傷は癒え、七海の覇王がめでたく王国へ帰還なされた翌日のこと。
一足先に帰国していたドラコーン将軍はシンドバッド王に紫獅塔へと呼び出された。
新緑の、小鳥さえずる王の庭である。



を殴ったそうだな」

背を向けて切り出したシンドバッド王の声音に、ドラコーンはどのように覚悟を据えるべきか理解した。
王の御前、土に膝をつき異形のこうべを垂れる。

「はっ。罰はいかようにも」
「いや、おまえは正しい」

シンドバッドはゆっくりと振り返り、コツ・・・コツ・・・と靴を鳴らしてドラコーンへと近づいてくる。

「本来であれば、おもしを付けて船から突き落とされても文句を言えないことをしたんだ。咎めがなくては兵と国民に示しがつかん。王として礼を言う」

ねぎらう王の手が肩におかれ、ドラコーンは顔をあげ、
ゴチンッ!!
シンドバッドの全力の右がドラコーンの顔をぶん殴った。

を殴るな」

声にどす黒い怒りがこもっていた。
土に伏したドラコーンを、狂気を宿した男の眼が冷たく見下ろしている。
ドラコーンは牙で切った口の端を手の甲で拭った。
男のこぶしはいまだ強く握り締められたまま・・・・・・・・かと思えばこぶしが突然パッと開き、シンドバッドは歯を見せて笑った。

「っと、いまのはあれを好いているただの男からの一発と一言。主従とかパワハラとかとは別のだから、ノーカンな!」

シンドバッドはいまドラコーンを殴った手で彼が立ち上がるのに手をかした。
ドラコーンはその手をとって、

ドンッ!!

「ヌルいことを抜かすな」

向かい合うシンドバッドの腹に強烈な一撃が入った。

「っか・・・てえ・・・」

一瞬胃液を吐いて、シンドバッドはドラコーンの体にそってズルズルと地面におちていく。

「いまのは惚れた女にあまい友人を諭す一発と一言だ。ノーカンだ」












***



「のヤロ・・・本気でやりやがっィテテ」

腹の痛みも治まらぬうち、紫獅塔にを呼んだ。
ところが、はまだ集会場での授業の最中だという。

「お連れしましょうか」
「いや、いい」

シンドバッドは自ら緑射塔に赴くと「王様の鍵」を使っての部屋をあけ、中で待つことにしたのだった。いまごろのジャーファルの怒った顔が目に浮かぶ。

部屋に入って驚いた。
極端に荷物の少ないことで知られているの部屋に、書物が散らばっていた。
珍しいこともあるものだ。
見回して、シンドバッドは一番混沌としている机へ歩みを寄せた。
転がるペンの柄や机は黒く汚れ、カラになったインクの瓶が八個も並んでいた。こぼしたようなあともある。
ペン差しにあるうちのひとつ、鮮やかな濃緑の羽ペンに見覚えがあった。ケツァル鳥の尾羽で出来たそれは、が官吏の登用試験に合格した時にシンドバッドが贈った物だった。差してある他のペンはどれもひどく汚れ、先が壊れている物もあるのにその羽ペンだけが美しいままだった。
いまにも崩れそうに折り重なっている粗末な紙には、七海を渡り歩いたシンドバッドですら読めない言語がびっしりと書かれている。
そのわきの白い皿ではたくさんの小さな葉が干からびていた。



「シンドバッド」

「や、やあ、。勝手にはいってごめん」

一切弁解の余地を与えず帰れと言ってそれ以来の再会だ。緊張しないと言えば嘘になる。
というのに。

「おかえりなさい」
「あ、うん。・・・ただいま」

はいつものように笑って迎えた。
重そうなカバンを、ゴンと音を立てて床に下ろしながら、部屋が汚れていることを謝ったり、喉はかわいていないかと尋ねたりした。

「この前は迷惑をかけてしまってごめんなさい」

シンドバッドは流れで謝ってしまいたかった。しかしぐっとこらえる。は実際間違った行いをしたのだし、今後自分が戦場へ行った時に同じようについてこられては困る。

「・・・君のほっぺたがもとにもどってよかったよ」

言えたのはそれくらい。
それから、ハーブティーを淹れてもらってシンドバッドは七つ目の迷宮の冒険をたのしく語って聞かせた。
いつものようには喜んだ。
話し終わるといつものように甘い言葉をたれながした。
ほどなく押し倒し、「ジャーファルが探している」と常套句でやんわりお断りされて追い出された。

なにもかも普通だった。
喜ばしいが、どこか背が冷たくなるような怖さもある。
拍子抜けして紫獅塔に戻り、そこではじめて「助手にして」と言われなかったことに気がついた。
待て、思い返せば今までも言われなかったことなんていくらもあった気がする。
意識していたから気にかかったのだろう。
そう結んで腹におとした。






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