「南海の恵みとシンドバッド王に感謝を!!」
いつもよりちょっと遅れて、謝肉宴の始まりの歓声が島を満たした。
手で打つ鼓の音
銅鑼の音は大安売り
笛に鈴
ハープを奏でる歌姫
手拍子
足踏み
「次はわたしをお膝にのせてくださいな」
王様はあいかわらず美女に囲まれて、酒を片手にたいへん愉快なご様子だ。
「私が先っ」
「えー私よぉ。ねえ王様ったら」
「ハッハッハッ」
「ちょっと、王様!」
色っぽい声の応酬に怒った声が割り込んだ。
仁王立ちしたのはジャーファル、ではなくヤムライハであった。
「やあ、ヤムライハ。君も踊り子たちの衣装を着たらいいのに。よく映えるよ」
ジュワッっと音を立てて王の杯の酒が一瞬で蒸発したのを見、王をとりまいていていた女たちがザザっと遠ざかった。
その隙に詰め寄ってヤムライハは小声で問いつめる。
「どういうおつもりですか、今日はシェハラザード先生もいらっしゃるんですよっ」
王はきょとんとしてから、きゅうにニヨッといやらしい顔になった。
「すまんすまん、今回脈ありだったものだから、つい」
「ついって、わけがわかりません」
なんの騒ぎだと八人将が寄ってきた。
王はニヨニヨヘラヘラ照れくさそうに笑って、酒のせいだかなんなんだか、顔もほの赤い。
「独身最後の謝肉宴になるかもしれないから、はしゃいどかなくちゃと思ってな!」
とヤムライハの胸に語りかけた。
パンパンと手が打ち鳴らされた。
「ハーイ美女たちーカムバーック」
ヤムライハの胸とシンドバッドの間に割り込んできたのはシャルルカンだった。
「さあ王様!じゃんじゃんイっときましょう!」
あっという間に取り巻きが戻ってきて女体の囲いができあがった。
「もう!」と足元を蹴ってヤムライハは八人将の宴席に戻ってきた。
「なあにヤム。今回は脈アリって何の話?」
席についたとたん、ピスティが食いついてきた。
「王がご自分でおっしゃってたのよ。今回はシェハラザード先生を口説いて謝肉宴に連れてきたって」
スパルトスはぐるりとあたりを見渡してみたが、どこにもそれらしき女性は見当たらない。
「下いったのかな」
ピスティは手すりから下をのぞきこんだ。
王らの宴席は民衆の誰からも見えるよう、高い位置に設営されている。
下におりて民衆に紛れてしまったらとてもじゃないが見つけられない。
「来た途端留学生たちにさらわれましたよ」
一同振り返る。
声の主はジャーファルだ。
あっけらかんとしている。
下心必携の若い留学生たちの手に渡ったのなら、この男こそ一番気にしていそうなものだが、そこにいるのは平時のジャーファルだった。
ジャーファルはみなの疑問をなんとなく察した。
「彼らは牽制し合ってますから、むしろ安全なんですよ」
「なるほど。抜け駆け禁止ってやつだね」
ピスティがポンと手を打つ。
ジャーファルはにこやかにうなずいた。
「そうそう。そういうことです。あ、すみません。テキーラ六本いただけますか」
「「「ジャ、ジャーファルさん落ち着いて!くやしがりすぎっ!」」」
***
シェハラザードはというと、
動揺していた。
シンドバッドに口説き落とされて謝肉宴の中央に来てはみたものの、八人将や、ましてはシンドバッド王と並んで列席するわけにはいかない。居場所なく途方にくれていた。
のはほんのひと時だった。
「シェハラザード先生、いらしてたんですか」
国籍不明の一団が大地を鳴らして駆け寄ってきた、
近くでよく見れば授業で顔を合わせている留学生たちだった。服装が違うから一瞬気づかなかった。女性は特に、肌が大きく露出した綺麗な衣装を身に纏っている。若い珠の肌をおしみなく空気にさらして、慎み深い道徳観をよしとする国の男性たちは目のやり場に困っているようだった。
彼女達は、シェハラザードの首に花飾りを三つもかけてくれた。
背を押された。
肩を抱かれた。
手を引かれる。
あれよあれよと言う間に流さ、あ!いま誰かおしりに触った。
あたりのざわめきと音楽で何も聞こえないのに、しきりに四方八方から話しかけてくる。
真摯になんとか一人ひとりの言葉を聞き取ろうと努力しては別の方向から声が重なって中断された。
断片的な音と表情から、お礼を言っているような気がしてシェハラザードは笑顔でうなずく。
「あー!先生だー!」
一人が気づいた5秒後には10人以上の子供が突進してきた。
いくら旺盛な留学生たちといえど、幼い子供たちを押しのけてまでシェハラザードの近くを確保しようとする不心得者はない。
若者たちは踵をかえし、落とした肩を励ましあい、自棄酒をもとめて謝肉宴の人ごみへ消えていった。
「シェハラザード先生こんばんはー!」
「なんでいるのなんでいるの?!夜に先生いるの変な感じ!」
「先生見て見て、これお母さんが着せてくれたの」
シェハラザードの心拍はおさまっていなかったけれど、子供に取り囲まれるほうはまだ慣れていたので、さっきに比べたらほっとした。
