目を覚ますと、金色の天井を見た。
ひらきかけた目をとじる。
ねむたくて
まぶしい
朝の日差しでしょう。
知らないにおいの風が四角く開いた石の窓からやってきて、ベッドを覆うヴェールがふわりと舞った。

ベッド?

そう、ベッドだ。
金色の天井はベッドの天蓋。

(エデンに召されたのだ)

そう思った。

しかしおなかがすいていることと、左腕がとてもかゆいことを感じとると、エデンにも不快が存在するのだと残念に思った。
窓の外に鳥の声。
エデンの鳥、ガルーダだろうか。



横たわったまま右手を顔の前まで持ち上げ、ゆっくりグーパーした。

(・・・生きている)

不思議だった。
持ちあげた右手で頭に触ると、ザリっと鳴った。芝生のように短い。
次いで違和感のある左腕に触ると、スカ、スカとすり抜けた。
左肘と肩の間くらいの場所に包帯がまいてあり、包帯より先はなにもなかった。
右手を支えに体を起こすと、体中の血が一斉に頭から下へ大移動したようになって、目の前が白く明滅した。

「っ・・・」

うめきもあげられずに、痛みではない謎の衝撃がどこか遠くへ行ってしまうまでじっと耐えた。
おさまってからベッドを降りる。

部屋の中を見回せば、高級ホテルの一室のように整ってる。
(知らない)
ふくらはぎも膝も、ふとももも、カクカク震える。
転ばないように、転ばないように、慎重に四角く削られた窓へ寄る。
青空の下に色とりどりの屋根が広がり、その裾野に大きな帆船がいくつも並ぶ港が見えた。
(知らない)
廊下にでた。
右へ向いても左へ向いても消失点まで廊下がずっと続いている。
絨毯の敷かれた上にはだしで踏み出した。
壁には等間隔で絵画、部屋もある。
部屋のドアには一つずつ、色違いの大きな宝石が埋め込まれているが、その美しさよりも不安が勝って、ドアのない側の壁に寄りかかりながら進んでいく。

そのうちに頭がぼうっとしてきた。

足がもつれる。

膝がくずれる。

息が苦しい。

「わっ、大丈夫ですか!」

人の声を聞くやの体に雷がはしった。
はだしが絨毯を蹴り、壁へ壁へと体を寄せる。
伸びた爪で壁を何度もかきむしる。
声の主は褐色の肌で、頭に白いターバンをまきつけた召使い風の格好をした男だった。
彼は持っていたシーツを放ってに駆け寄ってきた。

土の上でを組み敷いた男たちの無数の腕がすさまじい速さでの正気を蹂躙した。
全身がぶるぶる震えるのを、はもはや止められなかった。

「めんなさいっ、ごめ、なさ・・・!」

男がなにかを言った。

「ごめんなさい・・・ゆるしてください」

男がなにかを言って、の右肩に触った。
は、大きく口をあけて叫んだ・・・気がしたけれど、声が出せたかどうかは覚えていなかった。





シンドバッド、たすけて

たすけて





































***



次に目が覚めたとき、金色の天井を見た。
夕方の日差し。
髪は短い。
左腕はない。
おなかもすいている。

(・・・また、生きている)

体を動かすたびにおこる貧血を警戒しながら、ベッドから上半身を起こした。



「あのぉ・・・」

ターバンを巻いた褐色の男がドアの外に不安げに立っていた。
の体が目に見えて震えだしたのを見ると、召使いの男は手に持っていた銀のプレートを床に置き、慌てて廊下に姿を隠した。
プレートにはスープとパン、フルーツと水差し、水をそそぐためのグラスが乗っていた。

「お、お食事をお持ちしました」

はすぐにでも水を飲みたかったが、いまは姿が見えず声だけ聞こえる男を警戒し、動けずにいた。

「ほかに必要なものがあれば言ってください。あなたに不自由がないようにと、」

続く召使いの言葉に、は目を見張る。

「われらの主人、シンドバッド様におおせつかっておりますので」
「シン・・・」

召使いに届く声で言いたかったが、声がかすれて出なかった。
ベッドをおり、前にすすみながらほとんど崩れるような動きで床に膝をつくと、最後は這ってドアへ近づいた。

シンドバッドが帰ってきてくれた
シンドバッドが
シンドバッドが

「シン・・・かえっ・・・っ」

廊下の壁にはりついて姿が見えないようにしていた召使いに確かめたくて、けれどそれより先は胸がつまって声にならなかった。
涙がでそうにうれしかった。
召使いは這ってきたその姿にぎょっとしながらも、うなずいた。

「え、ええ・・・シンドバッド様が、あなたを買って」

うれしい形のまま、心臓がドンとうった。
召使いは逃げるように立ち去った。

「・・・・・・」

は床の上で座りなおし、呆然とプレートを見つめた。
感じかけた衝撃の正体をさぐらずに、水差しから直接水を飲んだ。
飲み干して足りず、ぬるいスープを飲んだ。
足りず、果実の黄色い果肉を食み、じゅるじゅるとすすった。
酸味であろう刺激が舌を刺す。
なんの味もわからない。
銀のプレートからパンを掴みかぶりついたとき、は目の前の恐怖に気づいた。
悲鳴をあげそうになった。

磨き上げられた銀のプレートにうつる、魔物だ。

目の下が青く落ち窪み
頬はこけ
唇はいくつも縦に細く割れていて
血走った目を剥き、パンをむさぼっている。
頭に剣山のような短い毛を生やし、
腕は一本。

は自分の頬に触った。
すると魔物も頬に触る。

魔物がおぞましい形相で叫んだ。











だれもかえってこない。
けられた。
おこられた。
なぐられた。
きられた。
おかされつづけた。
汚物をたれながした。
おなかがすいて虫を喰った。
・・・シンドバッドにこの姿を見られた。
ここはどこだろうか
だれもかれもしらないひとだ
どうすればいいのだろうか
シンドバッドはどこにいるのだろう
わたしを買ったのは助けるためだろうか
奴隷に
いいえ
ちがう
シンドバッドはそんな人じゃない
ではどうしてどこにもいないのだろうか
この姿を見たからだろうか
どうしてなにも
だれも
どうして
どうして

どうして







嘔吐し、床につっぷして目と耳をふさいだ。
それでも頭をめぐる声がやまない。
両の耳をふさぐには腕が一本足りないからだ。






シンドバッド、たすけて

たすけて






次の日も、その次の日も、シンドバッドは来なかった。
着替えを運んできた女の召使いに尋ねてみると、シンドバッドは冒険の旅にでているという。
がこの屋敷についた次の朝に出かけたという。

それからというもの、は(たすけて)と祈ることをしなくなった。
言葉を発することもやめた。
寒くて寒くてしかたなかった。
まだ、石碑にくくられているみたいだ。



<<  >>