の部屋は緑射塔にある。紫獅塔にはない。
紫獅塔への招きは、とっくの昔に断られた。
衛兵すら立っていない部屋の扉はしかし鍵がかかっていた。袖から王様の鍵をとりだしちょいとひねれば侵入できる。
ベッドへ寄る。
青い月のあかりで寝顔も見える。

腕は一本。
夢にみた君は揃っていたから、だからあいまいな違和感を感じたのだろう。

枕のそばに、えんじ色の表紙の本がある。刻印されたタイトルまでは、暗くて読取れなかったが難しそうな本だというのはなんとなくわかった。
曲げた指の背で頬をなぞる
起きない。
いま少し近づこうと体を傾けたら、先に髪のひと束が肩をすべってのくびすじに落ちてしまった。

「・・・シン」

ほっとした。

「ごめん」

しずかに言う。
息のような声。

「ん」

は目をこすろうとしたのか、ただ眩しかったのか、右腕を目のあたりに当てた動作を最後にうごかなくなった。
眠りに戻ってしまったろうか。

「ごめん」
「・・・」
「夜這いにきたんだ。一緒に寝ていいかい」
「・・・ねむぃ」
「だよな。ごめん」
「・・・」
「おやすみ。だれよりも幸せな夢をみて」

毛布をかけなおして、部屋を出た。


















は何度か瞬きをした。
それから寝巻きのままでベッドをおりて、夢にでてきた人を追いかけた。


















中庭を巡る回廊、並ぶ柱の月影が斜めに落ちている。
馬鹿な真似をした。
でも確かにほっとした。それも馬鹿なはなしだ。
いますぐ帰っても眠れそうになくてゆっくり歩いた。
悪夢を見てが死んでしまったような心地がした。・・・“死んで”というか“殺して”というか。
ともかく怖くて、生きていることを確かめたかった。
それだけでよかった。
じゅうぶんだ。

タタタ

うしろで足音がした。
振り返ると、で
走って
あ、足
裸足

うれしくて全身がぞわと粟立つ。
思わずさしだした両手、踏み出しかけた一歩はしかし何かに怖気づいて、手はひっこみ足もとどまる。
到達したの手がくいと俺の服をひいた。

「シンドバッド」

右手で、俺の服のすそを。

「やめてくれ」

オレは悲しくて、悲しすぎて笑ったような気がする。まだ夢の続きだ。違うのに。

「右腕までとれてしまうよ」
「とれない」

夜に冴える君は
夜にぼける俺にはっきりと言った。
どうしたのと心配そうな目が俺に尋ねている。顔を見られないために近づいた。
の頭を自分の胸におしつけるように抱きこむ。寝起きの体のあたたかさが冷たい指先にじんわりしみこんだ。

「ごめん、眠かったろう」
「ちっとも」
「嘘だ。君は低血圧じゃないか」
「幼馴染のピンチの見分けくらいはつきます」
「ピンチじゃねえよ」

言ってから、しがみつきながら言うことではないなと思った。

「・・・シンドバッド。真夜中のデート、しましょうか」












***



の申し出にうなずいて、紫獅塔の裏手、王の庭を散歩した。
俺は珍しく無口だった。
理由を聞かれたけれど素直に言うのははずかしい。ほかの連中が起きるからだと言った。聡明な横顔が「そう」と優しく笑った。
淡白なのがさみしくて「さっき、へんな夢みた」と切り出した。
玉座の裏がどうとか、
君の腕がどうとか、
楽しくない話をおえると、は「疲れてしまったのね」とほほえんだ。
今日は勝てる気がしなかった。

庭には夜に目を楽しませるようなものは少なく、東屋のベンチのうえの膝枕で落ち着いた。
髪を撫でられ、あまやかされる。
むずがゆいけれど完全にあずけてしまえば心地いい。
母親というのは、こういう感じだろうか。
俺は赤ん坊のとき、樽にのって浜辺に流れ着いていたところを見つかったらしいから詳しくない。こればかりは世界中どこを冒険したってわかるものではないのでとうの昔に諦めた。
眠たくなってきて時々まぶたがおちる。
水平線に薄紫色がはしった。
空と海の境界線からだんだんと紫が染みてひろがっていく。
やがてここも照らすだろう。

まどろみに浸りたくて眉間をしかめると、の右手のひらが俺の目を覆い隠した。
これで朝は来ない。
お礼を言おうとおもった。



口がすべる。

「ずっと生きていて」

それが、いま感じる願いのすべてだった。






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