一方、シンドリアから王のもとへ応援に向かう船の上では、船員達が不安げな表情をうかべていた。

「あなたは船にのせてほしいと頼み、私はそれを断った」

ドラコーンの前にはが立っている。
王のもとへ急ぐ船に、は樽に隠れて密航したのである。
本国に戻る余裕はない。
ドラコーン将軍の怒りを宿す声音と眼光に船員達は射すくめられていた。

「これは旅行ではない。あなたの色恋を満足させる叙情的な船旅でもない」
「罰はいかようにも受けます」

ドン!との体がおもちゃみたいに吹っ飛んで、船室の壁にあたって落ちた。
一瞬の出来事だった。
居合わせた者全員が戦慄した。

「なにをしている」

ギロリとドラコーンが傍観者を睨んだ。

「脳震盪をおこしているだけだ。そこに放り込んでおけ」

ドラコーンがあごで示したのは海底でも牢屋でもなく、ドラコーンの船室だった。
殴って昏倒させたうえまさか、罰として慰みものにするというのか。
アゴがはずれたような顔をして動き出せない船員たちの横をドラコーンが通り過ぎた。

「着くまではおまえたちと雑魚寝させてもらう」

船員達は“なんだ、そういうことか”とほっと胸をなでおろした数秒後に、一斉にドラコーンを振り返った。
かくして船員たちは、船旅の間中“将軍と雑魚寝”という恐ろしく緊張感のある休息を強いられることになったのである



がいくら頼んでも、ドラコーンはを将軍用の船室から移さず、船の一切を手伝わせず、しかし食事は正確に運び、船員達にはと口をきくことを禁じた。
積荷の管理班には罰として、当番制だった船内清掃を毎日やることが課せられた。
それらは悪党ではない密航者へ下された「罪悪感」という最も効果的な罰であった。













***



「ジャーファル、さけ」

ベッドからヒラヒラと手を振る。取り替え終わった包帯を抱えるジャーファルが、天幕の出入り口のあたりでため息をついた。

「何言ってんですか。血行よくしたらまた傷口開きますよ」
「もう大丈夫だ。心配をかけたな」
「イイ声で言ってもお酒はだめです」
「じゃあ女」
「だーかーらー!さっさと寝てくださいっ」

幕をくぐって出て行ってしまったジャーファルの背に「ケチ」とぼやく。

(キズはもう開かないとおもうんだけどなあ)

ためしに壁側へ寝返りを打ってみるとクラクラした。
まだ変だ。
長枕を抱いて縮こまって、肉体の治癒へ魔力をそそぐ。
ちょうど繭玉みたいに魔力で体を包んでやれば、通常の何倍もはやく傷が癒えていく。ひとたびこれを始めると眠たくて眠たくて、体がシーツに溶けるようなよい心地になる。けれどその代償に目がさめると魔力の使いすぎで、あるときは三日間視力を失い、あるときは五日間耳が聞こえなくなり、あるときは十日間勃たなくなった。・・・最後のが一番あせった。

音がした。

ジャーファルか。
でももう目、あかね。
ベッドがきしんだ。
ひたと頬に手が触れた。
繊細な、女の手だ。
なんだジャーファルのやつ、だめとかいったくせに。相変わらず弱った俺に甘いな。
肌が触れたら相性はなんとなくわかるもの。
髪の毛を耳にかけられた。
いいカンジだ。
女が動いた瞬間、香水のにおいが鼻孔をかすめた。
・・・ああ、ジャーファル、おまえはなんて気がきくんだろう。
と同じ香水をつけて女を寄越してくれた。ともすれば、あの完ぺき主義のやることだ、見た目も似たひとを選んでくれたのに違いない。

異国の一夜のアバンチュールに惹かれて、ついついまぶたが持ち上がる。
ねむたい、目がかすむ。おお、髪の色も肌の色も同じだ。ただちょっと顔がよりふっくらしてる。
目がかすんでいるくらいでちょうどいい。
オレの額のあたりにあった手を捕まえて、手首をぐいとひいた。

