ちょっとだけ先の話。


さんはとても綺麗な女性だ。俺の憧れ。
俺ももう12歳だし、もう「あこがれ」から「あ」が抜け落ちてるけれどさんはきっと気づいてない。
さんはずっと並盛の病院の301号室にいた。



「来てくれたの、ランボくん」

5歳で出会ってから一度も変わらぬその呼び名、呼び方、呼び声。
リクライニングベッドの背もたれから微笑む。
窓からそそぐ冬の陽光のもと、微笑む貴女は女神!大好き!大好き!
あ、いや。落ち着け俺。
今日は大人っぽくいくって決めたんだ。服だってすごい高かったけど、がんばった。
さんは読んでいた本にしおりも挟まず、ベッドの向こう側に置いてしまって俺の話を聞く準備をしてくれる。
雲雀恭弥が持ち込んだらしい黒革の椅子にかけて、ベッドと膝は10センチの距離。
このままガバチョ!と覆いかぶさっ

「ランボくんバウムクーヘン好き?」
「すき!」

ああくそっ、俺のバカ!
さんはベッドから降りようとした。たぶんバウムクーヘンを取りに。
さんは座ってて。冷蔵庫ですよね」と言いたかったが咄嗟に出てこなくって、さんはふわふわのスリッパに
足を下ろして病室の端っこの簡易冷蔵庫へ歩いていった。ちがう、歩いてはいない。左足と手すりにかけた両手で
進み、戻ってくるときに右膝が一度カクンとなって上半身が揺れた。
髪がさらりと流れる。
さんの身体は日に日に動かなくなっていくけれど、ひとつだって気づかないふりをする。
バウムクーヘンは砂糖のコーティングでまわりが白かったけど、さんの肌はもっと白かった。
綺麗だなと思った。なのに細く鋭く胸が痛んだ。
サイドデスクに置かれたバウムクーヘンはすでに半円以上なくなっていた。

「さっきまで綱吉さんとキョーコちゃんが来ていたの」
「わあ、会いたかったな」
「そうね。今日はたくさん会えて嬉しい」

大人っぽくだ、大人っぽく。そうだなたとえば・・・リ、リボーンっぽく?

「お、おれは・・・さんに会えるだけでも嬉しいけど、な」
「ランボくん、お茶を淹れるからその間におててを洗っておいでね」

おてて・・・

「風邪がはやっているからガラガラペもしましょうね」

がらがらぺ・・・

思いながらトボトボと洗面所で「おてて」を洗い「ガラガラペッ」してきた。
この病室にはシャワーとトイレと洗面台もついていて、シャワールームからのほのかな石鹸の香りが
さんのにおいでちょっと得した。
ご機嫌で椅子に戻ると小皿に取り分けられたバウムクーヘンと緑茶が置いてあった。

「ジュースがなくて、ランボくんは緑茶大丈夫?」
「オレだってもう13歳なんだからジュースなんて飲まないですよ。緑茶の渋さが好きっていうかね、全然平気」

ほんとは12歳だけど。

「よかった。熱いから気をつけて」
「いただきまーす!」

さんはにこにこしながら俺が一つ二つとバウムクーヘンをほおばるのを見守っていた。緑茶は熱くてピリリと
神経が震えたけど、さんが淹れたお茶、さんが淹れたお茶、俺の特技は我慢。
残り2切れのバウムクーヘンの片割れに手を伸ばしたところで俺は思いとどまる。さっきからさんは一切れも
食べてない。さっき京子さん達と食べたのかな。
さぐる視線に気づかれる。

「好きなだけ食べていいのよ」
さんはいいの?」
「さっき綱吉さんたちといただいて」
「そっか。じゃあ食べますね」

残り2切れも豪快に食べて、お茶のんで、ごっくん。

「おいしかったー!おなかいっぱい」
「よかった」

外で別れの曲が鳴り響く。

「あ、あれ?もうおしまい!?」

面会時間おわた・・・

「もっと食べる?ランボくんは育ち盛りだものね。そうだ、この前山本さんにいただいたバタークッキーがあるわ」

さんはまたふわふわのスリッパに、今度こそ!

