緑のひと房から一葉ちぎり唇に食む。
眠気覚ましのミントもあまり効かなくなってきてしまった。
それでも目をこらして、とりつかれた人間のように書物の翻訳に没頭した。
ミントのひと房がひたしてあるのは、からになったインクの瓶だ。
七日のうち三日は集会場で子供に自国語を教え、三日は黒秤塔で留学生に授業をして、一日の休息日は留学生から異国の言語や、数学を教わった。七日のうち、すべての夜は意識が途切れるまで書物の翻訳をする。

その生活がひと月続くと、部屋が汚くなった。肌が汚くなった。

ふた月続くと明らかに痩せて、顔色がわるくなり、気づかれないようにシンドバッドを避けた。かわりにジャーファルに怒られた。
通訳の仕事もさせてもらえないかと外務官に相談したところ、「通訳が女というだけで侮られたと感じる要人は多い」と退けられた。むなしくも、納得するには充分な理由だった。

み月続くと慣れて、なのに時折夜中に泣くようになった。
机の上に積みあがったものをすべてなぎ払ってしまいたい衝動にかられ、できず、こんなものが一体なんの役にたつのかと叫びたい声を殺してつっぷした。一度泣いて夜が明ければなんともなくなっているから、また同じ生活を続けた。
誰かへのあてつけではない。学び、教えたかったからそうしていた。学び、教える時間だけは心が軽い。
そうして、今宵も緑のひと房から一様摘んで唇に食む。



よ月目半ばにシンドバッドとケンカした。

「黒秤塔での授業は一日に減らす」
「・・・どうして」

講座の人気は上場だ。
ほかの人が教える授業よりも人が集まるし、みな熱心に取り組んでくれている。効果だって徐々見えてきているのだ。一人一人名前を挙げてどれだけできるようになったか話すことだってできる。

それを
真昼間の公務の時間に
王の格好でわざわざ緑射塔のの部屋にまでやってきて
真面目な顔で
声で

「落ち着いて」
「落ち着いています。おかしなことを言っているのはシンドバッド、あなたのほう」

「理由を言って。どうして授業を減らさなくてはいけないの。どんな問題があるというの、なにが」
「・・・黒秤塔での授業は一日だ」
「だから、どうしてっ」
「君自身がその理由に気づこうとしないことが理由だ」

椅子を倒して立ち上がる。
(こんなものがいったい、なんのやくにたつ)
繰り返した自問自答を、シンドバッドから問われたように感じてたががはずれた。
伸ばされた手を振り払う。
その瞬間、心配の色をたたえていたシンドバッドの瞳に別の色が混じった。

「くつがえらない」
「奪わないで」

手首を絡め取られた。
力任せにぐいぐい引かれ、ほどく間もなく寝台に振り落とされた。
上に覆いかぶさってきたシンドバッドの体を右手で押しとどめようとするが、腕はなすすべなく互いの胸の間で小さく折りたたまれる。

「俺はシンドリアの王だ。俺は俺の望みを叶える。君が健やかであること」

視界が暗くなった。
シーツをかぶせられたのだと気づくまでに暫くかかった。

「眠れ」

悔しくなった。
シンドバッドの重みが消えて、足音がよどみなく遠ざかる。
扉が開き、閉じられる音がした。
はシーツをかぶせられた格好のまま、とりはらわずに奥歯をかみ締めた。
時折、情けない熱い息がこぼれた。






黒秤塔での授業は七日のうち、一日になった。
授業が減った分の時間は残らず全て勉強と翻訳にあてた。
エリオハプトは数学、天文、パルテビアは建築と人論そして哲学、マグノシュタットは魔法力学、アルテミュラは生物・植物学。教えを乞う対象は果てしない。闇雲に学んだ。
通訳の依頼が一件舞い込んだ。アルテミュラの外交官とシンドリアの財務官との会談だ。入念に準備をして臨んだがはその場に立っていただけで役目はしまった。聞いていた話と違い、アルテミュラの外交官はシンドリアの公用語を流暢に話したのである。
置き人形の役目のあとに財務官がいかがわしい宿泊施設に誘ってきたので、最初からそういうことだったのだろう。






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