「ぐほっ」

俺はうめきをあげてしまった。
バランスをくずした女が思ったよりも本気でスッ転んで俺のわき腹にぶつかったからだった。
痛みで眠気が遠ざかる。
だがドンくさいのもまた愛らしい。
よぉーし、興奮してきた。
俺の首あたりにきた女のこめかみに唇を寄せる。
なるほど、においが同じというのは思ったよりも、くる。
耳へのキスのあいだに女の薄い背に腕をまわした。
ああ、腕が片方ないところまで同じなんて、やばい、燃えてき



・・・あれ?


「ぁ、シン、待って」
「あれ?」
「傷に障るから」

おそるおそる体をはなし、顔を見る。



「・・・うわー!!!」



びっくりして思わず叫んだのに混乱して逆に思いっきり抱きしめちゃったところでジャーファルが何事かと駆けつけ、が俺の脚と腕にがっちり挟まれていて身動きとれずジタバタしているのを見るや、
「うわー!!!」とオレと同じコトを叫んだ。












***



「いますぐ帰れ」

は天幕の外に放り出されてしりもちをついた。
シンドバッドは不調も忘れて仁王立ちで腕組みし、を冷たく見下ろした。
ジャーファルはその中間でオロオロと交互に顔を振り向ける。

「ここに君は必要ない」
「・・・ごめんなさい」

それだけ言うと、は服についた砂ぼこりも払わずに、二人の視界から立ち去った。
追いかけようとしたジャーファルをシンドバッドの厳しい声が引きとめた。

「放っておけ」
「ですがっ」
「今回はがわるぃ・・・」

語尾がかすれたかと思うと、シンドバッドはその場に膝をついた。

「シン!」

ジャーファルは慌ててシンドバッドを寝台に戻した。袖をめくると、包帯越しに血がにじんでいた。
たった今到着したらしい船からさっそく医者を呼んでこなくてはならない。

「くそっ」
「すこし辛抱していてくださいね、すぐに医者を連れてきますから」
「最悪だ・・・」
「そんなにですか」
「見られた」

両手で顔を覆っている。
ジャーファルはヘンな顔をした。
膝を着いたくらいだ、確かに傷は痛むのだろう。
しかしそれよりも今シンドバッドを嘆かせているのは、弱っているところを見られたくなかったという、単純でなにより強い男の見栄。












***



ドラコーンに聞けば、密航し、ドラコーンに殴られ、九日間の船旅は罪悪感におしつぶされていたそうだ。そのうえ辿りついたと思ったらシンドバッドにも怒られ、ほうほうの体となったは、静かな湖のほとりにぽつんと座っていた。
ひとりで放っておくには、あまりに野生的な場所だ。
シンドバッドの口から出た命令より、口にはでなかった命令に従ってジャーファルはを探しに来たのである。
ぼうっと夜の湖におちる月を見つめて、ジャーファルが近づいていってもちっとも気づかない。

様」

まるまっていた背中がすこしもどった。

「もう意味はないかもしれませんが」

ジャーファルは濡れた手ぬぐいを、青アザになっている左頬へおっかなびっくりに寄せた。

「ありがとう」

の指が引き継ぐと、ジャーファルはとなりに腰掛けた。
口角を無理やりに笑う形にあげているように見えた。目は未だ湖の月から動かない。

「あの・・・大丈夫ですか」

はうなずく。

「安心しました」

不意に布を目にのせて上向いた。

「冷たくて気持ちいい」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・」


















「シン、生きてて、よかった」

声はふるえ、ふるえ、ふるえきって
もう少し貸してね、と絞りだされた声に返事もできない。
無力な自分にうちひしがれて、ジャーファルは夜をあおいだ。

その後も対面の許しはなく、一言も言葉を交わさないままには帰国を命じられ、粛々とそれに従った。
の帰国から10日おくれて、無傷のシンドバッド王が冒険から帰還した。






<<  >>