王宮に隣接する第一研究所には、中庭があり、そこが研究用植物園を兼ねている。
昔ジェイドが出入りしていたことで、あの植物園の赤い花の下には廃棄された死体が埋まっていると噂されてた時期もある、いわくつきの場所である。
33歳の若さで即位したピオニー九世は、ケテルブルク時代の名残でよく脱走した。
王宮の庭ではすぐに見つかってしまうので、

「ここはいい」

研究用植物園のベンチに腰掛けて大きく背を伸ばした。
降る陽光、巡る水の音が心地よい。
専ら室内での研究に没頭している研究職各位は、こんなに良い場所だというのに滅多に来ない。いまだに死霊使いの噂を信じているのかもしれない。
キィと音を立てて植物園の扉が開いた。軍養成学校の学生帽をかぶった少女がジョウロを持って入ってきた。
即位して一年も経っていないし、黙っておけばバレないだろ。そういうのんきな算段でピオニーはベンチにだらしなく座ったままでいた。

「…ピオニー陛下」
「あ、やっぱダメか」

改めて見てみると入り口に立ち尽くしている少女の顔はとても美しかった。
王様を見つけた少女は一瞬動揺を見せたものの、それきり慌てず騒がず、立ち尽くしている。
見つかった方のピオニーは美しい女性を前にしたときの礼儀としてつま先から頭の上までじっくり見た。

「・・・いい」

少女がゆっくり首を傾げた。

「いんや、なんでもない。俺がここにいることは秘密だからあなたはあなたの仕事をするといい」

ジョウロを左手に持ち替えて、最敬礼をした。

「はい、陛下」

と言うなり、足元を流れる人工の水路にジョロをとっぷりと沈め、本当に水やりをし始めた。
その後姿には注目すべきところがおおいにあった。
下の方にある植物に水をやるときは膝を屈して、背の高い植物に水をやるときには背伸びをして、脚立に乗ったり、脚立を下りたり。
スカートの中は見えそうで見えない。

「さすがマルクト軍養成学校の制服。鉄壁だ」

あごをひねったううんと唸る。
すると少女は振り返ってこちらへ歩いてきた。多感な乙女にセクハラはよくなかったろうか。
目の前に少女が立ち、しかし近すぎだと思ったらしく、1歩下がった。

「恐れながら、申し上げます」
「ん?」

恐れながらと言いながら恐れている風のないぼんやりした目だ。
声もきれいだ。夏に聞く冷たい水のように心地よい。

「庭に出ると暗殺者が来ます」
「ほほう」
「それに植物のあるところや、虫の多い場所は思いもよらぬ病を呼ぶことがあります」
「そうなのかい?」
「そうではないのですか?」
「そうかもしれない」
「そう言われてきました」
「誰に?」
「・・・」

何か言おうとした唇が言葉を閉じ込め飲み込んだ。ように見えた
たたずまいが綺麗だから貴族のお嬢さんかと思ったが、後ろ暗いところでもあるのだろうか。

「言いたくないなら言わなくていいよ。そのかわり、俺がここにいるのも秘密にしてほしいね。それから」

くいっと顎を上向かせて上から覗き込んでみる。
ロリコンの気持ちがちょっとわかる気がした。じゃなくて、どこかで見たような顔つきをしている。

「あなたのような美しい女性がどうしてここへ?」
「水遣りの学生アルバイトです陛下」

どこで見たのか思い出せない。
似ているのはきっと顔じゃない。そう、雰囲気だ。
誰だったろう。

「そうかそうか。苦学生か」

ピオニーは椅子に戻って偉いぞ、と頷いた。

「恐れ入ります」
「だがここには暗殺者が来るかもしれないし、植物や虫によって思わぬ病にかかるかもしれないぞ」

いいのか?と笑って見せると、彼女はしばらく黙っていた。
ジョウロからこぼれる水が足元の双葉を水浸しにしている。

「・・・もう」

「ん?」

「もう ほんとうに おこられることはないのだろうか」

あのぼんやりした顔は
あなたは
なにを見て
誰に似て

「陛下!ここにいらしたのですか」

「お!おう!ノルドハイム将軍!」

咄嗟、学生帽の少女を草むらの後ろに隠す。
置き去りにされたジョウロだけピオニーの足元に落ちている。

「植物に水をやっていたんだ」
「水やりは水やり係りがやるものです!陛下は陛下としてのお役目がございます!」
「わかってる、戻るからそう引っ張るなって」
「いつも申し上げておりますが、窓際や庭では狙撃を受けて暗殺されることもございます、それにこのような得体の知れない植物のある場所では、触れると毒であったり虫から病を植えつけられることもあるのですぞ!王の系譜にあれば子供でも知っていることです!」
「…」
「なんです急に大人しくなって」
「…俺は大人だから、大人しく帰るよ」

ピオニーは伸びをするふりをして、一瞬だけ草むらの奥に押し隠した子供を振り返った。
王の系譜
親戚?
違うな、見たことない。



それからしばらくして生じたケセドニア北部での緊張は、ピオニーに植物園で一度会った人のことを忘れさせた。
そしてケセドニア北部戦争終結後、受勲式で鮮烈にその日のことを思い出すことになる。。



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