黄昏のシンドリア
今日ばかりは王宮よりも中央市が明るい。
シャルルカンに討たれたアバレウツボは、きれいにサバかれたそうだ。
最近では南海生物の襲来を知らせる警鐘さえ宴の音楽みたいに聞こえると、そう言ったのは誰だったろう。
もうまもなく、偉大なるシンドバッド王の乾杯の合図で謝肉宴が始まるだろう。

はいつものとおり空中庭園の淵に腰掛けていた。
島をとおりすぎる風に髪とカラの袖がなびいた。
宴のにおいがする。

歓声はまだ起きない。
高く積まれた組み木へ目をこらす。火は、まだ



「いまごろみんなオレのことを探し回っているさ」



声に驚いて振り返った。
謝肉宴のための衣装を纏っている。いまごろ宴の中心にいるはずの

「シンドバッド・・・!」

あせらず寄ってきて、の横にやや間を取ってためらわず腰をおろした。
空へ、金色の靴をはいた足をぷらぷら揺らす。

「な、なにをしているのっ。はやく行ってあげないと」
「口説きにきた」

謝肉宴がはじまるかどうかの責任が、にふりかかってきた。

「また来ないのかい」

はシンドバッドが居座る姿勢にはいったことに焦燥した。
そのうえで「行かない」と幼く、かたくなに振る舞うことはできず、口をつぐんだ。
黄金の強い瞳でまっすぐ見つめられるのに怖気づいて、腰掛ける石の表面に目を落とす。

「人が大勢いるから?」

心地よい風がふきぬけ、互いの髪とすそが中央市のほうへ舞った。
かつて、シンドリア建国より前に町の祭りに誘われて、「人が大勢いるから」を理由にして断った覚えがある。
それを彼はいまも覚えていて持ち出してきた。
うなずくのが恥ずかしかった。
もう何年も昔のこと。

は弱虫だなあ!」

シンドバッドは両手を上へうんと伸ばして茜色の空へ大声で言った。

「俺を大切に思ってくれているのに結婚してくれないのと同じに弱虫だ」

シンドバッドはゆっくり腕をおろして茜色の空へ小さな声で言った。

「どうして」

振り向けられた瞳は優しくわらっている。
引き結んだの唇はいっそうかたくなった。
風に、左の袖がバタバタと醜くはためく。
掴んで、行儀よくなさいと石に縫いとめたい。
シンドバッドがこっちを見ているのにあからさまに袖をつかまえるなんてできない。
まぶしくて目をしかめる。



「腕がないから?」

シンドバッドの言葉に涙がかけあがる。
こらえる。
すべての栓をきつく結ぶ。

「出自が卑しいと思うから?」

「・・・」

「石碑にくくりつけられて、ひどいめにあったから?」

「・・・」

「子供がうめないから?」

「・・・」

「全部?」



「・・・ぜんぶ」



息が漏れるような声になった。
愚か者。
うつむいた視線の先、指がからむ。
節張った指が一本ずつ、交互に重ねられた。
低い、落ち着いた声がおりてくる。



「子供はいらない」

驚いて顔をあげた。

「左腕もいらない」

そらしたばかりの目が再びまじわる。
切なげな黄金の瞳に心を吸われた。

が望まないなら結婚なんて世界一いらない」

「・・・」

「そのかわり」

指がいっそう深くまじわる。

「誰のものにもならないで」

どこか怯えているような、すがるような、深いまじわり。

「俺たちはずっと一緒だ」

笑った。



「血迷ってお嫁さんになってくれてもかまわないけどね」



「返事は謝肉宴のあとに」
そう言ってシンドバッドの指はさっとほどけた。
身勝手に遠ざかる背に「そんなに短くてはよく考えられない」というようなことをしどろもどろで訴えたなら「だからだよ」とシンドバッドは苦笑した。
無理やりにくしゃっと笑わせたシンドバッドの顔は、子供のころとおなじだった。






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