「あの!えっと、さんは座ってて。冷蔵庫ですよね」

さんはゆるやかに息をして「ありがとう」と微笑んだ。ああ、綺麗だ。好き。首まわりが広めに開いた室内着の
ワンピースが好き。耳の下から鎖骨へつながる角度が好き。肩から滑り落ちたサラサラの髪も好き。長い睫も、
整った指先も、脚も、笑った顔も、寝顔も、「ランボくん」と呼ぶ声も好き。薄いワンピースの外側からわずかに
読み取れる胸の曲線とそれに伴う皺が好き。好き。好き。大好き。

さん」

バタークッキーはとりに行かず、さんに向き直る。真剣に呼ぶ。

「俺、さんが好きなん・・・です」

さんは泰然とかすかな笑みを顔にはりつけている。大腿の上に重ねられた両の手のひらはぴくりとも動かない。
沈黙のなか博愛に似た微笑み。ああ、どうしようこの人は強い。怖い。なよなよぐねぐねしている俺なんてやっぱり
眼中にない、の?
実はもう何十回、何百回目の告白。小さい頃から「好き」と言い過ぎていて言葉が重みを失ってしまったのか。
いや、昔は「さん、だいすき」「私もランボくんがすきよ」って膝の上に抱っこされながらやりとりしてた。いつからか
さんは「私も」という返事をやめた。それが冗談ですまない年齢に俺が至ったということだろう。
たぶん。









「はあ・・・今日もだめだった・・・」

俺がうなだれていて周りを見ていなかったから、病院の入り口で完全にすれ違ってから気づいた。
今の、雲雀恭弥。
もう面会時間は終わっているが、並盛の様々な施設を牛耳るあの人に面会時間なんて関係ないのに
違いない。向こうは俺のことを邪魔するかそうでなければ完全に無視した。たとえば俺とさんが話して
いるところにあの人が来ると、あの人は武器をかまえ「3」と言う。次に「2」と言う。「1」と言われる前に俺は
さんの病室を飛び出さねばならない。
出なかったらホントに殴られた。
直後にさんが怒ってくれたけど。

けど
結局その時も俺は家に帰ったんだ。今日みたいにトボトボと。
くやしい
くやしい
こんちきしょう!


「雲雀恭弥!・・・さん」

う、怖い。
負けるな俺!
ぐっと腹に力を入れた。

「バタークッキーは明日俺が食べるんだから、食べたら許さないからな!」

宣戦布告にロビーにいた人たちがいっせいに振り返る。雲雀さんは一瞬足を止めたが振り返らず
行ってしまった。
後ろ姿がまるでマフィアのような細身の黒スーツ
真実マフィアなあの男
ピカピカのひらべったい革靴
大人の骨格
漂う色気

姿が見えなくなって、自分のシャツに目を落とした。

白黒ストライプのシャツ
カチっとしたベスト
黒のストレートジーンズ
プーマの新作スニーカーの靴紐はさんのような淡いピンク、内側は牛柄。一万五千円もした。

丸っこい左足の靴のつま先を右足の踵でくしゃっと踏んでみる。

「この靴、かっこいいと思ったのにな・・・」

はやく、大人になりたい









本日の映画「キリクと魔女」。

マフィアの黒いジャケットが水玉柄のハンガーにかかっている。
ネクタイと首元をくつろげた雲雀は黒革の椅子、はリクライニングベッドを平らに戻している。
大画面を見ながら雲雀は3本の北海道名物バタークッキーを口に入れてぼりぼり食べている。
口に入れすぎて頬がふくれている。

「バタークッキー、すき?」
「別に」

はそれ以上言わなかったが雲雀の手にはさらに3本のバタークッキーが握られている。
ランボが大人だと思った男のその風景を、はリスみたいだと思った。






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