3つ目の迷宮攻略を果たしたシンドバッドが屋敷に凱旋すると、召使い全員が出迎えた。

ここ一年で15センチも身長が伸びた彼は、周りよりも頭ひとつ分抜けていたから、声援にこたえるふりをして人々のターバンのうえからあたりを見渡すことができた。
おかえりなさいの嵐のなか、ふとなにか感じた。
廊下のむこうに顔を向けたとき、くるぶしまであるワンピースの裾がひるがえったのが見えた気がした。
(もしや)と考える暇もなく、広間へ広間へと押し込まれた。



豪勢な食事が次から次へと運ばれてくる。
シンドバッドは社交辞令に二、三口食べて「んまい!」と大声で感想を述べるや席を立ち上がり、

「みんな今夜は好きなだけ食べて飲んでくれ。足りなければ食べ物も酒も好きなだけ買っていい!財宝の量は君たちの知っているとおりだからね」

気前のいい主人は、召使い、船乗り、祝賀ムードにつられてきた町の人たちまで「さあどうぞ、遠慮しないで」と広間に押し込んだ。
最後のひとりまで押し込んで、広間の大扉を閉める。
ふう、と息をつきドア越しの喧騒から離れようとすると、使用人頭の男がわきからひょっこり顔を出した。
にやっと笑う。

「お疲れでございますね、ご主人様」
「あ、ああ」

誰もいないと思っていたものだから、シンドバッドは少しのうろたえを見せた。
気を取り直して歩き出すと、彼はその横を小股でついてきた。

「とはいえ、ご主人様ほどお若ければ長い船旅でたまりにたまったものはお疲れ以外もありましょう」
「ああ、うん」

気のない主人の返事とはうらはらに、使用人頭は明るい調子で続ける。

「私もご主人様ほどの歳のころにはええ、そりゃあそうでしたとも」

男はにやっとした。

「ああ、うん。そうか」

目的あって宴席を抜け出してきたシンドバッドには、その使用人頭が面倒になってきた。追い払ってはかわいそうなので一応返事はする。
ご主人様と呼ばれてはいるが、使用人頭の男とシンドバッド少年では、3倍近く歳が離れている。
使用人頭はここで声のボリュームを落としていやらしい顔つきをした。

「女はどのようなのがお好みで?」

なるほど、彼は今夜の主人の望みは酒や食事ではないと悟るや、女の斡旋こそがチップの在り処だとすばやく気づき、行動に移したというわけだ。召使いの鑑にちがいない。
ところがシンドバッドは困ったように笑うばかりで喜ばなかった。

「わたくしめはあなた様のための召使い。ご要望はなんなりとお命じくださいませ」
「いい。会わないといけないひとがいるから」
「おや!さすがご主人様、もうお約束をすまされていらっしゃる。ではわたくしめは玄関へお迎えにあがりましょう。どこの店の女です?」
「すまないがそういうんじゃないんだ」

男は首をかしげた。
シンドバッドの心は決まっている。
守れず、傷ついたにどう接していいかわからず、逃げるために冒険に出た己の幼さを、旅立ってから何度も呪った。

とは会えるか?」

召使い頭はぎょっとした。
この反応を見てシンドバッドは急に心配になった。

「まさか具合を悪くしているのか」
「い、いえそのようなことは。では・・・呼んでまいります」
「いや、いい。会えるなら俺が行く」
「ご主人様はどうぞお部屋でお待ちください」

シンドバッドが動き出そうとしたのを、うやうやしく頭をさげて制したりするものだからムッとした。

「邪魔をする気か」
「女には支度がございますので」
「・・・そうか」

そうか。そういうものか。では仕方ない。
17歳のシンドバッドはうなずくほかなかった。






***



部屋で椅子に腰掛けて待っていてもは来なかった。
時間を計れば5分ほどだが、シンドバッドにはもっと長く感じられていた。
ふと、体が海風でベタついている気がした。
航海の間は気にならなかったけれど、屋敷まで戻ってくると違和感がある。服も塩が乾いてごわついているようだ。
風呂はきちんと沸いていたのですばやく体を洗って着替え、部屋に戻った。それでもも使用人頭もまだ来ておらず、またそわそわと椅子で待つことになった。
風呂にはいって部屋で女を待つ。さすらば、やることはひとつに決まっていると誰だって思うだろう。しかしこのときシンドバッドによこしまな思いはなかった。頭にあるのは不安と焦り、罪悪感ばかりだった。
言う言葉を頭の中で予行演習する。

「やあ」とこれまでみたいに話しかけよう。「おかえりなさい、シンドバッド」の返事は、まずは望まない。そして具合はどうか尋ねよう。医者は命に別条はないといったが、片腕を失ってはうまくゆかぬこともあるだろう。それからあとは何も告げずに旅立ったことを心から謝ろう。膝をつくことだっていとわない。それから

