「シェハラザード、町でデートしないか」
シンドバッドがハツラツと提案した。
自室の棚に本をしまうシェハラザードの背に向けて、堂々と胸を張る。
シェハラザードは急にどうしたのかしらと振り返る。
「どうして?」
「どうしてって・・・?」
途端、シンドバッドの表情が翳った。
うつむき、わなわなと震え出したかと思うと、
「ジャーファルとはデートしたのになんで俺とだけどうしてとか言うんだっ!」
突然パーン!と爆ぜたように叫んだ。
次いで「シェハラザードのロリコンッ!」「醤油顔派!」「浮気者ォ!」などと叫んで、シェハラザードのベッドでくだをまいた。
七海の覇王は、どこかでシェハラザードとジャーファルのおでかけについて盗み聞きでもしていたのだろうか。ともかく二人が出掛けたことはすっかりご存知の様子だ。
年齢と肩書きを考えれば、どうひいき目に見てもカッコイイといえる姿ではなかったが、シェハラザードの心にふと「やきもち」という単語がうかんでしまい、心が揺らぐ。
「シェハラザードは俺のことなんてなんとも思っていないんだ。俺の冒険話が目当てだったんだ。ああ、かなしい、俺はいとしい幼馴染だと思っていたのに、シェハラザードは俺のこと」
「いつにしましょうか」
「え・・・いいの?」
ボヤにバケツの水がかかったように急に静かになった。
「陛下のご随意に」
「えーそういうのやめろよー」
言葉とは裏腹にシンドバッドはたいそう嬉しそうに照れ笑いをして迫ってきた。
「本ここに置くのか?」と親切に上の段へしまってくれた。
今まで蚊の鳴くような声で愚痴っていたのが嘘のよう。
***
「ここが君がいつも授業をしている場所かあ!」
パルテビア出身貧乏貴族の次男みたいな格好をしたシンドバッドが、集会場の講堂を見渡した。
王宮での勇壮な歩みと比べると早足で、落ち着きなくウロチョロと机やら、椅子やら、掃除用具入れやらを触ってまわる。窓があればあけて身を乗り出し、扉があればためらいなく開けた。
「今日は休息日だから誰もいませんよ」
「そのほうが都合がいいさ。お、黒板だ。シェハラザード先生、授業やってくれ、授業」
シンドバッドは一番後ろの席に腰掛けて、シェハラザード先生の登壇を催促した。
気は進まなかったけれど「そういえば」と思いついて、シェハラザードは黒板の前に立った。
「シン、私の声はそこから十分に聞こえる?」
「聞こえるよ。俺の好きな声だ」
恥ずかしい言葉をなんと軽やかに言う男だろう。かと思えば
「あ、この机チンコって掘ってある」
などと喜んだりもする。
「じゃあ俺はマンコと掘っておいてやろう」
「シンドバッド!」
一喝するとシンドバッドはふっと笑った。
「ふむ、ちゃんと怒れるね。それならナメられないだろうな、安心した」
「あと、町ではシンと呼んでくれ。バレる」そう付け加えて、はたして冗談なのか本気なのか、シェハラザードは翻弄され始めた自分に喝をいれるため、黒板へ向き直った。
「はーい、センセーしつもーん」
この語調は振り返ってはならない気がしたので振り返らずチョークを手に取った。
フルシア語の有名な詩を書いていく。
「先生はお風呂にはいったときどこから洗いますか?」
「・・・」
続きを書く。
流されて怒ったら「怒った先生もどうのこうの」と言うに違いないから。
「とか、聞かれないのか?」
「相手は子供よ」
「そう」
それからしばらく、チョークが黒板をはしる音ばかりになった。
人のいない講堂ではいつもより音がたかく、ながく響く。
シェハラザードは声が届くかのほかに、もうひとつ確かめたいことがあった。
「シン、この文字は小さすぎないかし、ら」
「よく見えるよ」
耳すれすれの距離で低い声がした。
シンドバッドは黒板に手をついてシェハラザードをとじこめて、慌てたシェハラザードに体の一部を押しつける。
カン、とチョークが床へ落ちて割れた。
シンドバッドの唇が、こめかみといわず耳たぶといわず首といわず、あちこちかすめてくすぐったく通りすぎる。
「授業してるとき、ここで俺としたことを思い出していやらしい気持ちになってはいけないよ」
「うっ」
突然、シェハラザードは途切れた左腕を右手で押さえ、痛みに顔を歪めた。
「え、嘘、ごめっ、ぶつけた!?大丈夫かっ」
「うそ」
シンドバッドの体が離れた瞬間、ハンサムなお顔に黒板消しがわりの雑巾が投げつけられた。
***
混雑する中央市を、一馬身の差をつけてシェハラザードがずんずん歩いていく。
その後ろをシンドバッドは「そんなに怒ることないじゃないか」とぽっくらぽっくらついてくる
「・・・」
「ひさしぶりのデートだからつい調子にのってしまったんだ。謝るよ、ごめん。機嫌をなおしてくれ」
「怒っていません」
と確実に怒っている表情で振り返る。
怒ってるじゃないか、というと更に怒られると経験から知っていたのか、お詫びにと、シンドバッドはレストランでのブランチを提案した。
実はこのレストラン、シンドバッドがこんなこともあろうかと仕込んでおいた秘蔵の高級レストランである。
シンドバッドが女性を口説k・・・もてなす時によく使うレストランで、オーナーからコック、ウェイター、ウェイトレス、掃除のおばちゃんにいたるまで全員、王宮の息のかかった者たちで構成されている。お客様のあらゆるニーズに柔軟に対応するうえ、料理の味は超一流。さらには、奥にひとつだけベッド付きのヒミツの個室まで備えられているという粋な心遣いもある。一応断っておくが、シンドバッドは一度もそのベッドを使ったことはない。少なくとも彼の記憶があるうちでは。
ウェイターはシンドバッドの顔を見ると、何も言わずおごそかに一等良い席、誰の目からも届かない席へと案内した。
「少しはやいから、まだおなかはすいていないかな。デザートにしようか」
シンドバッドはパパゴレッヤのコンポートを頼んだ。それは、甘味好きなシェハラザードがはじめて入った高級レストランでも萎縮せずデザートを頼めるようにとの配慮であった。
甘いものを食べればきっと機嫌もよくなる。
それに、気の利くパティシエはコンポートを作るときにうっかりアルコールをとばし忘れてくれるに違いない。
これでシェハラザードの防御力はだいぶ下がるはずだ。
シンドバッドはそう計算したのである。
「君も同じものにする?」
「カレーうどんをお願いします」
「防御力高ぇええええ!!!?」
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