一人の老婆の護衛をした時の話をする。

リボーンという名前で呼ばれ、伝説のヒットマンとあざなされ(まだ生きてるのにひでえもんだ)、
お世辞に言っても正確に言っても百発百中だった。ダメツナと会うより5、6年前。

今の姿にされる前の話だ。

プライベートジェットから降りてきた日系スペイン人の老婆は、親しみと畏怖をこめて皆から
グランマと呼ばれていた。武器商人の元締めだ。

「あなたがリボンちゃん」

車椅子にトトロのひざ掛け、見事な白髪に柔和な微笑み。リボンちゃんと呼んだ。伸ばし棒が足りない
呼び方をしたこの老婆が人を殺す道具を売りさばいているというのは不思議な景色だった。
明け方の滑走路。

気を取り直して

「お目にかかれて光栄です、グランマ」
「よろしくね」

しわくちゃの手が差し出され、くちゃくちゃの手の甲にキスしてやらねばならないのかと思ったら右手を
掴まれた。

握手



日本での七日間の日程のうち、五日目の昼を同席しグランマ手作りのたらこおにぎりと高菜おにぎりと
塩おにぎりを馳走になった。

「どう?和の心よリボンちゃん」

そう言ってグランマが振り返った瞬間に、俺は塩おにぎりを食べた後の指を舐めていたから、グランマは
顔のしわを深くして笑った。そのまま俺のテーブルの向かいに車椅子を移動させた。

「塩が一番おいしいわよねえ」

俺はなんだかガキになったように、一度だけうなずいた。



武器商人の元締め、最高位のホテル、最上階のプレジデントスイート、そこにあってトトロのひざ掛けが
気になった。俺の一瞬の意識の移動に恐るべき洞察力で気づいた老婆が言う。

「これは孫がくれたのよ」

グランマは独身と聞いていた。

「養子縁組だから子供にあたるのだけど。さすがにわたくしはおばあちゃん過ぎるから、
おばあちゃんってことにしたの。初耳?」
「ええ、まあ」
「日本にいるのよ」
「いくつです」
「9歳」
「それは カワイイサカリ ですね」

日本人が社交辞令でよく使う慣用句を用いた。
正直ガキは嫌いだが。

「一ヶ月に日本円で300円ずつあげてたの。日本にはずっといられないからさすがに手渡しではないけれど。
そうしたら二年前、おばあさまお誕生日おめでとうってねえ。ひざ掛けを買って国際郵便のやり方を調べて
国際郵便の方がひざ掛けより高くって一年延期して、ねえおかしいでしょう」
「よいお孫さんだ」

無感動にしか言えない。だがグランマは俺の反応に怒りはしなかった。にこにこしてる。

「あさって二年ぶりに会うのよ」
「へえ」

そういえば日本での七日間の日程のうち、七日目の予定は空白だった。

「そうだ、わたくしの護衛はちょっとお休みにしてあさってまでにプレゼントを買ってきてもらえるかしら。
夜の護衛は別の子に任せるから」
「そういうのは別料金ですが」

死の商人の元締めはにこにこと笑った。

「で、何を買えば」
「そうねえ。夕方までにわたくしがリストアップしてここに置いておくわ。何にしようかしら、イマドキの子って
なにが好きなのかしらねえ」

テーブルをとんと軽く叩いた。笑みが深すぎて目だがしわだがわからん。

「どうか、おねがいね」












その夜、グランマは死んだ。

交渉の席で360度を銃に囲まれ(銃はグランマが売ったものだ)、あっけないものだったという。
夕方、すでにグランマが出かけた後のプレジテントスイートのテーブルで、俺は塩おにぎりの三つの乗った皿と、
その皿の下の小切手を見つけた。
小切手に値段は書いていなかった。
椅子にはトトロのひざ掛けがたたんで置いてあった。













日本の小さな町の普通の病院、その301号室。
俺は始終一言も発しないままトトロのひざ掛けを渡した。
子供特有の大きな瞳が、黒服黒帽子の男を見上げて、自分があげたはずのひざ掛けを見、
また俺を見上げて

「おばあさま、もういないの?」

と聡いことを尋ねた。

俺にしては珍しく、引き取ったほうがいいんだろうかと思ったりしたために、頭を冷やそうと一旦病室を出た。
駐車場の喫煙所で一服。
需要は増える一方だというのにグランマは数年前から事業を縮小し続け、周りの反感を買い結果はこれだ。
「数年前」というのがグランマがあの子供を養子にした年と符合するという事実はどう見るべきか。

いや、それは考える必要のないことだ。
関係のないことだ。

それにしても、あの年のガキというのは人間の死を理解できるものなのだろうか。
病室へ戻ると、開けっ放しの扉の向こうで声がしたので立ち止まる。



「なんで目赤いの」
「おばあさまが死んだの」



踵を返し、駐車場へ戻り車に乗り込んだ。
死は正しく理解され、それを涙声で伝えられる相手がいるのだから、これ以上ここにいる必要はない。






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