ノックの音がした。

思わずピンと背筋が伸びる。額の横を汗がつたう。
扉がひらくと、まずさっきの使用人頭が入ってきた。廊下側に誰かいる影が見えるが、影だけで誰とはわからない。
影にばかり気をとられていると、使用人頭はいつのまにか近くに来ていた。

「連れてまいりました」
「ああ、ご苦労」

影が気になって逸るシンドバッドに彼は耳打ちした。
口はにやっと笑うかたち。

「性病の治療は済んでおりますので、存分にお楽しみください」

ぞっとした。
それは、シンドバッドが「主として扱うように」と頼んだ女性に向けられるような言葉ではない。
シンドバッドが不在のあいだ、召使いたちの鑑であるはずのこの男さえもを淫売として蔑んで扱っていたことが、いま知れた。



「・・・出て行け」

「え?」

シンドバッドの頭の中は真っ白になった。

「出て行けェ!!」

扉を指し叫ぶと、あまりのおそろしい剣幕に男は飛び上がって駆け去った。
逃げる際に大きく開かれた扉のむこう、ヴェールをかぶった女が立っていた。
男と入れ替わるように、音も立てずにシンドバッドの部屋へ入ってくる。
侍女が見えない場所に控えていたらしく、女がなかへ入ったあとは扉が勝手にとじられた。
ランプのあかりのなかに入ると、女の衣装はキラキラと光って見えた。
きれいな服を着ていることにほっとしかけて、止まった。
キラキラ光るうしろに痩せ細った体の形がくっきりと見えていた。ヴェールと同じ素材で全身作られたその衣装は、娼婦やストリッパーが身に着けるそれであった。
ザザザと総毛立つ。
その女がであってほしくないと思った。
けれど、透けて見える左腕がないから、それはなのだ。
こんな見分け方をする日がくるなんて。

「・・・」
「・・・」
「・・・・・・っ、やあ」

はっと思い出して、予行演習した言葉を口にだす。
調子はまったく違ってしまった。

「・・・」

返事はない。
焦燥が襲ってきた。

「・・・ぁ、具合はどうだ」

シンドバッドの指は我知らず無駄に動いた。
笑うような顔を作る。

「いや、まずはかけて楽に」

豪奢な長いすを手のひらで示しながら寄ろうとしたとき、の右腕が、彼女の胸の位置までもちあがった。どういう意味かわからず、シンドバッドは歩み出したばかりの足をとめてしまった。
腕をあげたのにあわせて頭をさげる仕草をしたから、それは立礼の格好なのだと気づく。左袖はの所作にあわせてふわと揺れるばかり。
頭をさげた拍子に、ヴェールが床に落ちた

「・・・っ、ひ」

は手を自分の喉にあてた。

「どうしたんだい。喉が痛いのか」
「・・・ぃのちを、すくってくださり・・・」

震え、かすれた声がつむがれる。
途切れ途切れの言葉の間に、体の震えが伝わって奥歯がガチガチ鳴っているのが聞こえる。
久しく見るの顔に、姿に、振る舞いに、シンドバッドは立ち尽くした。

「ありがと、ございました、シンドバッド様。このご恩は、一生おつかえし、・・・お返し、して・・・まいります」

誰かに言われて練習してきたような言葉だった。
かろうじて聞き取れても、シンドバッドには理解できない言葉だった。
シンドバッドの顔がひきつる。

「なっ、なにを言っているんだそんなにかしこまって」
「・・・」
「仕える?仕えるって・・・!君が?」
「・・・なんなりと」
「だから、なにを言っているんだよ。まさか本気で言って・・・いや、誰かにそう言えといわれたんだな?!」

青ざめて言葉を失ったの姿を見たら、頭に血が上った。

「バカげてる!」

大声にの体がいっそう小さくすくみあがった。
はっとしてすぐさま自省する。

「大きな声をだしてごめん。でも、なにか言っておくれよ、。ちゃんと君の言葉で」
「のぞむままに」
「ウソだ。ちがう、そんなのは嘘だ。だって、そんな・・・!そうだ。俺のことを怒っているんだろう?」
「・・・」
「怒っていて、だからそんなふうに振る舞って俺を困らせようとしているんだ。その証拠に、いまここで脱げって言ったら君は脱ぐのかい」

ちがうだろう?と、すがるように説いた仮説は打ち破られる。

はその場ですみやかに帯をとき、肩から服を下ろした。
あまりにすばやくて、制止の声さえはさめなかった。
足元に布をすべておとして、隠すそぶりもない。
そうしなければ殺されると、あの石碑の下で知ったのだろう。



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