「こんばんは。見せて、かわいい花飾りね。お母さんの手作り?」
「シェハラザード先生あっちスゴイから行こ!火が木より高いんだよ」
「あっち?」
「先生見て見て!ね、見てってばァ!」
「シェハラザードせんせー見てー!オラミー捕まえたァ!」
「いやがっているから放してあげなさい」
シェハラザードは情けなくもいまは自分ひとりすら制御できていないというのに、子供たちの甘え方はいつもよりアグレッシブだった。
集会場の授業でははにかみ屋の無口な子まで足や腰にしがみついてくる。
宴の雰囲気がそうさせているのだろうか。
「横に広がらないで、後ろから荷車が来ますよ。一列に、前ならえ、前ならえ!」
遠足の引率みたいになってしまったシェハラザードに、別のほうから甲高い声がかかった。
「あら、シェハラザード先生じゃあありませんか!いつもチビがお世話になってェ」
「え、先生さんがいるのかィ!?」
「いやあこりゃ先生もうなんて感謝したらいいか!あなたのおかげてうちの娘が王様に手紙を渡すなんて大役をおおせつかって」
大人たちが次々やってきてお礼を言った。
握手をもとめた。
褒めた。
食べ物やお酒や花をくれた。
シェハラザードはひとりひとりとしっかり言葉を交わせないまま、圧倒され頭がくらくらしてきた。
いつから
地面から体へ響く太鼓の音におし上げられて、思考が浅くなる。
失礼のないように、大人らしく、返事を返さなくてはいけないとおもうのに、返す前に目の前の人が入れ替わり、まともな言葉がつむげない。
いつから
「あなたのおかげで」「すばらしいひとだ」聞き取れた留学生の言葉の断片、表情
「先生見て見て!」「一緒に見てまわろ」聞き取れた子供たちの言葉の断片、表情
「先生ありがとう」「感謝しています」聞き取れた大人たちの言葉の断片、表情
「シェハラザードは弱虫だなぁ!」不屈のわが友人の、正しい悪口
いつから
私を恥ずかしいと思うのは世界で私ひとりになっていたのだろうか
右手で喉の下をぐっとおさえる。、
「ありがとうございます」
その一言を絞り出すので精一杯だった。
「そうだ、シェハラザード先生」
握手していた誰かのお父さんが笑う。
「今度オレたちにも読み書きを教えてくださいよ。こっちは寄せ集めで、もといた国の読み書きさえできないのがたんといるのです。チビどもより覚えはわるいでしょうが、どうか頼みます」
なあ、と振り返ると、向こうで大の大人が照れくさそうにうなずいていた。
「・・・はぃ」
息が詰まった。
「きっと」
「コラアンタ!いつまで先生の手ェ握ってデレッデレしてるんだい!」
「いでっ!かあちゃんごめんよ!愛してるったら」
「ったく、王様の恋人さまに手ェだすなんて大それたひとだよ。気を悪くしないでくださいね、先生」
「え」
とんでもない言葉が聞こえた。
「あの、いま」
王様の
「こいびと、と・・・?」
尋ねられた奥様は一瞬きょとんとし、それから豪快に笑った。
「まさか、バレていないと思ってらしたの?アハハ、いやだよう」
衝撃だった。
一応、シェハラザードのほうは人目をはばかっていたつもりだった。
王宮の友人を含めても、面と向かって言われたことはこれが初めてだった。
「王様が振られっぱなしのシェハラザード先生、言って通じなけりゃモグリさね」
「は、はあ・・・すみません」
シェハラザードはなにを謝っているのかもわからないまま謝っていた。
「いいんですよ、同じ女ですもの。わかりますさ。いっくらハンサムでお金持ちだって、あんだけ気が多くちゃあ滅入っちまいます。遊びには最高、夫としては最低ってやつだわね」
「オマエ王様に滅多なこと言っ」
「アンタは黙って明日の朝飯をタッパに詰めておいで!ああもうそっちじゃないわよ、その奥の燻製のほう」
奥様は「先生、ちょっと失礼しますね」と言い置くと、タッパへの詰め込むチョイスがなってないと、旦那様へ指導しに行ってしまった。
すっかり
バレていた。
拍子抜けして立ち尽くす。
一夜、一刻のうちに、自分ではめていたたくさんの枷がそよ風にとばされていった。
周りにいた子供たちはそれぞれの家族のもとへゆるやかに散らばった。
留学生たちは今頃乾杯の音を繰り返しているのだろう。
まわりを見渡すことができた。
壁際までさがって、一番ひろく世界をとらえる。
ワイワイと笑って、踊って、歌って、擬態語でなくほんとうに見るものすべてがキラキラ光って見えた。
火の粉と、こぼれずたまった涙のせいだと気づいた。
涙をはらうためにまばたきする。
ああシンドバッド
血迷ってしまいそう
「シェハラザード先生ぇー!こっちで一緒におどろー!」
遠くから元気な声で誰かが呼んだ。
壁際にはだれもない。
「シェハラザード先生?」
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