王宮の背、シンドリアを自然の要塞とする絶壁の足元に、ジャーファルすら知らない岩窟がぽっかりと口をあけていた。
その入り口にたどり着いた時、ジャーファルとマスルールはひどく疲弊した様子の主の姿を見つけた。

「・・・殺したんですか」

シンドバッドの返事は返らない。
ジャーファルは息をのみ、覚悟をきめた。

「殺したんですね」
「始末を頼む」
「・・・はい」

二人の家臣が通り過ぎた。
まっすぐ先に幼馴染が立っていた。



シンドバッドは声のとどく場所まですすみ出て歩みをとめた。

「やあ」

声は消えいる。
途端、はシンドバッドの手を掴み、早足に歩き出した。
幸いにも、は誰にも見つからずに秘密の場所へ行くのは得意だった。




























































「ずっと言えなかったことをふたつ言わせてほしい」
「うん」

ひとつめ

「ふるさとを焼いたよ」

声にした。

は少しの時間をかけて理解した。
理解したうえで「うん」とうなづき、シンドバッドの次の言葉を静かに待った。
は傍らで膝を抱き、爪先の先を見つめる。

「俺がそうなるように仕向けた」

シンドバッドが言う。

「君を痛めつけた連中が憎かった」

途切れ途切れに

「皆殺しにしてやりたかった・・・!」

シンドバッドは両手のひらを顔に押しあてた。
でも涙は水だから、指なんてすり抜けて落ちてゆく。
はなにも言わなかった。
シンドバッドは喉に力をこめた。
大きな声を出したかったんじゃない。
震えて泣くような声にしないためだった。

「本当は」

に聞こえる声で言わなければならない。
間違いなく、
もう、嘘もなく。

を守れなかった自分が一番憎かった」



「・・・だからあの男を殺せなかった」

ジャーファルはさぞ驚いていることだろう。シンドバッドは、私情で人殺しをしました、という顔をしていたから。
岩窟の奥、男は生きている。
振り上げた短刀は振り下ろされることはなかった。
殺すつもりだった。殺せなかった。シンドバッドは自分があの男から家族と故郷を奪ったことを知っている。気のふれた密入国者を作ったのは誰か、おもってしまった。
七海の覇王
シンドバッド王
英雄
まぶしい
何かがくやしくて歯を食いしばる。






「憎まれたい?」

問いにシンドバッドは沈黙し、やがて顔を覆ったまま首をかしげるような、うなずくような、緩慢な動きをした。

「わたしはあなたのその悪しき行いを憎まない」

よどみのない声がいう。
は場違いにほほえんだ。
シンドバッドをのぞきこむ。

「それでは苦しい?」

「・・・うん」

「じゃあ、わけて」

はシンドバッドを正面にすえた。
のこされたの右手は、顔をおおうシンドバッドの手のひらにかさなった。
シンドバッドは泣き顔を見られたくないようだから、シンドバッドのごつごつした指の隙間から涙がこぼれて世界に見えてしまわないよう、シンドバッドより幾分ほそいの指が隙間をおぎなった。
上腕半ばでまるくなった左うでもシンドバッドの顔へむかってもぞもぞ動いている。届かない。
それを指のすきま、涙で水のなかみたいになった目で見たのだろうか。
うっと息をもらしたかと思うと、シンドバッドはくずれるようにを抱きしめて、もぞもぞしていたまあるい左腕に何度もくちづけをした。

「シンドバッドより一日長い私の命が終わるまで、あなたの罪をわけて」

は膝で立っておもたい頭を抱きしめた。
みじかい左うでも限界まで使って抱きしめた。



"ずっと言えなかったことをふたつ言わせてほしい"



「ふたつ目はなに」




































「君が好きだよ」

あの日のまま、少年シンドバッドがずっと言えなかった言葉だった。






シンドバッドとがいない。
家臣たちは総出でシンドリアじゅうを探し回った。
しかし、誰も見つけることができなかった。
秘密の場所
遊びつかれた子供のように寄りそって眠る、玉座の裏






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