルール、ピスティは器用に会話を続けた。
「それにしても、本当にどこにおられるのだろう」
「どこッスかね」
料理、酒、踊り子の香水、炎のにおい。
いくら鼻のきくファナリスといえど宴のなかでは、主以外の他人を探しあてることは難しい。
「なになにィ?もしかしてスパルトスってシェハラザード様が気になってるの?」
「いや。週に二日ハルアビヤ語を教わっているから日ごろのお礼をと思ったのだが」
スパルトスは顔をあげてあたりをうかがった。その瞬間、彼の顔面に冷や水がビシャーンと衝突した。シャルルカンが避けたヤムライハの水魔法があたったわけだが、興奮状態の二人はまったく気づいていない。
ボタボタと水をしたたらせるスパルトスにスイと手ぬぐいが差し出された。
「シャルルカン、ヤムライハ、いい加減にしなさい。まわりに迷惑をかけるんじゃありません!」
ジャーファルの一喝を受けると、二人のケンカはピタりととまった。
「「だってコイツがァ!」」と互いを指差しあって、
「なんですってェ!?」
「なんだよ!?悔しかったらちったあ可愛くなってみろバーカ!」
とまたケンカがはじまった。
これにはジャーファルもあきれはて、大きなため息をおとした。
「大丈夫でしたか、スパルトス」
「え、ええ、なんとか。ところでシェハラザード先生の居場所をご存知ありませんか」
「ああ、あの方なら宴には来ていませんよ」
ジャーファルはすっぱり答えた。
彼が見上げた王宮は、今宵ばかりは夜の闇にかすんで見えた。
***
島を見渡す王宮の空中庭園まで乾杯のうたはとどいていた。
炎も見える。
シェハラザードは足を宙空に投げ出して、無人の庭園の淵からこれを眺めていた。お気に入りの景色だった。
落ちれば死ぬかもしれない高さだが、縁取る石は奥行きがあるから突き落とされでもしない限り心配はいらない。
その背後
音もなく接近する影があることにシェハラザードは気づくべきであった。
暗闇から伸ばされた腕がシェハラザードの体を鷲掴んだ。
「あっ」
「シェハラザード様」
突然にわき腹をつかまれて変な声をあげた直後、背後の人物の正体を知った。
「ジャ・・・ファル」
ジャーファルがシェハラザードのくびれの位置をがっちり掴んでいて、しかしジャーファル本人はへっぴり腰で、しかも緊張の面持ちであった。
おおよそシェハラザードの目に映る部分全て不審だ。
「驚きました。どうしたのです。忘れもの?」
「は、はい・・・いえ、あの・・・ひとまず」
びっくりさせられたシェハラザード以上に、ジャーファルは青ざめていてダラダラと変な汗をかいている。
シェハラザードは首をかしげた。
「こっち、おりてください」
シェハラザードが落っこちそうで怖かったらしい。
庭園の椅子にこしかけてから、あらためて
「どうしたの」
「・・・これを」
大きな葉でくるんだ包みを開いて差し出す。
謝肉宴で振る舞われている肉料理だった。
「おいしそう。持って来てくれたの?」
「たくさん召し上がってください」
「ありがとう。・・・シンドバッド王と南海の恵みに感謝を、そして優しいジャーファルに」
ジャーファルはこまり、はにかんで笑った。
ここに来た目的はシェハラザードに優しくすること、ではなかった。
おいしい、おいしいとほお張るシェハラザードの横で、官服の袖に隠した拳をにぎる。
深呼吸した。
「シェハラザード様は下へ行かないのですか」
シェハラザードの目がぱちりと開き、もぐもぐしていた香草蒸しを静かに飲みくだす。
「誘いに来てくれたのね」
「シ、シンはともかく、あなたの教え子たちは会いたがっていましたからっ、ですから・・・」
「そう。それは悪いことをしてしまいました」
シェハラザードは炎の方角に目をやった。
瞳に赤い光がやどった横顔がきれいだった。
望むだけじっとその横顔を見つめていればいいものを、ひとりでに気恥ずかしく思ってジャーファルもまたシェハラザードが向くのと同じ方向へ顔を向けてしまった。
シェハラザードはいつも謝肉宴に来ない。
決まってこの空中庭園から宴の様子を見下ろしている。シンドバッドが誘っても、ジャーファルが誘っても、黒秤塔の友人に誘われても教え子の留学生に子供たちに誘われても、一度も来たことがない。愚かにも何かを恐れている。その姿に、おそらく世界でただ二人、シンドバッドとジャーファルだけはつよい既視感を覚えるのだ。
(ジャーファルがいるから怖くないわ)
かつて暮らした屋敷の記憶だ。
誇らしかった、のに。
くやしい
あなたは酔いがさめるほどうつくしいのに
私がそばにいるのに
「あの・・・!」
長いまつげにふちどられた眼差しがこちらへ向いた。
国中みんな足が土から3mm浮いているような落ち着かない空気に背を押され、
腹に響く太鼓の振動に思考を細切れにされて、カラカラの口をひらく。
「デートしていただけませんか!」
「ええ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「今日でなくてもいい?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・は、ぃ」
「ジャーファル」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「あごの壊れたイカみたいになっているから、しゃんとなさい」
向こうの夜空に、無数の光魔法が打ち上げられた。
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